ある魔法使いの猫の話
倉澤ちえ
ある魔法使いの猫の話
その猫さんは魔法使いでした。
魔法使いの猫さんは毎日街中を歩いて、魔法の使えない普通の猫さんたちの生活をこっそり見守り、そっと“しあわせ”を配って歩くのです。
ある日魔法使いの猫さんは、とある一家でささやかな誕生日のお祝いをしているのを見かけました。
その一家の小さな猫さんの前にはホットケーキが3枚重ねでお皿に乗っていて、たっぷりのメイプルシロップとひとつだけのイチゴが真ん中に置かれていました。お父さん猫もお母さん猫も小さな猫さんに拍手を送って、ハッピーバースディの唄を歌ってあげていました。
それを窓の外から見ていた魔法使いの猫さんは、ステッキを一振りしました。
すると不思議なことに、ホットケーキはこれでもかとイチゴが乗った生クリームたっぷりの大きくて白くてまあるいケーキに変わりました。もちろん、ネームプレートとロウソクだってついています。
小さな猫さんたちは驚きましたが、きっと神様がよい子の小さな猫さんに幸いをくれたのだと笑い合いました。
またある日魔法使いの猫さんは、頑張って100点満点を取ったテストの結果を親猫に得意げに見せている子猫さんが目に留まりました。
子猫さんは右手で満点のテスト用紙を両親に見せていましたが、こっそりと左手で苦手な科目のテスト用紙は隠していました。
その子猫さんは勉強が決して嫌いではなく、むしろ両親が喜んでくれるなら一生懸命やろうと頑張っている、勉強熱心な子猫さんでした。
魔法使いの猫さんは、その子猫さんが学校に居残って勉強を頑張っている放課後、もう一度子猫さんの様子を見に来ました。子猫さんは苦手な科目を必死で学んでいましたが、教科書だけでは最低限のことしか載ってないことも多く、苦戦していました。
それを廊下の隅から見ていた魔法使いの猫さんは、ステッキを一振りしました。
すると不思議なことに、たくさんの参考書が子猫さんの机の上に山積みになっていました。
簡単な計算式を学ぶ本から応用問題などを解く難しい本まで、その子猫さんにとって非常にわかりやすく、苦手な部分は特に詳しく説明されている、子猫さんのための参考書でした。もっとも、子猫さんはそんなこと知りませんでしたが、その参考書で更に頑張った子猫さんは、そのあと全教科満点を取って、両親からたくさん褒めてもらえました。
またある日魔法使いの猫さんは、とある少年の猫さんが恋する少女の猫さんに告白をしている場面に出くわしました。
少女の猫さんは、真っ赤な顔で真面目に見つめている少年の猫さんを真っ直ぐに見て返し、こちらも少し遅れて真っ赤な顔になってから頷きました。
瞬間、少年の猫さんはぱあっと明るい表情になって少女の猫さんを情熱的に抱きしめました。
少女の猫さんも、おずおずと手を少年の猫さんの背の方に回します。
そうして両片思いから、無事両想いへとなり、新しいカップルができました。
少し遠くで見ていた魔法使いの猫さんは、飛び交うハートマークがひとつおでこに当たったような気がしつつ、ステッキを一振りしました。
すると不思議なことに、ふたりの薬指に、それぞれピッタリのペアリングがいつの間にかはまっていました。
それに気づいたカップルの猫さんたちは、運命の相手だったからきっとこれは神様からの祝福なのかもしれない、と思いました。
またある日魔法使いの猫さんは、新しくできたばかりのお店を見つけました。
オープンしたてのお店はたくさんのお客さんでとってもにぎわっています。どうやらパン屋さんのようで、魔法使いの猫さんにもはっきりわかるほどおいしそうな良い匂いがします。
なにしろ繁盛していますから、店主の猫さんは大忙しです。それでも、自分が頑張って試行錯誤して作った色んなパンを色んなお客さんが買って食べてくれるのは嬉しくて、またやりがいもありました。
いいにおいにお腹の虫を鳴らしながら、魔法使いの猫さんはステッキを一振りしました。
すると不思議なことに、焼いてあったパンはすべて熱々の焼き立てに、店主の猫さんが持っていたオーブンの鉄板の上は並んでいるだけだったはずのパンがいつの間にかどっさり山積みになっていました。ついでに魔法使いの猫さんの上にもひとつぽんっと焼き立てパンが現れ、美味しく食べました。それが余りにおいしかったので、魔法使いの猫さんはもう一度ステッキを一振り、するとしばらくは材料の調達に困らないくらいの小麦粉や必要なものがキッチンに山積みになっていました。
大忙しの店主の猫さんは材料まで増えていることに気づきませんでしたが、喜んでいるお客さんたちを見て、自分はもっともっと嬉しくなりました。
またある日魔法使いの猫さんは、白いタキシードと白いドレスに身を包み、結婚式を挙げている猫さんたちの教会の前を通りかかりました。
たくさんの家族や友人に囲まれて祝福されながら寄り添い合う新婚さんの猫さんたちは、本当に幸福そうでした。
魔法使いの猫さんは素敵な新婚の猫さんたちをちょっと羨ましく思いながら、ステッキを一振りしました。
するとこれでもかというほどの大量のフラワーシャワーが、新婚の猫さんたちを中心にそこにいる大勢の上で舞いました。
真っ白な衣服の新婚の猫さんたちに、赤、ピンク、オレンジ、黄色、水色、青、紫と虹のように色とりどりのお花が白に華やかな色を付けるかのように降り注ぎます。
あまりに美しい光景に、誰もが目を奪われている間に、魔法使いの猫さんはその場を離れながら、心の中で『おめでとう、末永くおしあわせに!』とこっそり笑いました。
またある日魔法使いの猫さんは、生まれて間もない元気な赤ちゃんを連れて初めて公園に出かけた母娘の猫さんを見つけました。
まだ言葉もわからない赤ちゃん猫さんを両手で抱っこして、母猫さんは花の名前やきれいな空の色など、ひとつひとつ優しく話しかけていました。
柔らかで穏やかな空気に魔法使いの猫さんもほんわかしながら、ステッキを一振りしました。
すると両手で抱えていたはずの赤ちゃん猫さんはいつの間にか母猫さんの身に着けられた抱っこひもで支えられ、母猫さんには暖かいカーディガンが、赤ちゃん猫さんにはちょうどいい大きさのストールが巻かれていました。その日は風が強く少し肌寒かったのです。
母猫さんは少しびっくりしましたが、赤ちゃん猫さんは何を感じ取ったのか「ま、ま、ほ……ま、ぅ、」と舌足らずな声で話しました。
母猫さんは、てっきり「ママ」と呼ばれたのだと思いました。赤ちゃん猫さんが単語と聞き取れるような言葉を発したのはそれが初めてでしたので、母猫さんは大喜びしました。
本当は赤ちゃん猫さんは「まほう」と発音したかったことがわかった魔法使いさんは、急いでその場から離れました。まだ物心つかない赤ちゃん猫さんは、まれに魔法使いの猫さんの存在をなんとなく感じることができたりするのです。
またある日魔法使いの猫さんは、元気にジョギングをしているおばあちゃん猫さんとすれ違いました。
年をとっても気持ちは若く元気なおばあちゃん猫さんは、毎日健康のためにジョギングを欠かさずしているのです。
毎日同じ時間に同じルートを走るので、おばあちゃん猫さんの元気さはちょっとした噂になるほどに有名で、すれ違う他の猫さんたちに「今日もお元気ですね」「ずっと元気でいてくださいね」と声を掛けられることもよくあります。元気なおばあちゃん猫さんの姿に、元気をもらう猫さんも多いです。
その噂を知っていた魔法使いの猫さんは、一度だけステッキをじっと見て、そしていつものように一振りしました。
すると不思議なことに、おばあちゃん猫さんはその心の若さと同じくらいの年齢に若返りしていました。
驚きながらも喜びが隠し切れない様子のおばあちゃん猫さん――――いえ、今では若い元気な猫さんを満足げに見て、魔法使いの猫さんは今までほのかな光を放っていたステッキの輝きが消えたこともわかっていて、それでも満足そうに笑顔で自分のおうちに帰りました。
街から遠い場所にある森の中のおうちに帰った魔法使いの猫さんは、ずっと一緒に奇跡を起こしてきた魔法のステッキをもう一度じっと見ました。
実は魔法使いの猫さんは、正しく言えば魔法が使える猫さんではなく、魔法のステッキを扱うことのできる猫さんなのです。魔法はすべて、ステッキが起こしていた現象なのです。そして、魔法のステッキには奇跡を起こせる回数があらかじめ100回と決まっていました。
その日、魔法使いの猫さんのステッキは100回目の奇跡を起こしたのです。
つまり、魔法使いの猫さんは、もう魔法は使えない猫さんになってしまったのです。
けれど、なら魔法使いの猫さんは普通の猫さんと同じになるかというと、それも出来ないのでした。
魔法のステッキを使える猫さんの主食は、誰のものでもいいのですが出来立ての“しあわせ”なのです。目には見えませんが、大きな“しあわせ”を間近で感じると、魔法使いの猫さんの身体はそれを自然と吸収し、それぞれの“しあわせ”に見合った味がするのです。
普通のご飯も食べられますが、味覚はあってもエネルギーにはならないのです。
だから魔法使いの猫さんは本当は知っていました。自分はただ自分のために、自分が生きて“しあわせ”を食べるために、他の猫さんたちに奇跡を起こしてきただけだということを。だからそれを知っている魔法使いの猫さんは、そんな自分があまり好きではありませんでした。
“しあわせ”は誰のものでもいいので、魔法使いの猫さんが自分で感じたものであっても自分のためにそれを食べられますが、自分のことを、魔法のことを、勝手な必要要素と自己満足で“しあわせ”の押し売りをしているだけだと思っている猫さんには、自分で自分に心底の“しあわせ”を感じることはありませんでした。
魔法使いだった猫さんたちは、空腹を感じることはありませんが、“しあわせ”を食べられないままエネルギーが切れてしまうと、餓死するように自然と消えてゆく運命でした。
魔法使いだった猫さんは、今までの生きてきた思い出を振り返って、よい生涯だったな、と思いました。
100回の奇跡で100人の猫さんたちに“しあわせ”を配れたことに、十分に満足していました。
魔法使いだった猫さんは、あとはゆっくりと消えるだけだ、と思って、何日が経ったでしょうか。
ある日続いていた静寂を蹴破るような勢いで、魔法使いだった猫さんの家のドアがばあんと勢いよく開きました。
「見つけたわよ! まったくこんな森の奥に住んでいるなんて、探すのが大変だったんだからね!」
ぼんやりしていた魔法使いだった猫さんは、びっくりして目が覚めたように飛び起きました。
ドアを開いて魔法使いだった猫さんにそう言ったのは、ちょうど100人目の奇跡で若返った元おばあちゃん猫さんでした。
呆気に取られて状況を理解していない魔法使いだった猫さんに構わず、元おばあちゃん猫さんを筆頭に、わらわらと小さな家にたくさんの猫さんたちが集まってきました。それはもうたくさん、100人くらいの大集団です。
魔法使いだった猫さんは、びっくりして問いました。
「どうして僕を探していたんだい?」
それに元おばあちゃん猫さんが答えます。
「そんなの、お礼を言いたかったからに決まっているじゃない!」
その言葉に、他の猫さんたちも「そうだ、そうだ」「ずっと探していたんだよ」「ありがとう、魔法使いさん」と口々に言います。
「ずっと噂はあったのよ。不思議な奇跡があちこちで起こる、って。その噂は最初は神様の奇跡だと言われていたけれど、さすがにあたしに起きた奇跡は神様からのギフトと言うには無理があった。よぼよぼのばばあが若返るなんて、ね。それであるとき、赤ちゃんの猫が少し言葉を話せるようになって、『まほうつかいさん』、と言ったの。それであたしたちはあんたの存在に確信を持ったの」
魔法使いだった猫さんは記憶をたどって思い当たる節に気づきましたが、噂になっていたとまでは知らず、またびっくりしました。
そしてそれから、徐々に後ろめたさも一緒に思い出してしまいました。
「お礼を言ってもらえるようなことを、僕はしていないよ」
「そんなことあるわけないでしょうが!」
みんなの気持ちを代表して元おばあちゃん猫さんは大きな声で言いましたが、魔法使いだった猫さんはうつむくだけでした。
「だって僕は僕のために奇跡を起こしてきただけなんだよ。魔法を使える猫の、魔法以外の特徴を知っているかい? それは、一番大きな違いは、食べるものなんだ。魔法を使える猫は、“しあわせ”を食べないと生きていけないんだよ。だから違う、みんなのためじゃない、僕は僕が生きていくためにやっただけなんだ」
泣きそうな顔で言った魔法使いだった猫さんでしたが、元おばあちゃん猫さんは大きな声でこう言いました。
「そんなの当たり前じゃない!!」
あまりの音量と、その内容に、魔法使いだった猫さんは三度目のびっくりをして、反射的にうつむいていた顔を上げました。
「誰だってみんな、自分のために生きているのよ。自分が大切、自分が可愛い、自分のために生きる。みんなそうしている、当たり前よ。それのなにが、どこが悪いのか、あたしにゃさっぱりわかんないね! 一度長い人生を歩んできたあたしに言わせりゃ、そう言える奴の方がそこらの偽善者よりよっぽど正直で信用できる。やっちゃいけないのは、自分のためにやることで他人に迷惑をかける場合だけさね。それひとつだけ。それさえ守ってりゃ、自分を優先して全然いいのよ。自分の家族を大切にするのは、それが自分にとって大事なもので、家族が幸せなら自分も幸せになれるから。友人や恋人、近しい存在に対しても同じ。みんなみんな、自分のために生きているし、自分が可愛いし、大切な誰かが笑顔なら自分も笑顔になれるから、だから誰かに手を差し伸べているだけなのよ。そんなものみんな一緒だわ」
両手を腰に当てて、堂々と、元おばあちゃん猫さんはそこまでいっきに言い切りました。
それから、魔法使いだった猫さんに改めて近づいて、「だから、あなたは胸を張っていいの」とその肩に手を置いて目を見て言いました。
「あなたは“しあわせ”を食べることができる。あたしたちは奇跡で“しあわせ”になれる。ほら見なさい、良いコトしか起きていないじゃないの! 奇跡を起こせる魔法使いの“しあわせ”が主食? そんなの最高じゃない!!」
満面の笑みで元おばあちゃん猫は親指を立てました。
考えたこともない解釈に、魔法使いだった猫さんは呆然としました。
それから、ゆっくりと微笑んで、ひとつぶだけ涙を零しました。嬉し涙でした。
その瞬間、今まで味わったことのない味の、“しあわせ”を食べたことに魔法使いだった猫さんは気づきました。――――それは、魔法使いだった猫さん自身から初めて出た“しあわせ”でした。
「ありがとう、消える前に自分の“しあわせ”の味を食べることができて、良かった」
それは魔法使いだった猫さんにすれば心からの感謝の言葉でしたが、それを聞いた他の猫さんたちはそれどころではありません。どう考えても聞き捨てならないセリフが入っていたからです。
「消える!? なんだい、そりゃどういうことだい!!」
元おばあちゃん猫さんを筆頭に驚いて詰め寄ったみんなに、魔法使いだった猫さんは静かに説明しました。
「魔法使いは自分が作った“しあわせ”しか食べられない。そして、魔法が使える回数には100回という上限がある。僕はもう100回魔法のステッキを使ってしまった。だからもう、僕には今までのようにみんなに“しあわせ”を作ってあげることはできないんだ」
苦笑しながら言った魔法使いだった猫さんでしたが、「なんだ、そんなことかい。驚かせるんじゃないよ、全く」とほっと安堵の息を吐いた元おばあちゃん猫さんは、こう言いました。
「別に魔法じゃなくても、誰かを“しあわせ”にするなんていくらでもできるじゃないの。それに自分の“しあわせ”だって食べられるって今言ったわね? だったら余計にこんな辺鄙なとこに住んでるんじゃないよ! 引っ越しだ引っ越し! みんな手伝っとくれ!!」
よしきた、おう任せろ、みんなやるぞ、待っていて今力持ちの旦那を連れてくるわ!――――等々、みんなが奮起する中で、以前魔法使いだった猫さんに奇跡を起こしてもらったパン屋さんの店主の猫さんが前に出て言いました。
「そうだ、それなら当面ウチのパン屋で働かないか!? 自分が作ったパンで誰かを“しあわせ”にできる、更に誰かを“しあわせ”にできれば自分も“しあわせ”になる。きみの魔法のおかげで奇跡が起こるパン屋だって評判ができちゃってね、開店早々お客さんがたくさん来て人手不足で困ってるんだ! 別に腰を据えてパン屋になれってわけでもない、とりあえずパンをこねながら、これから何をしてどうやって誰かを“しあわせ”にするか、ゆっくり考えればいいさ!」
どん、と胸を叩いたパン屋の店主の猫さんに、「おお、そりゃあいい」「名案だ」と他の猫さんたちも同意しました。
もう魔法使いだった猫さんは、今日だけで何度びっくりすればいいのかわかりませんでした。
「もう僕は魔法は使えない……そんな、魔法使いでもないただの僕でも、いいのかい?」
口をつくように出た言葉に、その場にいる全員がにっこり笑って「良いに決まっているじゃないか!」と声をそろえました。
そうして、魔法使いだった猫さんはみんなに両手を引っ張られて立ち上がり、一歩、踏み出しました。新しい世界へ。
そんな魔法使いの猫さんに、みんなはこう言いました。
「「「だってあなたは、優しさという“しあわせ”を配る魔法を、誰よりも上手に使えるんだから!」」」
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