大正十三年 四月
ガシャ。
お皿が割れた音が聞こえる。
早く...行かなきゃ。
「琴子お姉様!!!」
自室から居間へと走り、扉を開けた私を待ち構えていたのは、妹の清子。
「あーあ、お姉様が遅いから、汁が床に溢れてしまったじゃない」
両親もじろりと私を睨みつけている。
私はしゃがみ込み、黙って片付ける。
漂っている異様な空気。
この橘家に、私の居場所は無いのだ。
由緒正しい貴族の家である橘家。
この変革の時代に、未だ古風な様相を保っている。
私は、この家で一人だけ疎まれている。
「お姉様って本当にのんびりなさっているのね。お稽古も女学校も、何も無い方はうらやましいわ」
清子は嫌味を続ける。私は勿論反応せず、ひたすら手を動かす。
ひたすら無になる。そうすれば、一日が終わる。
それを続けていれば、いつしか一生が終わる。
終わるのは今日でも構わないし、明日でも...
「なんとか言ったらどうなのよ!」
私の態度が清子の癪に障ったようだ。清子が投げた茶碗が、私の耳に命中する。
痛烈な痛みが私を襲い、思わず耳を押さえてしゃがみ込む。
清子はふふっと笑って食事を再開した。良かった。今日はこの程度で済んだ。
明日は。明日は...どうなるのだろう。
「ごめんください」
その時、玄関から男の声がした。
母親が玄関を覗く。...と、男たちは答えを待つことなく、居間に入ってきた。
彼らは二人連れだった。
ひとりは小太りの老人、もう一人は...
おそろしく背が高く、体格にめぐまれた警察官であった。
深く帽子を被っており、顔はよく見えない。
彼は言葉を紡ぐ。
「ここは橘家で間違いないな?」
「...そうです」
警察官の格好に気押されたように、父親の方が答える。
警察官はニヤッと笑う。
「さる筋から、こちらに神崎のお嬢が居るという噂を聞いたのだが」
「...?!」
両親の顔が蒼白になる。
「まさか」
警察官はもはや両親など見ていなかった。
隅で椀を片付けていた私と目が合ったのだ。
「どけ」
男は真っ直ぐに私の方へ向かってくる。
「君が神崎琴子か」
私はその時初めて、男の顔をはっきりと見た。
黒の短髪に、日本人とは思えぬ緑色の瞳。
「私は、井門圭介という」
その顔は冷たいけれど、とてもーとても美しかった。
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