第2話:地獄の底で見つけた『毒』
親元を離れ、ネオ・トウキョウに越してきた俺のボロアパートの狭い玄関先に、その男は立っていた。
仕立てのいいスーツに身を包み、隙のない笑みを浮かべている。だが、その瞳の奥には、俺を一人の人間としてではなく、便利な備品として見定める冷徹な光が宿っていた。
「光石壮真くん。君の異能検査の結果は、既に『国家異能管理機構――オーガナイゼーション』へ共有されている」
男は「機構」の公式ロゴが入ったタブレットを差し出した。
画面に映し出されているのは、俺の顔写真と【超速再生】という文字。そして、その下に並ぶ「Eマイナス」という評価だ。
「単刀直入に言おう。国は君のような人材を必要としている。君に提示された職種はだ」
『生体防壁』――通称、使い捨ての防波堤。
男が提示した契約書の内容は、あまりに凄惨なものだった。
主な業務内容は、特殊任務や紛争地における弾避け、トラップの強制解除、高濃度汚染区域での先行偵察。
どれも「死ぬことが前提」の任務ばかり。だが、俺には【超速再生】があるから、死なずに済む。つまり、死ぬ一歩手前の苦痛を二十四時間、国のために提供し続けろというわけだ。
「手当は月額三十万円。このランクの覚醒者にしては破格の条件だよ。君のような欠陥品が、社会に貢献できる唯一の道だ。感謝してサインしたまえ」
男の声が、前世の上司の声と重なった。
『君の代わりなんていくらでもいる』
『嫌なら辞めろ。ただし、社会的に死ぬことになるぞ』
耳の奥で、心臓がどろりとした音を立てて波打つ。
「……断ったら、どうなりますか」
「推奨はしないな。君の親権者にも連絡は済んでいる。非覚醒者の彼らに、機構の意向を跳ね除ける力はない。拒否すれば、君の家族ごと社会のセーフティネットから除外されることになるだろう」
脅迫だった。
丁寧な言葉遣いで包み隠しているが、本質は前世のブラック企業と同じだ。
弱者を逃げ場のない檻に追い込み、限界まで搾り取る。その先に待っているのは、心の崩壊か、もしくは肉体の死だ。
「返事は三日後だ。賢明な判断を期待しているよ、光石くん」
男は凍りついた空気を残して去っていった。
俺は震える手で、ドアノブを強く握りしめた。
このままでは、また「あの夜」と同じ末路を辿る。
誰かの利益のために自分の命を切り売りし、使い潰されて捨てられる。そんな人生は、もう二度と繰り返さない。
「だったら、壊してやる」
俺の声が、狭い部屋の中に虚しく響く。
この世界のシステムが俺を「使い捨ての盾」と定義するなら、誰もが手を出せないほどの、鉄壁で、凶悪な盾になってやる。
◇
翌日、俺は学校の敷地内にある「異能研究棟跡」の地下へと忍び込んだ。
かつて高度な医療区画だったネオ・トウキョウ第一高校の地下は今も警備されている。
だが、前世で培った「不法侵入」――もとい、深夜残業で警備の穴を突く技術は、異能社会でも十分に通用した。
目的の場所は、地下四階。薬品廃棄区画だ。
そこは、実験に失敗した薬剤や、劇物指定された危険な強化剤が、処分の時を待つ墓場。
鼻を突くのは、腐った卵と化学薬品を混ぜ合わせたような、吐き気を催す悪臭。
防護服なしで長時間いれば、非覚醒者なら即座に肺を蝕まれるだろう。
棚の奥。埃を被った木箱の中に、それはあった。
指先ほどの小さな黒い瓶。ラベルには、震えるような文字でこう記されている。
『ヴォイド・ゼロ:試作型魔力強制拡張剤。使用厳禁』
かつて、機構が人工的に最強の覚醒者を生み出そうとして開発した、呪いの劇薬。
服用すれば、全身の細胞を沸騰させ、魔力の回路を無理やり抉じ開ける。
だが、耐えられる人間は存在しなかった。
あまりの激痛に被験者の精神は崩壊し、肉体は再生が追いつかずに自壊する。
その結果、研究は凍結。この毒は「歴史の闇」としてここに打ち捨てられた。
俺は瓶を手に取った。
中に入っている液体は、どす黒い紫色の澱みを湛えている。
蓋を開けた瞬間、脳を直接殴られるような腐敗臭が立ち上った。
本能が告げている。これを飲めば、死ぬより恐ろしい目に遭うと。
「……関係ないね」
俺の脳裏をよぎったのは、昨日の役人の蔑むような笑み。
俺を焼いた木戸の愉悦に満ちた顔。
このまま「弱者」として生きるなら、それは死んでいるのと同じだ。
泥水を啜って生きるくらいなら、毒を啜ってって修羅になる。
「死ななければ、俺の勝ちだ」
俺は迷わず、その黒い液体を喉に流し込んだ。
「――――ッ!?」
言葉にならなかった。
喉を通った瞬間、溶岩を飲み込んだような錯覚に陥る。
食道から胃袋、そして毛細血管の隅々に至るまで、無数の針で内側から突き刺されるような激痛が走った。
「あ、ぐ……あぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
床を転げ回る。
視界が赤く染まり、耳元で自分の血管が破裂する音が連続して聞こえる。
内臓がドロドロに溶け、全身の神経が焼き切れていく。
まさに地獄。前世の過労死など生ぬるく感じるほどの、純粋な破壊。
だが。
その破壊の嵐の中で、俺の異能【超速再生】が、飢えた獣のように目を覚ました。
『警告。肉体の崩壊率、90パーセントを突破』
『スキル発動。細胞再構成を開始します』
『未定義の魔力波形を検知。中央サーバーへの異常通知を遮断……失敗』
インプラントAIの骨伝導音がなにか言っている。
壊れる端から、新しい細胞が超高速で生成された。
『ヴォイド・ゼロ』が細胞を砕き、魔力の器を強引に引き裂く。
その裂け目を、俺の異能が黄金の光で埋め尽くし、以前よりも強靭な組織へと作り変えていく。
「は、はは……! まだだ、もっと来い!」
激痛で意識が飛びそうになるたび、俺は自分の舌を噛み切って意識を繋ぎ止めた。
再生と破壊の超高速ループ。
俺の身体は、今この瞬間、既存の人類の限界を突破しようとしていた。
一秒が永遠のように感じられる、絶叫の空間。
どれほどの時間が経っただろうか。
嵐のような激痛が、潮が引くように収まっていく。
俺は冷たいコンクリートの床に突っ伏したまま、深く、長い息を吐き出した。
全身が、見たこともないほど濃密な白銀のオーラに包まれている。
ゆっくりと立ち上がる。
身体が、軽い。
以前までの「重苦しい感覚」が嘘のようだ。
視界の隅に表示されるステータスウィンドウ。
そこには、昨日の「0」という数値が嘘のように書き換えられていた。
『魔力貯蔵量:測定不能(限界突破中)』
『肉体強度:Bランク相当(一時的)』
『【自己再生】が【超速再生】に進化』
「……見える」
壁の向こう側を流れる配管の音、校舎を歩く生徒たちの足音。
それらが、鮮明な情報として脳に流れ込んでくる。
劇薬によって強制的に抉じ開けられた魔力の器は、今やネオ・トウキョウのエリートたちをも凌駕する広がりを見せていた。
俺は、手元に残った空の瓶を握り潰した。
粉々になったガラスが掌を切り裂くが、瞬きをする間に傷口は塞がり、血の一滴すら残らない。
「盾になれ、と言ったな」
俺は地下の暗闇を見据えた。
誰にも傷つけられない、誰にも屈しない。
この『毒』を喰らい続け、俺は世界のルールを塗り替える「怪物」へと成る。
今世の俺――光石壮真の、真の覚醒。
この日、俺の日常は終わりを告げた。
――あとがき
カクヨムコンテスト11にエントリーしております。
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今日は4話まで投稿します!
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