第7話

 「明日からゴールデンウィークになるわけだけど、みんな羽目を外し過ぎずに過ごすように」

 ゴールデンウィーク前日の授業が終わり一条先生がそう言うとクラスで歓声が上がる。

 今年のゴールデンウィークは一週間以上ある。

 そして全国小学生倉敷王将戦の神奈川県予選はゴールデンウィークに行われる。

 今から僕は緊張とワクワクが止まらなかった。

 「それじゃあ、王将戦頑張ってな楓真」

 「うん、頑張るよ。次に会うのはゴールデンウィーク明けだね」

 「結果を楽しみに待ってるよ」

 康誠は裏門でそう言うと手を振って帰っていった。

 それから僕は音楽室に戻り、和奏のピアノを聴きながら将棋を指した。

 四時になる前に音楽室を出て、音楽室の鍵を返却してから帰路に着く。

 今日の曲に対するお互いの解釈と、和奏の解説を聞きながら歩いていると僕の家が見えてくる。

 「いよいよ四日後ね。優勝してきてよ」

 「もちろん優勝を狙うよ。誰にも負けたくないし」

 「よし、そうこなくっちゃね!」

 和奏は笑顔でそう言うと拳を僕の前に突き出す。

 僕は和奏の拳に自分の拳をくっつけると勇気を貰った気分になった。

 この日から本番まで僕は家から一歩も出ることもなく、将棋をとことん追求した。


 「あれ、おかしいわね」

 「大丈夫そう?母さん?」

 大会の本番になり、僕と母さんは会場がある横浜の方に来ていた。

 だが建物がほとんど一緒かつ目印がなく道に迷っていた。

 これは余談になるが将棋の大会はビルの中の会場で行われることが多く、パッと見ただけでは分からないことが多い。

 今回は交流センターという場所で開かれるのでサイズは小さいはずだ。

 「あの、もしかして倉敷王将戦に出る人ですか」

 僕と母さんが駅前でうろついていると、礼儀正しくどこか女性的な顔立ちをした男の子に話しかけられる。

 身長は僕とあまり変わらないので同い年ぐらいな気がする。

 「そうなんです。でも道に迷っちゃって」

 「それなら僕も向かうところなので、一緒に行きませんか?」

 「本当、お願いしてもいい?」

 母さんがそう言い男の子は快く承諾し、歩き始める。

 僕は助けてもらっといて無言はいけないと思い、隣に立って声をかける。

 「僕、天宮楓真って言うんだ。君も倉敷王将戦に出るの?」

 「いや、僕は出ないんだ。今日は観戦しにきたんだ」

 「観戦だけ?」

 僕はせっかく来たのなら指せばいいと思う。

 「……僕の名前は旭日響也きょうやって言うんだ」

 「旭日?」

 僕、というより全ての将棋を指す物にとって旭日という苗字は強烈に焼き付いている。

 それは現在竜王のタイトルを含め五つのタイトルを獲得している旭日五冠の存在だ。

 「天宮君が思っている通りだよ、僕のお父さんは旭日竜馬りゅうまだ」

 「なるほど、もしかして奨励会にはもう入ってる?」

 僕がそう聞くと響也は少し気まずそうに頷く。

 「なるほど、だから観戦だけなのか」

 奨励会に入った者はアマチュアの大会に出ることは許されない。

 それだけ奨励会はプロを意識したものなのだ。

 「ところでさ、響也って何歳?僕は小学四年生なんだけど」

 「僕も小学四年生だよ」

 「え、じゃあ小三で奨励会に入ったんだ。凄いな」

 「そんな、まだまださ」

 響也は謙遜しているが誇っていい。

 仮に響也がプロになれば最年少で奨励会に入ったことになるのだから。

 「あ、着いた。ここだよ」

 いつの間にか今日の会場である交流センターに着いていた。

 「ありがとう。案内してくれて」

 「ぜんぜん、僕も行くところだったからね」

 三階建てぐらいの建物の中に入り、階段を上がったところで受付に着く。

 そこには詰将棋の本を読んでいる子供、親と将棋を指している子供がいた。

 そして響也が受付に近づくと一斉に視線が向かってくる。

 「おい、あれ旭日響也だ」

 「旭日五段の息子だ」

 そんな声が周りから発せられたのを僕は聞き逃さなかった。

 僕はなんとなく響也から和奏や康誠と同じものを感じ取る。

 「お前も出るのか響也」

 僕が受付に行こうとすると自信に満ち溢れた一人の男の子が響也に声をかける。

 「いや、今日は観戦しにきたんだ」

 「だよな去年から奨励会だしな。それなら予選終わってから決勝までの間で対局しよぜ。去年のリベンジだ」

 「考えておくよ」

 「なら俺の対局を見てろ。対局したくさせてやる」

 男の子は言いたいことを言い切ったらしく去っていく。

 「あの子は?」

 「前回、準優勝した多田将太ただしょうた君だよ。正直言って優勝候補ってやつだね。といっても今年から高学年の部だしどうなるか分からないけどね」

 「ちなみに前回の優勝者って?」

 「……僕だよ」

 これは後から調べて分かった話だが全国大会を優勝したのも響也だった。

 「あ、そろそろ受付の番が来そうだよ」

 響也に言われて見ると次の番まで列が進んでいた。

 「もう一度ありがとう響也。がっかりさせない将棋をするよ」

 「どういたしまして。期待してるよ」

 僕は響也にお礼を終えてから受付をし、対局カードを受け取ると名前、年齢、学校名を記載する。

 対局カードに振られた番号を覚えた後、係の人に提出して対局が始まるのを待つ。

 周りを観察すると顔見知りの子も多いのか話している人も多い。

 もちろん詰将棋をしたり最後まで勉強している人もいる。

 「えー、では、これから全国小学生倉敷王将戦、神奈川県予選を開催したいと思います」

 受付終了時刻を過ぎて五分が経過すると何かの会長がそう宣言する。

 それから大会のルールが話される。

 今年の参加者は56名。

 高学年の部は対局時計を使い、持ち時間15分・秒読み30秒。

 15分の持ち時間を使い切ると一手30秒で指さないと敗北となる。

 二勝で予選突破、二敗で敗退。

 神奈川県は代表枠が二枠あり、優勝者と準優勝者が代表として全国大会に出場する。

 要約するとこんな感じだ。

 開会式が終わると対局相手が決められていく。

 対局カードを適当にシャッフルした後、上から二枚ずつ机に置かれ番号を呼ばれる。

 僕の番号は五番目に言われ、指定された席に座り対局相手を待つ。

 呼ばれた席は端の方で観客がギリギリ対局を見れる位置だ。

 「あ」

 僕は思わず向かいの椅子に座った男の子を見て声を漏らしてしまった。

 さっき響也に話しかけていた多田将太という男の子だった。

 どうやら最初から強敵と当たったらしい。

 「じゃあ、対局カード交換するか」

 「そうだね」

 僕達は対局カードを交換し、相手の対局カードにボールペンで自分の名前、年齢、学校名を記載する。

 「では振り駒をしてください」

 司会の指示に従って僕が振り駒をする。

 結果は歩兵が二つ、と金が三つ。相手が先手だ。

 僕は後手なので対局時計の置く位置を決められる。迷わず利き手の方である右側に配置する。

 「それでは姿勢を直して」

 司会がそう言うと周りから服の掠れる音が鳴る。

 「よろしくお願いします」

 周りから一斉にその声が上がると開戦する。

 「じゃあ押すね」

 僕はそう言ってから対局時計の自分の方のボタンを押す。

 すると将太の方の時間が減り始める。

 将太は時間が減るのを確認してから一手目を指す。

 将太が指した手は5六歩。中飛車だと宣言する一手だ。

 将太は駒を指した手で対局時計を押すと僕の持ち時間が減り始める。

 持ち時間が減ることを確認した僕はゲームプランを考える。

 中飛車は基本的に急戦で速い将棋が多い。

 穴熊という王様を左下まで移動して硬く守り、囲いの差で勝つ。だが囲っている時に攻め込まれるなんてことはあるあるだ。

 低めに構えつつ、桂馬に注意することを頭に入れる。

 相手の桂馬と僕の銀が交換になった時、敗北が決まると言っても過言ではない。

 とりあえず僕は角道を開ける。

 対する相手は5五歩。五筋を取りに来る。

 僕は飛車側の銀を左斜め前に跳ねて様子を見る。

 すると相手は銀を前に出してくる。守る気はあまりなさそうだ。

 穴熊は無理かな。と思いつつ王様を角に寄せていく。

 中央を銀二枚と金二枚で守ったら飛車先の歩兵を突いていく。

 相手は角道を開け、桂馬を跳ねたので僕も飛車側の桂馬を跳ねる。

 すると相手の手が止まり、中途半端だった美濃囲いを完成させようとする。

 僕としては囲いが完成するのは厄介なので、僕の飛車先を守っている金で攻めることにする。

 桂馬を跳ねたことによって角が相手から見て四列目にいる。かなり角が浮いている。

 浮いた角をいじめながらジリジリと追い詰めていく。

 ただ、相手も黙ってみているわけもなく、僕の飛車を詰まそうとする。

 中飛車の特徴として角を犠牲にして強引に飛車をねじ込んでくることがある。

 角は価値のある駒という認識が邪魔をすることが多いのだ。

 だがそんな認識なんてとっくに捨てている。

 どれだけじいちゃんの中飛車に負けてきたか、その度に対策を繰り返してきた。

 僕にとって中飛車は攻めの象徴だ。

 だから攻め封じ、強引に攻めてきたところを受けきる自信がある。

 君にやりたい攻めなんてさせない。

 僕は相手のやりたいことを想定して指し、それを封じる。

 僕は対中飛車は相手を封じこめる将棋だと思っている。

 相手が角の雲行きが怪しくなり桂馬を使って暴れようとしたタイミングで、僕は相手の飛車先を歩兵で閉じる。

 その歩兵を取ると角を切り捨てたタイミングで僕の飛車が通り相手の飛車が死ぬ。

 もちろん角を切り捨てたタイミングで王手がかかるなんて展開にはさせない。

 相手もそれを理解したらしく、長く手が止まる。

 気づけば僕の残り一分の持ち時間よりも時間を消費する。

 秒読みがかかり、相手は振り絞った一手を指す。

 僕はここが勝負どころだと察し、持ち時間を使い切って考える。

 そして導き出した僕の中の最善手を指す。

 相手にとって僕の手は致命傷だったらしく表情が苦しいものになる。

 攻めから守りに切り替わった相手はキレを失っていく。

 対する僕は攻めに切り替わり完成していない美濃囲いを崩していく。

 最終的に僕は角を切り捨て、88手で勝利した。


 「ありがとうございました」

 僕は敗北を宣言した二人目の対局相手にそう言うと二人分の対局カードを持って係りの人まで行く。

 基本的に勝った人が結果を報告しに行く。

 僕は対局結果の部分に二つ丸が書かれているのを見て一安心する。

 一人目の将太は優勝候補というだけあって強かった。だが負けるとは思わなかった。

 そして二人目は一勝していた六年生の男の子で、僕よりも二歳年上ということもあって不安だったが、蓋を開ければ危ない場面もなく勝利できた。

 「はい、天宮楓真君ね。二勝したということで予選突破となります」

 僕は早めの昼ご飯を食べようと母さんの方に行き、お弁当を受け取る。

 母さんは糖分を取るべきだと言って甘いものを買いに行った。

 「天宮君、一緒にお弁当食べない?」

 僕が館内図を見てお弁当を食べていい部屋を探していると響也に誘われる。

 僕が二つ返事で了承すると響也が部屋に案内してくれる。

 「天宮君はいつから将棋をやってるの?」

 「三歳の頃からだよ。響也は?」

 「僕も三歳からだね。お父さんに教わったんだ。天宮君は誰かに教わったりしたの?」 

 「うん、じいちゃんが元プロ棋士で教わってたんだ」

 「あぁ、なるほどね」

 響也は納得したように何度か頷くと指定の部屋に着く。

 お弁当を開けるとほとんど茶色と白で構成され、卵焼きの黄色がワンポイントである最高のお弁当だった。

 対する響也のお弁当は緑や赤といったカラフルなお弁当だった。トマトが苦手な僕からしたら勘弁してほしい。

 「おじいさんにはどんな風に将棋を教わったの?」

 「どんなって……普通だと思うけど」

 僕はじいちゃんと対局し、その後感想戦をしていたことを説明する。悪いところを修正しては指し、新たに見つかった悪いところを直す指導だ。

 「響也は?」

 「僕はいろんな人と指すのが多かったね。道場だったり研究会だったりね」

 響也は自分よりも強い大人と指し、どうやったら勝てるかを自分で考えて試す。話を聞く限りでは僕とは真反対の生活を送っていたらしい。

 僕はじいちゃんとマンツーマンで、響也はいろんな人と対局して成長した。

 そして僕は素朴な疑問が生じる。全く違う成長をしてきた僕と響也、どっちが強いのだろうか?

 「ねえ、響也。一局指さない?」

 「奇遇だね。僕もそう思ってた」

 急いでお弁当を食べ終えた僕らは盤に向かい合う。

 響也が振り駒を行い、と金が四つで僕が先手となる。

 「よろしくお願いします」

 「よろしくお願いします」 

 お互いに姿勢を正し頭を下げ、お互いに角道を開けた後、僕は飛車先の歩兵を突く。

 対する響也も飛車先の歩兵を突く。居飛車対面になることを察する。

 僕が飛車先の歩兵を交換したタイミングで響也も飛車先の歩兵を交換しようとする。

 この一手で僕は今後の展開をなんとなく察する。

 響也と飛車先の歩兵を交換した後、僕は自分の飛車を元の位置に戻す。

 すると響也は角道を開けた僕の歩兵を取る。予想通りの後手横歩取りだ。

 後手横歩取りは奇襲戦法かつノーガードの殴り合いになる。

 どれだけ対策しているかが論点になる。

 僕は一度息を吐く。試されていると直感的に悟る。

 もちろん横歩取りを拒否する選択もあった。だが乗ってやる。

 お互いのプライドを懸けた殴り合いが始まった。

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