3.兄からの呼び出し


 自宅の門を潜り、庭の端にある離れに向かおうとすると、そこには亜麻色の髪をショートポニーに結び腰を屈めて雑草を抜いている家事代行の和泉さんがいた。


「あ、お帰り、式君」


 帰ってきた俺を見て腰を上げた和泉さんが、柔らかい微笑みを浮かべながら迎える。


「ただいま、和泉さん」

「ちょっと制服のズボンが汚れているみたいだけど、どうかしたの?」


 目敏く気づかれて、心配げに眉尻を下げながら問われてしまった。


「帰る途中でうっかり道に転がっていた空き缶を踏んで転んでしまっただけですよ。どこも怪我はしていないので心配いりません」


 咄嗟に言い訳を捻り出す。


「そう。それは災難だったね」

「今後はもっと気をつけて歩くようにします。それで和泉さんは草むしりをしていたんですよね。俺も荷物を置いて着替えたらすぐに手伝います」

「それじゃあお言葉に甘えさせてもらおうかな。ここのお家の庭って広いから私一人じゃ大変で──ああ、でもその前に一つ言付けが。彰人君が、帰ったらすぐに部屋にくるようにって事だったよ。だからそっちを先に済ませてきて」

「兄さんがですか⋯⋯分かりました。そうします」


 ──いつも俺をいないものとして扱っている兄さんが自分の部屋に呼びつけるなんて、珍しい事もあるもんだ。どうせろくでもない用件なんだろうけどな⋯⋯。


 俺はうんざりと大きな溜息を一つ吐くと、その指示に従うため、一度離れに戻った。



   §



 本邸に上がった俺は、兄彰人の部屋の前までくると、そのドアをノックした。


「入れ」


 すぐに中から短くいらえがあり、ドアを開けて室内へと入る。


 何年ぶりかに見た兄さんの部屋の内装は、以前訪れた時とだいぶ様変わりしていたが、豪華さという点では同じだった。

 十畳以上もある広々とした空間に、デスクやテーブル、ソファ、電化製品等が置かれているが、そのどれも一目で高級品だと分かる物ばかりだ。

 才能に溢れた跡継ぎとして父親に甘やかされているんだろう。

 

 ──自分の扱いとは大違いだな。今に始まった事じゃないけど。


 その部屋の中央に置かれた革張りのソファに兄さんは座っていた。

 父親譲りの整った精悍な──けれど、どこか尊大さが滲み出た顔を式へと向けている。

 学校では生徒会の副会長も務める人格者で通っているが、それは外向きの顔であって、本来の彼は、子供っぽさが抜け切らない我が儘で自己中心的な性格をしている。


「こうして顔を合わせて会話するのは久しぶりだな」


 特に感慨を抱いてはいない様子で、兄さんが声を掛けた。


「わざわざ呼び出して、何の用ですか?」


 それには応じず、単刀直入に用件を尋ねる。


「せっかちだな。まぁいい。僕もお前と無駄話をする気はない。お前に一つ聞きたい事があるだけだ。今度のGWの初日に、見合いをする事になった件に関してだ」


「見合いですか。上手くいくといいですね」


 淡白に告げる。

 兄さんが誰と結ばれようと、そんな事はどうでもいい。

 高校生で見合いをするというのは珍しいが、大方あの欲に塗れた父親が仕組んだ政略結婚のためだろう。

 


「相手は誰だと思う? なんとあの『氷の槍姫』、七条刹那だ。どうだ、羨ましいか?」


「いえ、特には」


 彼女に対して憧れは少なからずあるものの、それは探索者としてであり、女性としての彼女に恋愛感情を抱いた事はない。

 せいぜい目の保養になる高嶺の花と言った程度の認識だ。

 ただ、父は別の見方をしているのだろう。

 彼女の家柄、能力、将来性を考えて、経済的、社会的地位の向上を狙っているはずだ。

 しかし、よく七条さんが兄さんなんかとの見合いを了承したものだ。

 学校では、サッカー部のイケメンエースや学年トップの成績を誇る秀才なんかに告白されても絶対に首を縦には振らなかったと聞いているが、父さんの運営するクラン『栄光の黎明』と彼女に何か繋がりでもあるんだろうか⋯⋯。


「まぁお前にとって彼女は雲の上の存在だろうからな。付き合う──まして見合いなんて想像も出来ないだろうし仕方がない。彼女には僕のような選ばれた者こそが相応しいからな」

「⋯⋯」


 俺は黙って兄さんの話を聞いていた。

 彼が自分を高く評価しているのは知っているし、それに見合うだけの実力があるのも確かだ。

 ただ、その奢りによって足を掬われるような事態に陥らないとも限らない。

 彼は資質の面では恵まれているが、まだ若いため、経験が不足しているのだ。

 いずれ兄さんは才能ではどうやっても乗り越えられない壁に直面するだろう──俺はそう考えているが、本人に注意を促したりはしない。

 それは、兄さんが自分で乗り越えなければならない問題だし、どうせ自分が言ったところで耳を貸さないだろうという事は、試さずとも分かっているからだ。


 そんな俺の心情を察する事なく、兄さんは得意げに続けた。


「そこでだ。彼女にいい印象を持ってもらうために、まずは会話の糸口を掴みたい。お前一応彼女のクラスメイトだろ? なら、彼女の好きな物とか趣味とか聞いた事はないか? 彼女に関する事なら何でもいいから、知っているなら教えろ」

「知りませんよ、そんなの。彼女とは会話を交わした事さえないんですから」

「ふん。使えないやつめ。けど、まぁそうだろうな。彼女とお前に接点があるとも思えない。期待してはいなかったが、念のために確認しただけだ。何も知らないなら、早く出ていけ」


 兄さんに冷たく告げられ、俺は、「それでは、見合いの成功を祈っています」と心にもない言葉を送ってから、部屋を出ていった。



   §



「和泉さん、ボウルは混ぜ終えました。次は何をすればいいですか?」

「だったら、パスタを茹でてもらってもいい? その間に私はソースを作っちゃうから」

「はい。分かりました」


 GW二日目の今日、俺は本邸のキッチンで和泉さんが夕食を作るのを手伝っていた。

 十歳で離れに追いやられ、それ以来和泉さんが行う家事の手伝いを命じられたが、その事に関してだけは父に感謝している。

 周りから距離を置かれて孤独だった中、以前と変わらず優しく接してくれる彼女との会話は得難い癒やしだったし、そんな彼女から料理も教えてもらい、大抵の料理ならレシピなしでも作れるくらいの腕前になれたからだ。


「そう言えば式君。昨日の彰人君のお見合いは上手くいったの?」


 和泉さんが、フライパンでベシャメルソースを作りながら尋ねてきた。


「それが上手くいったとは言えないようで、婚約するにあたり、一つの条件を提示されたそうです」


 鍋でパスタが茹でられるのを見守りつつ、答えた。


「条件って?」

「『私は自分よりも強い人でないと結婚する気はありません。私と結ばれたいと思うのなら、その事を証明してください』──そう言われたそうです」

「えぇ⋯⋯それはまた何とも厳しい条件だね。彰人君のお見合い相手って、確かあの『氷の槍姫』って呼ばれてる七条刹那さんでしょ? 私、彼女の配信を見た事があるけど、モンスターの群れをバッタバッタと薙ぎ倒していて、素人目にも凄く強いって分かったよ。幾ら彰人君が彼女と同格のB級探索者とは言っても、彼女よりも強いと証明するのは難しいんじゃない?」

「同感です。俺も、今後の伸びしろを含めて、兄さんが彼女を超える事はあり得ないだろうと考えています」

「だよね。でも彰人君面食いだから、彼女の美少女っぷりを間近で見せられて、どうしても結婚したいって思っちゃったのかもしれないね。式君は、そんな美少女な彼女とクラスメイトなんだよね。あんな子と毎日同じ空間で過ごしてたら、健全な男子高校生としては、どうにかなっちゃうんじゃない?」

「あはは。俺は自分の分はちゃんと弁えてますからね。俺と彼女じゃ到底釣り合わないって自覚してますから、恋愛対象として見さえしなければ、ただの綺麗な女の子ですよ」

「そう簡単に割り切れるもの?」

「ええ。そんなものです」

「はぁ⋯⋯式君はまだ高校生だっていうのに、落ち着いていて何だか大人びてるね。私はもう立派な大人だっていうのに、周りからはいつまでも子供扱いされるし⋯⋯」


 和泉さんは小柄なので余計そういう印象を持たれてしまうのかもしれない。


「和泉さんは今のままでいいと思いますよ」

「むぅ。私はもっと出来る女感が出したいんですー」

「応援してますから頑張ってください」

「何かおざなりに流されてるような気がするんだけど⋯⋯まぁいいや。それで話を戻すけどその条件って、彰人君は彼女に何をやらされるの?」

「明日、一緒にダンジョンに潜ってモンスターと戦う事でその力を示すそうです。俺も兄さんに言われて、その探索に荷物持ちとして駆り出される事になりました」

「式君も? でも、失礼な言い方になるけど、式君はその⋯⋯あまり戦う事には向いていないんじゃないかって⋯⋯」


 彼女がそう思うのも無理はない。

 俺は最底辺のG級探索者なのだから。


「分かっています。俺は荷物持ちに徹して後ろで控えていて、戦闘には一切参加しないつもりですから」

「そう。それなら安心だね」


 胸を手で押さえて安堵したように溜息を吐くと、表情を引き締め直してから続けた。


「でもダンジョンにはモンスターだけじゃなく、危険な罠が仕掛けられた宝箱なんかもあるって言うからね。欲に目が眩んで無闇矢鱈にそんな物に手を出そうとしたら、めっ! だよ」


 言いながら俺の顔の前に人差し指をビシッと突きつける。

 その可愛いらしい仕草に、思わずクスリと笑ってしまった。


「はい。十分に安全マージンを取って行動します」

「それならよろしい」


 その後も二人で和やかな雰囲気の中料理を続け、それが完成する頃には、明日 、兄弟仲がよくない兄さんとほとんど接点のない七条に同行する事になったせいで感じていた重荷も、少しは軽くなっていた。


 だが、この時の俺は、まだ知らないでいた。


 明日潜る事になるダンジョンの内部で、恐怖の火種が生まれつつある事を──。



──────


新作ラブコメ『降る雪は沈む蒼の心を優しく包む〜冴えない根暗な陰キャぼっちの成り上がりリア充化プロジェクト〜』の連載も始めています。


過去にトラウマを持つ男子高校生が、ある出会いを経て、その人物の手を借りながら成り上がっていく感じの物語で、最初の内は暗い雰囲気が漂っていますが、徐々に明るい要素が増えていきます。


カクヨムに投稿を始めてまだ間もないので、拙い面もあるでしょうけれど、良ければ読んでみてください。


↓以下作品トップページへのリンクです。


https://kakuyomu.jp/works/822139841946000208


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る