第4話 命の価値



 夜半過ぎ、荒い息と咳き込む音に安曇はそっと叔父の背を見る。


「ゴホッ……ゴホッ……ゲホッ」


 決して弱音は吐かないし、泣き言も言わない。それはどんな気持ちだろうか。


 庭の灯篭の明かりが、障子越しに室内を薄く照らしている。

 隣で横になっていた叔父の咳き込みは、少しずつ隠しきれなくなったようだ。


「……」


 安曇が起きていることに気づかない叔父でもない。


 深夜の静寂に逆らうように、叔父は起き上がって柱にもたれかかった。


「……ッ」


 衣擦れと、何かを探るような動き。そしてカチッと火を灯す音。見ないフリをして目を閉じている安曇の元に、甘く苦い匂いが漂ってくる。


(泊まらない方が良かったかな……)


 叔父のためには。

 でも──


「……安曇」


 弱みを見せたがらない人だから、いっそ寝たフリがいいのかもしれない。安曇は静かに息を潜める。


「起きてんだろ?」


 軽く笑うような声に、安曇は観念して目を開けた。


「……うん」


 声にはやはり弱いところなどなく、いつもと変わらない少しからかうような口調。


「付き合えよ」


「……うん」


 安曇は掛け布団を持って、叔父の元へと歩いていく。薄闇の中、叔父は少し意外そうな顔をしていた。


 叔父にくっつくように座って叔父と自分に掛け布団をかけると、叔父はクックッと笑ってまた咳き込んだ。


「可愛いことするよな」


「そう?」


 叔父の体温は低くて、ピタリとついた体は骨と皮だけのように細かった。


「お前は温かいな」


「叔父さんは冷たいよ」


「……かもな」


 叔父は安曇を抱き寄せるように抱えると、煙管の煙をフッと吐く。


「叔父さんはさ」


「ん?」


「死ぬの……怖くないの?」


 どうして呪いを受け入れているのか不思議だった。


(僕は、どうにかしてでも生きてほしいのに……)


「ふむ。別に死にたいわけでもねぇが……まあ、お前と同じだと思うぞ」


「?」


 叔父はまた笑ったようだった。窓を背にした叔父の表情は、くっついている安曇からはよく見えない。


「お前はさ、自分の命が軽いやつだろう」


「え」


 死にたいなんて思ったことはない。安曇は目を瞬かせた。

 叔父はそんな安曇を見て考えるようにしたあと、煙管をスッと動かす。


「そうだな……。お前にとって何よりも成したい目的のためなら、お前は命も捨てるだろ」


「うん」


 これは即答だった。

 難しい目的であればあるほど、その程度で達成できるのなら気兼ねなく捨てるだろう。


「そういうことだ。俺たちは、自分の命の価値を一番上にしない」


「……?」


 それは当たり前の話ではないだろうか。安曇は首を傾げた。


(生きてることが必要ならともかく……)


 悩みあぐねていると、叔父がくくっと喉を鳴らす。


「お前もまだまだガキだねぇ」


「……は?」


 少しムッとしたように安曇が顔を上げると、叔父はケラケラと笑い出す。途中で咳き込んでも笑っている叔父に、安曇は更に眉根を寄せる。


「死にたくないやつは死にたくない。何がなんでもしがみつく。けどお前も俺も、そんなのどうでもいいだろ」


「……」


(納得はしてないけど……)


 つまり……この叔父に呪いで死んででも得たいものがあるということか。

 安曇は薄闇の中、叔父の顔を盗み見る。


 この叔父が選んだものとは何だろう。親しい相手すらなくいつもひとりでいるような人だから、安曇には想像がつかない。


「まあ、わからなくてもいい。理解したところでお前は変わらねぇよ」


 安曇もきっと呪いを受けとる……ということだろうか。


 何のためなら、選ぶだろう。

 安曇は思案しながら、チラリと目の前の叔父を見る。


(たぶん)


 この人に関する何かな気がする。


 夜が更けていく。

 甘く苦い煙に揺られて、少しずつ思考が曖昧になっていく。その中で、叔父は低く笑った。


「お前もでかくなったよな。ガキの頃はひ弱だったのに」


「叔父さんに鍛えられたんじゃん」


 それはもう、スパルタだった。訓練後に吐いたこともあるくらいに。


「おかげで強くなったろうが。自慢の弟子だ」


「……初めて褒められた」


 まるで、別れの準備のようで苦しくなる。

 安曇を抱える体も指も少し震えているから、安曇はグッと目に力を入れて叔父に抱きついた。


「別に嘘はいってねぇだろ。周りの連中は気づいてないけどな、お前はすごいやつだよ」


「……」


 叔父は煙管を咥えると、懐かしむような声音で安曇を見る。


「昔、兄貴──お前の親父と話をしたことがある」


「?」


「兄貴はさ、『総司は堅物だが、上手く導けば大物になる。だが、安曇はどうなるのか全くわからん』って言ってたよ」


「……」


 父は兄を評価している。それは知っている。

 安曇から見ても兄は実直で、良くも悪くも真面目だと思う。当主を継ぎたいという意気込みもある。


「だから俺は言ったんだよ」


 叔父はクスクス笑うと、安曇の顔を覗き込んだ。暗がりでもわかるほどやつれた顔には、それでもはっきりと信頼の色が宿っていた。


「安曇は、『安曇がなりたいものになる』ってな」


 思わず息を飲んだ。


 ──なりたいものに、なる。


「お前はお前が決めた道にしか進まない。それが世間的に良いものか悪いものかは関係ねぇ。だが、なりたいものになれる、そういう人間だ」


「僕は……」


 いつもはスっと出てくる言葉も、叔父を前にすると普通の子供のように迷ってしまう。


 やりたいことはただひとつ。

 今この瞬間にも手から零れ落ちそうなそれを、救える人間になれるだろうか?

 それとも叔父が見ている未来の安曇は、全く違うものに手を伸ばすのか。


(何ができるだろう。いくらでも、なんでもやるのに)


 そんな安曇の様子を見て、叔父は小さく笑った。


「俺の見立てを証明しろよ、安曇」


 叔父はそっと、安曇の目を手で覆う。

 咳き込む音と振動が、震えが伝わってきても、安曇はその手をどけようと思わなかった。


「……わかった」


「おう」


 夜は深く──

 この眠れぬ夜が永遠に続いてもいいんじゃないかと思うほど、その手の温度を失いたくないと思った。






「チャーンチャーラチャチャチャチャ!」


 黒鉄組の朝は、殺意から始まる。


 叔父の腕の中でうつらうつらしていたらしい安曇は、思わず周囲を見回してそこが叔父の部屋であることを思い出した。


「はは、いい目覚ましだよなぁ」


 叔父は夜と変わらぬ体制のまま、クスクスと笑う。


「いや、うるさいよ」


「気にすんな。風物詩みてーなもんだぞ」


「腕を前に上げて~!」


「……」


 安曇が沈黙すると、叔父はケラケラと笑った。


(叔父さんが楽しいのなら良いか……)


 いや──

 昨日よりさらに顔色が悪い叔父に、さすがに喉まで言葉が出かける。


「……」


 火鉢の中の煙管の灰は昨日よりずっと増えていて、安曇は目を伏せ息を整えた。





 布団を片付け、軽く出発の打ち合わせをして部屋を出る。


「準備してくる」


「おー、行ってこい」


 叔父は軽く頷く。


 しかし、閉めた襖の向こうで、激しく咳き込む音が聞こえた。


「……」



 ──戻った時、叔父はもう立つことが出来なかった。

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