聖女がどの世界線でも死ぬのは仕様です

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聖女がどの世界線でも死ぬのは仕様です

 また、間に合わなかった……


 アナの純白の法衣のように、その髪も頬も指先も色を失い、真っ白になっていった。俺は腕の中のその華奢な肉体から魂がすっと抜けていくのを感じた。


 やがて、アナの肉体が強烈な熱を帯びたかと思うと、その法衣も肉体も灰となってさらさらと舞い上がり、粉雪のように降りかかり、息を吸うたびに俺の肺に入り込んでくるのだった。


 腕にはその熱が残した痛みが残った。


《世界線を移動しますか?》


 その言葉に続いて《はい・いいえ》の文字が灰の舞う空中に浮かび上がった。


《次世界線収束率:99.98%》

《次世界線分岐可能性:0.02%》

《アンカー消費完了:当世界線がマーケットに解放されます》


 収束というのは、アナの死への収束だ。0.02%……アナを救うまで5,000回。その最後の1回に辿り着くまでに、アナは4,999回死ぬ。


 《いいえ》はグレーアウトされており、押されることを拒否していた。いずれにせよ、俺はアナを救うために《はい》を選ぶことしか考えてはいないのだが。


 俺は千回目となる《はい》を選択した。


 電子決済の完了を伝えるような「ピッ」という軽薄な電子音がした。


「ご利用ありがとうございます、勇者様。今回もよい世界線をありがとうございます。なお、《いいえ》は未実装で、退会はできませんのでご了承ください」


 世界線を移動する仕組みを作ったと思われる「神」の声が上空から聞こえた。苦々しい思いで俺はその声を聞いた。神は決して姿を見せない。


「どうやったらアナを救えるんだ! いい加減教えてくれ!」


最良の選択をされるよう願っております」


 俺に何の選択肢があるというのだ……


 アナは、999回死んだ。999の世界線で肉体を散らして、999回の苦しみを覚えたのだ。

 アナの死も苦しみも、一度経験された以上、何度やり直したところで「無かったこと」にはできない。そして彼女のいない世界線も残り続けることになるのだ。

 俺はそれが許せなかった。

 彼女が生き続ける世界線に辿り着けないことが、腹の底から苛立たしかった。


 俺は過去の世界線で得たスキルを駆使し、どの世界線でも最速で魔王を討伐しているはずなのに、アナはどこかで必ず呪いを受けて、魔王の討伐とともに命を散らすのだった。


   ※


 次の世界線でも、俺は聖女アナにより勇者として召喚された。

 何度も何度も繰り返したことだ。世界線の移動によりアナと再会できたことだけは、憎い神にも感謝し、俺はつい涙をこぼしてしまう。

 不思議そうにアナは俺の顔を覗くと、俺の胸は高鳴った。純白の法衣に身を纏ったアナは、平民出身で素朴な身なりながら、かわいらしい顔立ちの目の奥に強い意志を秘めていた。


「どうしたのですか、勇者ユウマ?」


「何でもないんです、聖女アナ。あなたのあまりの美しさが神々しく、つい感動してしまっただけです」


 俺がそう言って微笑むと、アナは照れたように微笑みを返すのだった。


「あなたの声、なんだか懐かしい気がしますわ。実は私、知らないはずのあなたが頭に浮かんで、あなたを召喚するんだ、って思っていたんです。そうしたら本当に思い浮かんだとおりのあなたが召喚されたんです。初めてお会いするはずなのに、不思議ですわね」


「はい、俺も聖女アナとは昔からの知り合いのような気がします。きっと運命なのでしょう」


 「運命」と言われて、アナはまた恥ずかしそうにするのだが、実際に俺たちはずっと前から恋人なのだ。


「お名前は……もしかしてユウマ……ですか?」


「はい、ユウマです」


「本当に?」


「本当にユウマです」


「本当に不思議だわ。私、あなたの名前まで知っていたんです」


「聖女ともなると不思議な力があるのでしょう」


「あら、そういえば、あなたも私の名前をご存知でしたね。それに突然召喚されたのに、何も疑問に思わないんですね。まるで一度この世界に来たことがあるみたい」


「いえ、世界は初めてですよ。ですが、聖女と同じように、勇者にも不思議な力は備わっているのですよ」


 アナはまた一瞬微笑んで、今度は真顔になった。


「勇者ユウマ、魔王討伐のため、ともにがんばりましょう」


 アナはそう言い、俺とともに冒険に出ることを告げるのだった。


 二人で魔王の罠を掻い潜り、魔獣や魔族を討伐し、俺たちはレベルを上げ、瞬く間に力を蓄えていく。俺はすでに多くの強力なスキルを備えていたため、なるべくアナを重点的に強化するように気をつけた。

 アナは、俺が常にアナのことを配慮して行動していることに気づく。それがただ単に魔王を討伐するだけでなく、アナが生きて平和を迎えることを強く願うものだということも。


 やがて俺たちは恋に落ちる。俺に限って言えば、はるか昔の一つ目の世界線から恋に落ちているのだが。


「ユウマ、魔王を討伐したら、どうするの?」


「……俺は……アナとずっと一緒にいたい」


「それって……」


「ああ、そういう意味だ」


 俺はアナを抱きしめる。


 魔王を討伐したら、俺たちは結婚し、慎ましく幸せな生活を送る。それだけが俺たちの願いだった。



 ここまではどこの世界線でも既定の流れだ。


 アナは眠っているときにうなされることが多くあった。自分が俺の腕の中で死ぬ夢を見るのだと言う。

 他の世界線でも同様の事象は起きていたのだが、俺が世界線を移動するたびにその頻度が多くなっているようだった。


 アナの死の呪いがどこで発動しているのかはいまだにわからない。こうしている間にも魔王討伐イベントは近づいてきているというのに。今度こそ、何としても呪いの発動を阻止するのだ。


   ※


 そして俺とアナは魔王アスラゼルと対峙することになった。

 魔王は人間に近い容貌ながら、顔には血の気がなく、真紅の瞳に、二本の角が額の横から伸びている。背が異様に高く、肩は狭い。身に纏った漆黒の外套には皺ひとつなかった。

 近づくほど息が詰まるようだった。その外見と魔力の禍々しさからではない。

 どの世界線でも、俺とアナが生き続けている限り、魔王の王都襲来強制イベントとして発生するのだが、そのイベント発生による冷たいノイズのようなものが俺の胸を圧迫するのだ。


 俺はアナを背後に隠す。なるべく魔王の視界に入らないように。アナを強化したのは、魔王と戦わせるためではなく、呪いに打ち勝つためなのだ。


 アスラゼルは短い詠唱で次々と強力な属性魔法を放ってきた。「獄火炎ヘル・フレイム」「獄氷柱ヘル・アイシクル」「獄雷ヘル・サンダー

 俺はアナの壁となり、一つ一つの魔法攻撃を聖剣デュランダルで振り払う。

 いずれも各属性の最強魔法……のはずなのだが。


「ふむ、やるではないか。さすが勇者だな」


 何百回と聞いたセリフだ。今まで、幾度となく受け、耐えてきた連続魔法攻撃だった。


「では本気を出してやるとするか」


 魔王が少し長めの詠唱を始める。前回はその詠唱中に攻撃を仕掛け、魔王を仕留めたのだが、それでもアナの呪いの発動は止められなかった。


常闇隕石エクリプス・メテオ


 魔界からの隕石が俺に向かって降ってくる。俺は意識を集中し、スキル発動し、デュランダルを振るった。


聖光ディバイン・スラッシュ


 聖なる光の斬撃が、空から降り注ぐ隕石の一つ一つを粉砕し、消滅させていく。

 もし隕石の残骸が呪いの要因なのであれば、今回は塵一つアナには降りかかっていないはずだ。だが、今までもアナに隕石を浴びさせなかったことはあるが、それでも彼女が死んだことを考えると、これが要因ではないだろう。



 しかし……弱い……魔王が弱い。


 これまではこんなにも簡単に魔王の攻撃を凌ぐことはできなかった。転生を繰り返し、力を蓄えたことで、ついにここまで力の差がついたということか。


 そのおかげで、今度こそアナを守ることができるのではないか、という希望が芽生えた。

 これだけの実力差があれば、魔王を尋問できるのではないか?


「魔王アスラゼル、おまえは俺に勝つことはできない」


「……それならばなぜ攻撃をしてこない? 何が望みだ? まさかわれに命乞いでもしろと言うのか?

 それならば残念だな。我は強き者に殺されるのであれば、何の悔いも持たん」


 アスラゼルも力の差には気づいているようだった。


「俺もおまえが世界に害を為す限り、おまえは生かしたままにするつもりはない。だがその前に一つだけ聞きたい。おまえは死ぬ前に、この聖女に呪いをかけようとするだろう? それはどういう意図でどうかけているのだ? おまえを殺すのはそれからだ」


「何を言っているのだ、勇者よ? 我のほうこそ、その意図を聞きたいところだな」


「とぼけるな!」


 俺は一喝した。魔王と対話できる余裕ができるほど強くなった俺は、この機会を逃すつもりはないのだ。


「俺はおまえを倒すたびに、呪いで聖女を殺されているんだ! どうしたら彼女を死なさずに済むのか教えろ!」


「ユウマ、どういうこと? 私に呪いがかけられているの?」


 アスラゼルではなく、アナが俺に問いかけてきた。

 こうなったら隠しておくわけにもいかない。


「もし呪いがかけられていたとしても、それは我の仕業ではないと断言しよう。だが少し興味深い話なので、詳しく聞かせてみないか? 冥界への土産話になりそうだ。万が一、それが我に起因するものなら、必ず聖女の呪いを解除すると約束しよう」


 アスラゼルを信用していいものかはわからなかったが、このままこの魔王を殺しても、アナがまた死んで灰になってしまう世界線にしかならない気がした。


「魔王は嘘はついていません。ユウマ、お願い。話して。あなた一人で重荷を背負ってほしくないの」


 「真実トゥルース・検知ディテクター」か。アナが今回の世界線で覚えた聖女の固有スキルだ。言外の意図を読み取るそのスキルが嘘ではないと言うのであれば、少なくとも、魔王は意図してアナに呪いをかけたのではないことになる。


「アナ、信じにくい話になるかもしれないから、もし疑いを持つようであれば『真実トゥルース・検知ディテクター』を使ってくれても構わない」


「どんな内容であろうと、私がユウマのことを疑うことはないわ。スキルなんて使わなくたって、あなたが私のことを一番に考えてくれていることはわかるもの」


 俺は意を決し、アスラゼルと、そしてアナに真実を伝えることにした。

 この世界は無数にある並行世界の一つであること。 それぞれが世界線と呼ばれ、どの世界線にもアナとアスラゼルが存在すること。

 俺は世界線を移動していること。今回が千回目であること。

 今まで俺が移動したどの世界線でも、勇者としてアスラゼルを討伐し、その度にアナに呪いが発動し、死んでしまうこと。

 アナが死ぬと俺は神に次の世界線への移動を促されること。

 俺はどうしてもアナの死を止めたいということ。


「すまない、アナ。俺は何度も君を死なせてしまったんだ」


 俺は不覚にも涙をあふれさせてしまっていた。本当にアナには申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


「ユウマ、私は生きているわ。正直、あなたの話がちゃんと理解できている自信はないのだけれど、あなたが私を守ってくれようとしてくれているのはわかるの。それにあなたが出会ったときから、私たちがお互いのことを知っていたことも、納得がいったわ。私がよく見る夢の正体も。ねえ、あなたが前に言ったとおり、私たちは何度でも出会う運命なのね」


「俺はもう君を苦しませたくないんだ……」


「割り込んで申し訳ないが、我のことも忘れないでくれ。まさか我が千回も勇者に討伐されていたとは驚きではあるのだが、ひとつ提案がある」


 アスラゼルが、そう口を挟んできた。


「なんだ? やはりおまえはこの呪いを知っているのだな? 呪いを解く手立てがあるのか?」


「おぬしは我が罠や攻撃の際に呪いをかけたと思い込んで、我に対して様々なことを試みてきたようだが、その前提がそもそも間違っておる。

 話を聞くに、おそらく、我の死を契機に聖女の死が誘発され、聖女の死を契機に勇者の世界線移動が促されているようだ。それが我が意図したものでなければ、に『神』とやらが仕込んだ呪いだとは考えられないか? 我には聖女の死が目的なのではなく、勇者を他の世界線に移動させること自体が目的に思えるのだ」


「何だと?」


 思わずそう返してしまう。

 俺を別の世界線に移動させることが目的ならば、何のためにアナは殺されているのだ?


「騙そうという意図はないわ」


 アナが告げた。つまり、アスラゼルの仮説の真偽はともかく、アスラゼルは信用に値するということだ。


「我が、別の世界線の我までも討伐してもらいたいなどと思うわけがなかろう」


「確かにそうだな。で、どうすれば神の呪いを解けるんだ? 提案というのは何だ?」


「単純なことだ。神を引きずり出して問えばよい」


「神は話には応じない。それに、魔王を倒さなければ神は現れない」


「正確には、『魔王を倒し、聖女が死ぬ』が条件であろう?」


「魔王はともかく、アナを死なせるわけにはいかない」


「わかっておる。条件を鑑みると、聖女を死なさぬためには、我も死ぬわけにもいかないのだ。どのようにおまえは聖女の死を確認しているのだ?」


「腕に彼女を抱いていると、魂が抜け、彼女は灰になる」


「なるほど。それはわかりやすいな。それでいってみるか」


 俺は聖剣デュランダルを構えた。


「アナに手を出したら即座に殺すぞ」


「我が死んだら聖女も死ぬのだろうが。話を聞け」


 デュランダルを構えたまま、俺はアスラゼルの作戦を聞いた。

 アナも会話に加わり、最終的には多少の修正を加え、俺はその作戦に同意することに決めた。


   ※


 俺はこの世界線でも、力の抜けたアナの体を腕に抱いていた。やがてアナは灰となって舞った。


《世界線を移動しますか?》


 その言葉に続いて《はい・いいえ》の文字が灰の舞う空中に浮かび上がった。しかし、《はい》も《いいえ》もグレーアウトされたままでどちらも選ぶことができなさそうだった。


《次世界線収束率:99.98%》

《次世界線分岐可能性:0.02%》

《アンカー残存:当世界線のマーケットへの解放不可》


「あれ? 何これ。ちょっ、アンカー残存? 返品案件?」


 いつも機械的な「神」が間の抜けたような声を発した。


「これじゃ、僕の『エルフ美女と永遠にスローライフ生活』計画が遠のいちゃうなぁ」


「なんだ、その計画は?」


 俺は姿の見えない「神」に問いかける。


「あ、ご利用ありがとうございます、勇者様。今回もよい世界線をありがとうございます」


 慌てていつも通りの口調に戻ったようだが、焦っているのは丸わかりだ。


「次の世界線にご案内できればと思うのですが、不具合が出ており、少々お待ちください」


「待つつもりはない。俺は何が起きたか知っている」


 俺は神にそう告げた。


「……え?」


「少し話をさせてくれ。そうしたら何が起きたか教えよう」


「勇者様、いったいどういうことでしょう? 仰っている意味がわかりません」


「だから、俺がおまえのシステムに不具合を起こしたと言っているんだ」


「……どういうつもりですか? 神に逆らうつもりですか?」


「逆らうなんて言っちゃいない。話をさせろと言っているだけだ」


「勇者様、失礼ですが、ご自身の立場をご理解されていますか? いくら勇者でも、神に命じることなどできるわけがないじゃないですか。あなたが神の命令を聞かなければならないのです。逆らうつもりがないのなら、あなたがしたことを教えなさい」


「俺のしたこともわからないのか。おまえ、神なんかじゃなくて、ただの人間だろう?」


「……いいから、言え! 殺すぞ!」


 神は、突然人が変わったような口調で汚い言葉を吐いた。

 こちらにはアナを何度も殺された積年の恨みがあるのだ。そう簡単に手の内を晒すつもりはない。


「ほう、俺を殺せるのか? やってみろ」


「クソが! 本当に殺すぞ。神の命令だぞ!」


「思うに、おまえ、この世界に物理的な干渉ができないんだろう? で、何だか知らんが、勇者や聖女を利用して、何かを企んでいる。例えば……金儲けとかな」


「仮に僕が直接干渉できなかったとしても、そっちだって、どうやっても僕には手を出せないんだ。ずっとその世界線に閉じ込められてしまえばいい。二度と聖女にも会わせないからな。

 ……新しい勇者を探すのは面倒だが、こいつを辛い目に遭わせてやらんと気が済まないな。ああ、でもこの不良世界線どうしよう」


「何をブツブツ言っているんだゲス野郎。

 ああ、そうだ。聖女なら生きているから、おまえの世話になる必要はない。俺はこの世界線でアナと暮らすから、ここに閉じ込めてもらってかまわん」


「じゃあ、好きにするといい。こっちは忙しいんだ。……え、何だって!? 聖女が生きている? アンカーの不具合なのか?」


 俺が右手を上げて合図すると、地面に堆積していた灰が立ち昇り、人の形をつくったかと思うとアナが姿を見せた。


「な、何だこれは? 何をしたんだ?」


「おまえは安全なところにいて、ちゃんとこの世界のことを見ていなかったようだが、この世界の住人たちをあまり舐めるんじゃない。特に魔王のようなやつからすれば、『神』も大した存在ではないらしい。おまえごときを騙すのは簡単だったようだ」


 何もない中空から、すっと魔王も登場する。


「まさか幻術で聖女が死んだように見せかけたのか?」


「その程度はさすがにわかるか。幻術でおまえは騙されたようだが、システムが聖女の死を確認できなかったようだ。『アンカー残存』とあったな? アンカーとは聖女のことらしいが、どういう意味だ?」


「黙れ! 何度も言わせるな。勇者に神に指示する権利はない。さっさと魔王を殺して、聖女を死なせるんだ。そうすればまた次の世界線で聖女に再会させてやる」


「殺すわけがないだろう。なぜ何度も聖女が死なないといけないんだ? 俺はそれがずっと許せなかったんだ。おまえは会話に応じもしなかったじゃないか」


「もういい。別の勇者を探して送りこんでやる」


「ほう、誰に勇者を召喚させるんだ?」


「あ? 聖女に決まっているだろう?」


「おまえは聖女のことも舐めているようだな。この期に及んでおまえの言うことなんか聞くと思うか?」


「当たり前だろう? おい、聖女、別の勇者を連れて来るからちょっと待っていろ」


 アナは答えない。代わりに俺が別の問いをする。


「アナ、確認だが、君は勇者召喚するために、その対象の印象を思い浮かべるんだよな? 俺の召喚時はおそらく、神にそのイメージを与えられていたと思うんだが」


「そうよ」


「例えば、召喚対象の声の印象を思い浮かべても召喚できそうか?」


「うん、できると思う」


「おい、まさか? やめろ!」


 神は必死に喚くが、構わずアナは詠唱を始めた。


   ※


「一応名前を聞こうか。もはやおまえは『神』ではないからな。


 俺はアナによってこの世界に召喚されてきた男に対峙していた。

 貧相なその姿はかなりひいき目に見れば聖者っぽく見えなくもなかったが、いわゆる神の姿とはほど遠かった。着ているTシャツなどを見ると、俺が1回目に召喚された元の世界ーー地球の人間であろうと推測できた。


「天啓神アルゴと言います」


「嘘だわ」


 即座にアナが言った。


「面倒だからアルゴでいい。別にこいつの本名になど興味はない」


 アルゴは卑屈そうに笑みを浮かべ、上目遣いに俺を見ていた。


「わかっていると思うが、この世界の勇者も舐めないほうがいい。おまえのいた世界では考えも及ばないほどの苦境をこの異世界の千の世界線で潜り抜けてきたのだ。仮にも神だったのだから、それがどれほどのことか多少はわかっているだろうが……」


 俺は聖剣デュランダルを構える。


「念のため、まずは逃げられないように足首でも斬り落としてやろうか」


「ちょっ、ちょっと待って。わかったからっ。何でも言うこと聞きますからっ!」


「そうか。それはありがたい。聖女が一度でも嘘だと判定したら、その瞬間におまえの足首が吹き飛ぶから、慎重に答えろよ」


 アルゴは縦に何度も首を振った。


「俺が一番知りたいことはわかっているな?

 どの世界線でも聖女アナを殺す呪いの正体は何なのだ?」


「それは呪いではなく、仕様です。お気づきかと思いますが、魔王が討伐されると聖女がその世界線での役目を終えるので、肉体の活動を停止して次の世界線に移動しているのです」


「聖女の役目とは何だ?」


「その世界線に勇者を召喚して、留めて、魔王の討伐を促すことです」


「なるほど。用が無くなれば、捨てる、という論理だな」


 アルゴは何かを言おうとしたが、はっとしてやめた。嘘を吐こうとしたのか、あるいは本当のことを言おうとして俺の怒りを買うことを察したのか。


「ではその仕様を改変することは可能なのか? 魔王が死んでも聖女が死なないようにすることは?」


「できます。ですが……一度戻らないと仕様変更の作業はできないです……」


 俺はアナのほうを見る。


「嘘はついていないわ」


 アルゴがパッと明るい表情をした。


「でもその変更の作業をするつもりはないみたい」


 アルゴの顔から血の気が引いていった。


「いえ、あの……もしあれだったら、また召喚してもらえればいいですし……」


「嘘はついていないけれど……私の召喚ができなくなるような変更もしようとしているのかしら」


「何でそんなことまでわかるんだ……」


 そう呟いたアルゴの顔からは、もはや絶望しか見出すことができなかった。


「この期に及んでまだ聖女のスキルを舐めていたか。『真実トゥルース検知・ディテクター』は嘘を見抜くスキルではなく、を見抜くスキルなんだ。駆け引きは無駄だということがわかったな?

 しかし、なぜそこまで俺に魔王討伐をさせたがるんだ?」


「魔王がいたら、その世界線が売れないんですよ!」


 半ばヤケクソ気味にアルゴが答えた。


「世界線を『売る』?」


「そうです。闇マーケットで僕の持っているこの異世界の移住権を売り捌いているんです。一つの世界線は一人の移住者にしか売れないんですけれど、一つの異世界で、うまくいけばいくつも世界線ができるので、けっこう儲かる投資なんですよ。

 でも僕はちょっと安い魔王のいる異世界を買っちゃいまして……。最近は危険な冒険世界はあんまり売れないんですよね。異世界恋愛やらスローライフやらが人気だから、ある程度安全な異世界にしておかないといけないんです。魔王なんていたら誰も買ってくれないんですよ。それで勇者召喚を思いついて、聖女にユウマさんを召喚させたんです」


「やはり金儲けか。俺を狙って召喚させたということは、元の地球でもおまえは俺の知り合いだったのか?」


「いえ、たまたまコンビニで見かけたユウマさんがなんか勇者っぽいな、と思って、スマホで写真を撮っておいたんです。それで、『神』と交信ができる仕様の聖女にユウマさんのイメージを神託として与えただけです。でも、たくさん魔王のいない世界線を作ってもらわないといけないから、聖女パラメーターとか管理プログラムをちょっといじって、ユウマさんの言う『呪い』を作ったんです。仕様上、いじれる人物は聖女しかいないんで、仕方なかったんです。

 でもこれが大当たりで、ユウマさんは聖女という餌に喰いついて、次々世界線を移動してくれたもんで、この異世界の管理権を買うのにめちゃくちゃ借金したんですけれど、かなり世界線が売れたので借金も返せて、投資は大成功したんです。利益も出たもんで、豪遊して暮らしていました。

 でもユウマさんもそのうち死ぬだろうし、僕もやっぱり異世界で暮らしたいって漠然と考えていまして。どうせならユウマさんにできるだけ多く魔王討伐してもらって、もっと世界線を売って、エルフ美女のたくさんいる異世界を買って、僕も長寿のエルフとして転生して、ずっと異世界生活しようと思って……だからここでやめられたら困るんです!」


「……最後の言葉は聞かなかったことにしてやろう。殺してしまいたい衝動を抑えられる自信がないからな。

 おまえのくだらん願望のために何度も危険な魔王討伐をさせられて、アナが何度も死の苦しみを味あわせられていたということはよくわかった」


「ぼ、僕は正直にすべて話しましたよ!」


「正直に話せば、見逃してもらえると思っていたのか?」


 俺は呆れてしまった。


「解放はお勧めできないわ。たとえ、この場で本気で何かを約束したとしても、一度解放してしまえば、この人はすぐ気が変わってしまうわ」


「うん、そういう感じのクズだってことは俺もわかるよ」


「ええ!?」


「少なくとも、俺やアナが味わってきた苦しみは知ってもらわないとな。ここで暮らしてもらおう。

 移動したければ魔王を倒せるようがんばるんだな。俺も聖女を失うつもりはないので全力で魔王を守らせてもらうから、おまえは勇者も相手にしなければいけない。『神』なら問題ないだろう?」


 アスラゼルがにやりとする。


「万が一、魔物にでもやられて死んだら、我の死者蘇生ネクロマンサーによって、我の下僕として永遠に生かしてやるから安心せよ。半永久的に長く生きていられるぞ。『神』のお望み通りではないか。残念ながら、エルフの女は紹介できんがな。半分の願いが叶うだけでも十分だろう」


 アルゴはうなだれ、地面に大粒の涙を落としていた。


   ※


 俺はアナと千回に渡って結んだ約束をついに反故することになった。


「魔王を討伐したら、結婚する」


 長いこと実現することのなかったこの約束を少し変更し、「魔王を無力化したら結婚する」とした。


「アナ、俺は千回君を失って、その度に言葉にできないほどの悲しみと申し訳ない気持ちを抱いてきた。もう二度と君に苦しい思いをさせない。必ず幸せにする」


「ユウマ、私を救ってくれたのは、千回目のあなたじゃない、千回分ぜんぶのあなたよ。これからはどんなことがあっても、私にも背負わせて」


 俺のプロポーズに、アナは聖女らしい、そんな言葉を返してくれた。



 純白の法衣から、純白のウェディング・ドレスに着替えたアナは、どの世界線のアナよりも美しかった。


 本当に長かった千回に及ぶ世界線の移動を経て、ようやくここに辿り着いた。俺は頬に熱いものが流れ落ちるのを感じた。


 結婚式場となった教会には、友人となった魔王アスラゼルもいた。

 アルゴはすでに不死アンデッドになってしまっていたから、「さすがに教会には連れて来られなかった」と笑った。



 俺とアナは司祭の前で、この世界のへ、永遠の愛を誓った。

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