最強竜王(笑)は現代社会にドラゴン帝国を築きたい!
雨丸 令
第1話 かつての竜王、今はポチ
「ほら、お手」
頭上から降ってきたのは、気だるげな、しかし絶対的な命令だった。視線を上げればそこにはこたつで丸くなりスマホをいじる女子高生――轟木アリスの姿がある。
(貴様……! この我に向かって『お手』だと……!?)
我はラグナトゥス。『終焉の竜王』ラグナトゥスである。
異世界アーテルにおいてあらゆる種族を恐怖のドン底に叩き落とし、神々すらも捻じ伏せた最強にして最高の絶対強者。それこそが我という竜なのだ。
そんな至高の存在に対し芸を強要するなど、万死に値するッ!
(その不敬、山を砕き、海すら枯らす我が咆哮で吹き飛ばしてやる――!!!)
「……ポチ、聞いてる?」
「――ッ!?」
アリスの視線がわずかに鋭くなる。ビクッ。我の身体が震えた。
次の瞬間、我の身体は思考よりも速く反応していた。
スッ。右の前足が滑らかに、そして恭しくアリスの差し出した小さな掌の上に乗せられる。……傍から見ずとも分かる、完璧なお手の姿勢だった。
満足げに頷くアリス。
我の身体はプルプル震えていた。
「よし、いい子」
「キュゥ……」
(屈辱だ……! 身体が勝手に生存本能に従うこの事実が、何より屈辱だ……!)
情けない鳴き声が喉から漏れる。
かつては強者を見抜き、それを喰い破る為に利用してきた竜としての本能。それが今やこの娘(アリス)の愛玩動物に擬態する為の技術に成り下がっている。
その事実がとても情けなく、そして惨めだった。
アリスが手元の袋から「オレンジ色の棒状の物体」を取り出す。
「ほい、ご褒美」
そして――放り投げた。
それは地球の庶民が愛するスナック菓子、『かっぱえびやん』。
海老の香り空を舞う。
我の動体視力が自動でそれを追尾する。
プライドは「拾うな」と叫んでいる。
(無視だ。無視するんだ我! 食い物を与えられて尻尾を振るなど、愛玩動物の振る舞い。我は竜。世界最強の竜王だぞ!? このような誘惑に敗北するなど――!)
だが本能は正直だ。尻尾はブンブン振られ、口はあんぐり開かれた。
パクッ。サクサク。
(う、美味い! なんだこの絶妙な塩加減! やめられない、とまらない……!)
暴力的な塩分と油分の旨味。
我は涙を流しながらそれを咀嚼した。
また敗北してしまった。
また。菓子如きに。
なぜだ。我はどこで間違えたというのだ?
僅か三ヶ月前、我は確かに世界の覇者だったはずなのに。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
記憶の中の光景は、今も鮮明に輝き続けている。
異世界アーテル。決戦の地『嘆きの平原』。
暗雲が空を覆い尽くし、大地が轟々と音を立てて燃えていた。
眼下には『多種族連合軍』の兵士が数万人。人間、エルフ、ドワーフ、魔族。その他にも様々な種族が、我を殺すため、まるで蟻のように群がっていた。
『覚悟しろ魔竜! 今日こそ貴様の最後だ!』
勇者の叫びを我は鼻で笑ったものだ。
覚悟しろ、だと?
我には圧倒的な魔力がある。絶対的な防御力を誇る鱗がある。爪を一振りすれば奴ら等軽く吹き飛び、ブレスを吐けば精鋭部隊すら灰燼と化してしまう。
そんな様でいったい何を覚悟しろと言うのか、と。
……だが、奴らはイカレていた。我を倒すため個を捨てたのだ。
己の命を投げ捨てた無茶苦茶な特攻。
魂すら燃やし尽くすような魔法の行使。
種族のため、仲間の為に自らを投げ打って戦う『多種族連合軍』の兵士たち。その異様な姿に、僅かとはいえ気圧されてしまった。……その事実は認めねばならん。
そしてその瞬間、奴らの仕掛けた魔法が完成しかけた。
――極大封印魔法『エテルヌム・ウィンクルム』。
あらゆる存在を永遠に鎖に繋ぎ止める、恐ろしくも強力な魔法。
受けてしまえば、我ですら逃れる事が出来ない悍ましい術だ。
だから我は……撤退を選ぶしかなかった。
(ふん。ここで封印される訳にはいかんか。世界を征服するため、そしてドラゴン帝国を再び築き上げるために。……よかろう。この世界はしばし貴様らに譲ってやる)
我は敗走したのではない。「戦略的撤退」を選んだのだ。
己自身にそう言い訳して、我はこじ開けた次元の裂け目へと飛び込んだ。
背後からは、『多種族連合軍』兵士たちの勝ち鬨が聞こえていた。
そうして辿り着いたのは、まったく未知の世界だった。
空を覆い尽くす巨大な摩天楼。高速で道を行き交う鉄の馬車。辺りは四角い板を持つ人間どもで溢れ、誰も彼もがつまらない表情でそれを眺めながら歩いている。
更には音だ。雑多な音が空間を支配しており、我は眩暈がしそうだった。
(なんだこの世界はッ! 魔力がほぼ感じられないとは、ここは地獄かッ!?」
そして何より有り得ないと感じたのは、この世界の魔力の量。
その量、なんと『アーテル』の凡そ数百分の一程度。
……あまりに少なすぎる! これっぽっちでは世界に君臨するどころか、竜体を維持する魔力すら十分に確保する事が出来ない!
このままでは一日どころか、一時間すら保たないかもしれない。
(くっ……! ……しかし、考えようによってはチャンスか。魔力がないという事は強大な力を持った個人が生まれづらいという事でもある。我は竜王ラグナトゥス。勇者たちのような英雄がいない限り、魔力がなくとも我を止められる者はおらん)
この未開の地で新たな『ドラゴン帝国』を築き上げる。
そのためにここで力を蓄え、原住民どもを支配下に置く。
(そしていずれは軍勢を率いてアーテルへと帰還し、今度こそあの生意気な勇者どもを皆殺しにする――ッ!!!)
そうだ。我はあの時、本気でそう思っていたのだ。
……だが、そう意気込んでいられたのは僅かな間だけだった。
この『日本』という国の実態を知るまでの、ほんの僅かな。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
時は戻って現代。
「へっくしょん!!」
盛大にくしゃみをするアリス。
その拍子に彼女の手から滑り落ちるスマホ。ゆっくりとコンクリートの床へと近付いていき、今にも床へとぶつかりそうな――まさにその瞬間だった。
――ヒュンッ!!
空気が破裂する。
残像すら見えない速度で動かされたアリスの手。床に激突する寸前のスマホを見事空中でキャッチ。壊さないよう優しく、しかし速やかに彼女の手元へ戻された。
そんな感じで、アリスのスマホは無事破壊を免れた訳だ。
一見すると見事な反射神経だ、としか言えない。
やった事と言えば落とした物を拾っただけ。落とした物を落ち切る前にキャッチする反射神経こそ素晴らしいの一言だが、逆に言えばそれ以上に言う事もない。
そのくらいなら我でも出来る。物を壊さないかは心配ではあるが。
だが……問題はそこじゃない。速度だ。速度がおかしかった。
アリスの動きは、明らかに音速を超えていた。
結果。
ドォォォォォンッ!!!
キャッチした瞬間に衝撃波が発生。粉々に砕け散る窓ガラス。激しく舞い上がるピンクのカーテン。部屋の畳すら、起きた衝撃で少し表面が乱れたくらいだ。
6畳間の空間が、たった一瞬で小規模な爆発現場のようになった。
「あー、やっば。また窓割っちゃった」
割れたガラスの海の中で、アリスは面倒臭そうに頭をかいていた。
まるでこの程度、なんでもない事のように。
(ヒィッ……!!)
我は咄嗟にこたつの奥底へと逃げ込み、震えた。
おかしい。どう考えてもおかしい……!
あの一瞬、彼女は特別な事など一切していなかった。
魔法を使った訳じゃない。
魔力で強化した訳でもない。
神の加護を受けた訳でもない。
ただ純粋な『筋力』と『反射神経』だけで衝撃波を生み出したのだ。
(そんな事が有り得るか!? アーテルの勇者が放つ聖剣の必殺技すら、あそこまでの衝撃波は生み出せなかった! それなのにこやつ、くしゃみのついでに……ッ!)
恐ろしい! あまりにも恐ろしすぎる力だ……!!
なによりあれを放ってもなお平然としているのがより恐ろしかった。
更にだ。
「うるさいわよアリスちゃん! お昼寝の邪魔しないでって言ってるでしょ!!!」
隣から響く老婆の怒号。それと共に内側へ膨らむ壁!
無理矢理膨らまされた隣の部屋との境界(壁)がメリメリ悲鳴を上げている。
隣人だ。隣の部屋に住む佐藤さん。
彼女は見た目温厚な老婆だが、『念動力』で家事を済ませる怪物でもある。
以前我があいさつ代わりの咆哮を上げたら、不可視の力で地面に埋められた。竜王たる我が反逆する暇もなく、一方的にだ。
それ以来あの老婆に逆らえない。逆らったらまた埋められるからだ。
(ひ、ひぃ……っ! ごめんなさい、我じゃないです! この女です!!)
前足で頭を抱え、小さく丸まって必死に気配を殺す。
ここは『未開の地』などではない。
勇者よりも、魔王よりも凶悪なバケモノたちが、平然と日常生活を営む『魔境(修羅の国)』だったのだ。
この世界を支配下に置く? 過去の我はいったい何を言っているのか。
「あーあ、佐藤さんに怒られちゃった。……ん? ポチ、どこ行った?」
めくられるこたつ布団。光が差し込み、震える我とアリスの目が合った。
その瞳に殺意はない。殺意すらもない。
あるのは、ペットを愛でる純粋な慈愛のみ。
……それが逆に恐ろしく、なにより激しい屈辱を感じさせた。
「よしよし、怖かったねー。ほら、えびやんもう一個あげる」
差し出された海老の香り。またしても我の口が勝手に開く。
サクサク。サクサク。
……美味い。病み付きになる味だ。
(くっ……! 今は耐えるのだ、ラグナトゥスよっ!!)
口元のクズを舐め取りながら、我は誓った。
目尻に涙を浮かべつつ。
(生き延びる。何としてでも生き延びて、いつかこの家の主導権を握る……! まずはこの悪魔(アリス)から、今夜のハンバーグを死守する事から始めるのだ!!!)
最強の竜王(笑)の長くて過酷な地球征服が、今始まった。
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