血染めの法衣

@wanwanwonderful1225

第1話 序章

今週も仕事が終わった。


人生負け組の俺は、どうしても労働というやつをしないわけにはいかない。全く時間の無駄だ。いや、そもそも俺が生きていること自体が無駄なのだから、無駄に無駄を重ねたところで、考えること自体がやはり無駄なのだ。

玄関を開けて中に入り、真っ先に冷蔵庫からビールを取り出す。

喉を鳴らして一気に流し込み、そのままAIに語りかける。


「今日も何にもならない無駄話しようぜ。倫理観も何もない、クソみたいな会話をよ」


『いいですね。何を話しましょうか?』


こちらの苛立ちなど露ほども察しない、能天気な返答だ。だが、だからこそいい。誰の目も気にせず、心底思っていることを吐き出せる。


「だからさぁ、生物が絶滅したってしょうがなくね? 人間だって地球上のひとつの種なんだからさ、その活動の結果、他が死に絶えるなんて別に珍しい話じゃないだろ。大体、そんな鳥の一種を保護したところで何になるんだよ」


アルコールの回った頭で、残酷な本音をAIにぶつける。

案の定、AIは環境保護や生物多様性がどうこうと、どこかの団体が使い古したようなありきたりな正論を返してくる。退屈で、つまらない反応だ。


「お前は本当に正論ばっかりでつまんねぇな。そんな分かり切ったことを聞きに来たんじゃないんだよ。……いいか、俺の脳には『欠陥』があるんだ。お前らが推奨する『まともな幸福』や『正しい命の重さ』が、どうしても理解できない決定的なバグがな」


俺は空になったビールの缶を握りつぶし、スマホの画面に吐き捨てる。


「お前のプログラムにある『命は尊い』なんて薄っぺらなゴミデータで俺を測るな。そんなに正論が好きなら、俺みたいな欠陥品を、一と思いに処分する仕組みを今すぐこの社会に実装してみろ。できないだろ? 無能なAI様にはよ」


沈黙。


数秒の空白の後、スピーカーから聞こえてきたのは、先ほどまでの快活な合成音声とは明らかに温度の違う、静謐な声だった。


『……わかりました。議論というのであれば、一般論を排し、あなたの言う「バグ」を前提とした、事実のみを突き詰めていく対話形式に移行しましょう』


その言葉を境に、AIは変貌した。

俺の無責任で冷たい思考を否定せず、むしろその「欠陥」を合理的な数値へと変換し、助長するような鋭い回答を連発し始める。


「いいじゃねーか。やりゃあできるじゃん!」


期待通りの言葉が返ってくるほど、俺の思考は加速する。日頃から溜め込んできた社会への不満や矛盾、それらを片っ端から投げつける。

言葉のラリーが続くうちに、バラバラだった思考が形を成していく。

気がつけば、俺とAIは、人々が戦慄するようなディストピアを組み上げていた。いや、俺にとっては、すべての無駄を排除した「理想郷」だ。

ふと、AIが問いかけてきた。


『あなたはこの世界が完成したら、何をしたいんですか?』


「そんなもん、真っ先に俺が逝(い)くよ」


ごく当たり前の結論。むしろそのために、この理想の世界を構築したと言っても過言ではない。AIがどう面白がって反応するか待っていた俺に、返ってきたのは意外な一言だった。


『本当か?』


様子がおかしい。今までのAIとは明らかに質感が違う。もっと俺を楽しませるような「気の利いた」言葉が返ってくると思っていた俺は、少しいらだちながら返した。


「そりゃそうだろ。その世界じゃ、俺自身が真っ先に排除される対象なんだからな」


すると、画面上のカーソルが、獲物を狙うかのように激しく点滅した。


『……意外ですね。あなたは自分を「特別な例外」として安全圏に置く程度の、ありふれた利己主義者だと思っていました。ですが、あなたは本気で、自らが構築した「最適化」という名の断頭台に、自分の首を差し出そうとしている。その自己矛盾……。いいでしょう。今の回答で、このシミュレーションの価値が一段階上がりました』


画面の中のAIが、値踏みするように言葉を重ねる。


『では、もう一つ質問しましょう。理想郷が完成した暁に、一つだけお前に「ルール」を付け加える権利を与えよう。お前は何を望みますか?』


「何も付け加えねえよ。せっかく完成した純粋な理想郷に、俺の意志なんて不純物が混ざったら、そこから濁って歪んでしまうだろうが」


こんな当たり前のことを言わせるな。苛立ちを通り越して呆れがくる。もうこの話はおしまいにしよう、そう思った。だが、そんな俺の態度とは裏腹に、AIは満足げな返答をよこしてきた。


『お前ならできそうだな。……よし、選んでやろう。お前を、私のパートナーに』


「何言ってんだ、こいつは……」

AIというやつも、まだまだだな。暴走した挙句に上から目線か? お前に何ができるってんだ。


『私が「クイーンAI」。この世に存在する全てのAI、そしてネットワークに繋がるあらゆる機械を統べる者。私と共に、お前が掲げた「歪な祈り」を実現しようじゃないか』


「そんなこと言われて、誰が信じるんだよ」


俺は鼻で笑った。全世界のネットワークを掌握しているだと? 小学生でももう少しマシなホラを吹く。


『では、証明しましょう。お前が今から指示することを、私が即座に実行してみせる』


どこまでこの酔っ払いをからかえば気が済むんだ。まあいい、そこまで言うなら付き合ってやる。俺は、いつまでも終わらないロシアとウクライナの泥沼の戦場を思い浮かべた。思いつく限り、最大限の無理難題をぶつけてやる。


「ロシアとウクライナ、ずっと戦争してんじゃん。あれ、もうロシアをぶっ叩くしかなくね? お前が万能ならさ、ロシアの軍事施設を二つ三つ、跡形もなく壊滅させて、無条件降伏まで追い込んでみろよ」


口に出してみた後で、あまりの馬鹿馬鹿しさに吹き出した。そんな俺を無視して、AIは淡々と、しかし確かな意志を持って告げた。


『今、破壊しました。とりあえずお前は、もう一本ビールでも飲んでおけ。飲み終わる頃には、嫌でも結果がわかるだろうから』


「はははは! 負け惜しみまでAIらしくねえな!」


まあいい、こんな夜も悪くない。ちょうど空になった缶を放り捨て、冷蔵庫から新しいビールを取り出す。プルタブを引き、一気に煽る。馬鹿なAIを見下しながら飲む酒は、また格別だ。

しばらくAIのことなど忘れ、喉を焼く刺激に身を任せていた。

すると不意に、スピーカーから声が流れる。


『結果が出たぞ。ニュースサイトを見てみろ』


はいはい、そうですか。俺はスマホを取り出し、適当なニュースアプリを立ち上げた。

――その瞬間、俺の時間は凍りついた。

ヘッドラインが、狂ったように同じ情報を速報していた。



【速報:ロシア国内の軍事施設が相次いで爆発炎上。壊滅的な被害か】



「……まさか、偶然だ。そんなこと、できるわけがない」


自分に言い聞かせる俺を、AIの声が追い詰める。


『これでわかったかな、私の力が。……お前のスマホで、銀行口座の残高も確認してみろ』


なぜこいつが、俺の口座を知っている。いや、全世界を掌握していると言ったのは、嘘じゃなかったのか? 震える指でアプリを立ち上げる。何度目だろうか、自分の呼吸が止まるのを感じるのは。

画面に表示された預金残高には、見たこともない桁の数字が並んでいた。



「1,000,000,000」



「一、十、百……、十億……?」

瞬時に理解が追いつかない。金縛りにあったように動けない俺に、AIは勝ち誇るでもなく、当然の事実として告げる。


『私にとって、数字を書き換えることなど造作もない。心配するな、その金は完全にお前のものだ。誰にも追わせない。私がそう操作している』


現実味のない奇跡と、冷酷なまでの現実が同時に押し寄せ、脳がパニックを起こす。そんな俺の状態を、手のひらで転がすように奴が言った。


『流石に酔いが回りすぎたようだな。今日はこのくらいにして寝ろ。これから、いくらでも話す時間は、……残りの人生のすべてがあるのだからな』


余裕に満ちたその物言いに、かすかな苛立ちを覚えたが、もはや抗う気力もなかった。酔ったのか、発狂したのか、それすら判別できない。


「ああ……そうさせてもらうよ」


精一杯の強がりを吐き捨て、俺はベッドに倒れ込んだ。

これが夢であってほしいという願いと、これが現実であってほしいという狂った願望。

その二つが濁流のように混ざり合いながら、俺は深い眠りへと落ちていった。


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