4.ダンジョンへ


 翌日。

 朝起きて軽めの食事を摂り、諸々の準備を終えた俺は、兄さんが呼んだタクシーで、自宅から最も近い場所にある新宿ダンジョンへと向かった。


 日本各地に点在するダンジョンにはその出入り口ゲートの前に、日本探索者ギルドの各支部が置かれている。

 その中でもここ新宿ダンジョンのゲート前にある新宿支部は、ギルドの本部も兼ねているため建物の規模も大きく造られている。


 新宿支部のビルに入った俺と兄さんは、一階ロビーの待合いスペースで一つ席を空けて椅子に座り、今日一緒にパーティを組むことになるもう一人の同行者、七条さんがくるのを待っていた。


 今日前衛でモンスターと戦う事になる兄さんだが、彼はシャツにスラックスと普段着の姿でいる。

 これは衣服の中にインナースーツを着用しているためだ。

 インナースーツとは、モンスターを倒してドロップした特殊な素材を用いて作られたもので、高い防御性能と伸縮性を合わせ持っていて、斬撃を弾いたり、衝撃を吸収したりしてくれる。

 さらに炎や冷気などもある程度の強さまでならシャットダウン出来るため、探索者達には、動きやすさという観点からも、プロテクター等は身に着けずに、衣服の下にインナースーツを着るだけに留めている者が多い。

 ちなみに女性のダンジョン配信者の中には、人気を得るために視聴者受けを狙って、インナースーツは競泳水着のようなハーフタイプのものを選び、大胆に肌を晒してひらひらしたスカートを翻しながら戦う者もいたりする。

 後、兄さんは腰に革製の鞘を提げているものの、肝心の剣を佩いてはいないが、その理由についてはこの後ダンジョン内で明らかになるだろう。


 俺の方もパーカーにカーゴパンツと普段着だが、これは中にインナースーツを着用しているからではなく、それを所持していないだけにすぎない。

 インナースーツはかなり高価な代物なので、父親から小遣いを与えられていない俺には買うことが出来ないのだ。

 武器を持っていないのも、自分用の物を買う事が出来ないためで、たまに大人達の探索者パーティに同行させてもらう時は、ギルドでレンタルした剣を使っている。

 そのため俺の持ち物と言えば、中学に上がる際に和泉さんが入学祝いとしてプレゼントしてくれた、通学用としても愛用している年季の入ったデイパックくらいだ。


「おい、式。お前、幾ら七条さんが美人だからって色目を使うような真似はするなよ。彼女は僕の婚約者なんだからな」

「しませんよ、そんな事」


 兄さんから心外な疑いを向けられ、「まだ婚約者として認められてはいないだろうに」──と心の中で突っ込みを入れた。


「どうだか、怪しいもんだ。彼女の美しさは他に類を見ない──と、きたみたいだな」


 それまでしかめっ面でいたというのに、その七条さんが姿を現したと分かった瞬間に、澄ました笑顔に切り替えている。

 変わり身の早い事だ。


 七条さんは普段のダンジョン配信では、ハーフタイプのインナースーツの上に学校の制服を着て、足には黒いニーハイソックスを履くという視聴者受けのいいスタイルなのだが、今日は配信しないためか、Tシャツにデニムとラフな格好だ。

 その手には、彼女が武器として使う長槍が収められていると思われる細いコンパクトな長方形のケースを提げている。

 その長槍は伸縮機構なので、収納する際は短くして収める事が可能なんだろう。

 

「七条さん、こっちだよ」


 手を挙げて呼びかける兄さんを見て、七条さんがこちらにやってきた。


「すいません。お待たせしてしまいましたか?」


 まるでウインドチャイムのような清涼感に溢れる声で謝辞を述べ、尋ねる。


「いや、僕達もさっき着いたばかりさ。それにまだ待ち合わせ時間前だからね。気にしないでいいよ」

「それならよかったです。それで、一緒にいるのは、クラスメイトの式君だと思うんですけど、彼とはどういう繋がりなんですか? 苗字が同じ秋堂ですけど、もしかして血の繋がりが?」


 七条さんがきょとんと可愛らしく首を傾げる。


 俺は内心驚いていた。

 まさか彼女に名前を覚えられているとは思わなかった。


「ああ。実は僕と式とは兄弟でね。腹違いではあるんだけど」

「そうなんですか。確かに顔立ちはそれ程似ていませんもんね」

「僕は父親に似たんだけど、こいつは母親の方に似たらしくてね。それより荷物持ちとしてこいつを連れてきたけど、七条さんはそれで構わないい?」

「はい。私に不都合はありませんから」

「そう。相談なしに決めた事だったから断られたらどうしようかと思っていたけど、受け入れてもらえてよかったよ」

「でも呼び方の問題がありますよね。二人とも同じ秋堂ですし。だから今日だけ彰人さん、式君と呼ばせてもらってもいいですか?」

「僕達は全然気にしないよ。むしろ今日だけと言わず、これから先ずっとそう呼んで欲しいくらいだ。なぁ式。お前も黙ってないで挨拶くらいしろよ」

「ああ、これは失礼。七条さんと話すのはこれが初めてになるかな。今日は荷物持ちとして二人のサポート役に回るから、雑用なんかは全部俺に任せてもらっていいよ」

「うん、分かった。よろしくね」

「それじゃあまずはダンジョンに入るための手続きからだな。式、頼んだぞ」

「はい」


 こういう雑用も俺の役目だ。

 受付けカウンターを見ると、全部で五つある中で、見慣れた顔の受付嬢がいる席が丁度空いていたので、そこにいく事にした。


「美咲さん、ダンジョンに入るための手続きの方をお願いします」

「あら、式ちゃんじゃないですか! 久しぶりですね! 元気にしてました? しばらく顔を見せなかったから私心配してたんですよー」


 美咲さんが満面の笑みで迎えた後、今度は案じたように眉を垂らす。


「あの、美咲さん、それより手続きの方を⋯⋯」

「あぁごめんなさい。積もる話もたくさんありますけど、まずは手続きを済ませるのが先ですね。はい、申請書に必要事項を記入してください」

「はい。それと美咲さん、ちゃん付けで呼ぶのはいい加減止めてください」

「それは出来ない相談ですねー。私にとって式ちゃんはいつまで経っても式ちゃんですよ」


 美咲さんが悪戯っぽくふふっと笑みながら返す。

 三十代後半で、中学生の娘を持つ母親でもある彼女──一ノ瀬美咲だが、二十代前半くらいにしか見えないその若々しい美貌と持ち前の愛嬌のよさで、ここ新宿支部兼本部の看板受付嬢として探索者達から慕われる存在となっている。

 そんな彼女だが、実は俺の父さんの妹──つまり叔母にあたる女性なのだ。

 非情で冷酷な父親とは兄妹とは思えない程に、真逆の優しく温かい一緒にいて安心させられる性格であり、俺は生まれた時からよく面倒を見てもらっていた。

 ただ、幼少時の印象が抜け切らないのか、未だに俺の事をちゃん付けで呼ぼうとするため、毎回もう高校生なんだからと止めるように言うのだが、一向に聞き入れてくれる様子はない。

 

「ところで今日は誰ときたんですか?」

「兄さんと、その兄さんの見合い相手との三人です」

「兄さんって、彰人君? 貴方達、折り合いが悪いんじゃなかったんですか? ようやく仲直り出来たとか?」

「いえ、兄さんとは相変わらずです。今日はただ面倒な荷物持ちをさせられるために連れ出されたってだけですよ」

「そうですか⋯⋯それにしてもお見合いなんて、高校生にはまだ早すぎるんじゃないかって私は思いますけどね」

「俺もそう思いますけど、それが父の方針なので。あの人は保身のためなら息子だろうと道具として利用しますよ」

「あの愚兄⋯⋯私が何を言っても考え方を改めようとはしないし、ホントどうしようもないですね」


 怒りと呆れが半々といった感じの美咲さん。

 普段温厚で丁寧な口調で話す彼女も、あの父親の事になると、途端に口が悪くなるのだ。


「式ちゃん、いつまでも我慢してあんな家にいなくてもいいんですからね。私はいつでも歓迎しますから。式ちゃんが家にきてくれたら、涼花もきっと喜んでくれるはずですよ」

「ありがとうございます。考えておきますね。これ、書き終えたので提出します」


 俺は礼を言ってから、記入を終えた申請書を美咲さんの前に差し出した。


「はい。結構です。それじゃあ、気をつけていってきてくださいね。くれぐれも無理だけはしないように。探索で大事なのは、どこまで踏破したか、どんな強敵を倒したかじゃなくて、ちゃんと無事に帰還する事なんですからね」

「はい。また美咲さんに元気な顔を見せに戻ってきますよ」


 そう返して受付けカウンターから離れ兄さん達と合流し、鍵付きのロッカーに財布等の貴重品を仕舞ってから、地上に大きくその口を開けているゲートを潜ってダンジョンへと踏み入った。


──────


新作ラブコメ『降る雪は沈む蒼の心を優しく包む〜冴えない根暗な陰キャぼっちの成り上がりリア充化プロジェクト〜』の連載も始めました。


過去にトラウマを持つ男子高校生が、ある出会いを経て、その人物の手を借りながら成り上がっていく感じの物語で、最初の内は暗い雰囲気が漂っていますが、徐々に明るい要素が増えていきます。


カクヨムに投稿を始めてまだ間もないので、拙い面もあるでしょうけれど、良ければ読んでみてください。


↓以下作品トップページへのリンクです。


https://kakuyomu.jp/works/822139841946000208

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