優しい悪魔の身勝手な女王様

音央とお

優しい悪魔と女王様



――人生の終わりを、人は選べないはずなのに。少女は声高らかに言った。


「チェンジ!! 私の命をくれてやるなら、イケメン連れて来い!」


その瞳は力強く、彼女の担当である死神は愕然としたという。




*   *   *




万人が対象ではないが、人の死の陰に死神が付き纏うことがあるという。死神に選ばれるのはランダムで、あみだくじで負けたようなもの。世界の微調整のために命を奪われるという理不尽極まりないことではあったのだが……


「……好みじゃないからチェンジって言われた」


そう言って肩を落としているのはceroセロ。この仕事に就いて5年になる。

可もなく不可もない顔立ちは、人間の中にスッと紛れ込む親しみやすさがあった。……やってることは、近付いた人の命を狩ることであるが。


「いやいや、チェンジとか出来るわけないだろう。そんな前例は聞いたことがない。ボスが許すとも思えない」


話を聞いているnilニルは開いた口が閉じられなくなった。こちらはかなりの美丈夫で、その美しさに魅了されたまま命を狩られるという、優しい悪魔・・・・・の異名を持つ男だった。

セロよりも少しだけこの職務の経験が長いが、死神の世界では下っ端だ。


「おとなしそうな女の子だったんだ。まさかそれが見た目だけで、あんなに強い気質だとは思わなかった……」

「それで帰ってきたのか」


前代未聞のことである。

心が折れた様子のセロはニルに泣きついた。


「頼む! 付いてきてくれ! 一人であの子と対峙したくない」


情けない頼みであるが、あまりの必死さにおかしくなったニルは、気まぐれで付き添うことにした。




*   *   *




日本という国の地方都市にその少女はいた。

16歳の女子高生というやつで、白いスカーフの真っ黒なセーラー服を身に着けている。


「は? また来たの?」


第一声がこれである。

セロは既に涙目である。よくこの職務が務まっているという気弱な彼は、すぐに物陰に隠れている同僚に助けを求めた。


ニルはやれやれと言ったふうに笑いながら、少女――リカの目の前に立った。二人の身長差は大きく、リカは首を痛くなるほど上げ、目を見開いた。


「ちょっとお嬢さん。我が儘ばかり言って、コイツを困らせないでよ」

「……」

「聞いてる?」


顔を近づけられたリカは「……いい」と呟いた。

よく聞こえなかったニルは「なんて?」と耳を傾ける。


「……あなたがいい。あなたになら、命をあげるわ」


「「は?」」と死神二人の言葉が重なる。

うっとりとした表情だが、その目は死神以上の捕食者だった。向けられたニルが身震いするくらいだった。


「こっちは16年しか生きられてないの。これから出会うかもしれなかったイケメンと恋も出来ず、勝手に死んでくれとかふざけてる。死ぬなら死ぬで、私の思い通りにさせなさい!」


自分の命の主導権は絶対に渡さないという意思を感じる。

睨まれたセロは震え上がった。

これまでどんな怖い相手も、小さな子どもでも、これが仕事と割り切って鎌を振り下ろしていたのに、後ろに隠し持っていたそれから手を離してしまう。

意気消沈した彼は「……帰っていい?」と諦めモードだ。


「いやいや、職務放棄が許されるわけないだろう」


逃げ腰のセロの首根っこをニルが掴む。


「無理無理無理!! この子に鎌を振り上げるとか僕には無理! 殺られる、こっちが殺られてしまう!!」


たかが人間に死神を殺せるわけがない。

それなのにこの怯えようである。それくらいの強さがリカの不敵な笑みには圧があった。


「……で、チェンジの手続きは出来るの?」


袖口を引っ張られたニルは「出来ません」とため息をついた。




*   *   *




「お願いです、リカさん。あなたの命を「……はあ?」」


最後まで言わせてくれなかったことに、セロは両手で顔を覆った。隠してはいるが泣いているのは明らかで、その肩は震えている。


日曜日のファミレスという平和な空間で、死神二人とリカはテーブルを挟んで向き合っていた。

コーヒーカップを置く音ひとつで、セロは相手の機嫌を窺っておびえている。


ニルは「なんで俺がこんなところにいるのか」と自分に問いかけてしまった。

セロが仕事にならないことを上司に伝えれば「担当変更とかは無理だから。君も同行して。頼んだからね」などと言われてしまった。説得係になれという。

何もかもが前代未聞の規格外。それがリカという女だった。


視線を向けられただけで、ニルはタジタジになる。

少女の容姿は人間の中では優れたほうだろう。

どのパーツも整っており、やや吊り上がった目尻が気の強さを表しているようだった。


「……」


黙っているだけで怖い。

何もされていないのに、今日も死神二人は肩を落として帰っていくことになるのだった。




*   *   *




セロが職務怠慢となって、あっという間に3ヶ月が過ぎた。

最近では説得係のニルだけがリカに会いに来ている。

死神の対象者は複数人いるため、セロは逃げるように他の仕事に奔走していた。ハイペースと言って良いほどの成果を上げているらしい……。


日本の季節は夏に移り変わろうとしている。

リカのセーラー服も白い半袖になり、華奢な腕が露わになる。


「……こんなことに何の意味があるのかしら」


持っていたシャープペンシルをくるくると回しながら、リカが口を開いた。

ファミレスでテスト勉強を始めた彼女はニルに嘆き始めた。


「どうせ死ぬって分かっているのに、テスト勉強なんて無駄じゃない? 海でも見に行きたいわ」


言い分はもっともである。

そのだらけた思考になることは人間らしさ。

意味のないことほど、人を無気力にさせるものはない。


「だったら、その命を渡すか?」


返事は分かっているのに、ニルは問う。

案の定、リカは呆れたような目を向けてくる。


「嫌よ。テストくらいであげるわけないでしょ」


やる気を取り戻したようにシャープペンシルを走らせる。

その動きを追っていたニルは、この3ヶ月の間に感じていた問いを投げかける。


「イケメンの恋人が出来たら、その命を渡せるか?」


ピタリと筆記が止まる。

リカは片眉を上げ、暫しの沈黙のあとに答えた。


「そうね、それが一番の未練だから、いいかもね。彼氏の派遣でもしてくれるの?」


挑発的な笑みに、ニルは両手を上げて見せる。


「その仕事は管轄外だ」

「それは残念」

「全くだ」


シャープペンシルが円を描く。

これは考えている時のリカの癖なのかもしれない。

やがて動きを止め、ぽつりと呟きが落ちる。


「彼氏、作ってみようかしら」




*   *   *




らしいと言えばらしい。そうニルは思った。


思い立ったら即行動と言わんばかりに、リカは合コンに顔を出した。

ろくに仲良くもない同級生の話を聞きつけ「それって参加できる?」と微笑んだ。もちろん相手は戸惑いを隠していなかったが、NOとはとても言えない圧があった。……ニルはそっと手を合わせた。


「リカです、今日はよろしく」


見目は良く、一見おとなしそうな雰囲気のリカが微笑めば、集められた男子たちが色めき立った。

そっとその様子を見守っていたニルは、育ちも容姿も良さそうな男子たちに手応えを感じていた。

これならば、誰か一人はリカのお眼鏡にかなうだろう、と。


「ハズレだわ」


連絡先が書かれた二枚の紙を破り捨て、リカはため息をついた。「嘘だろ……」とニルは嘆く。


「やっぱり合コンに来るような男はダメ。それが分かった」

「話が盛り上がっていたように見えたが?」

「合わせたに決まってるでしょ。私だって、幹事の顔くらいは立てるわ」


意外な気遣いである。

「もう合コンはいいわ。別のルートを探す」というが、そうそう出会いは転がっていなかった。




*   *   *




リカは大学生になった。

近頃では、夏と冬にリカの好物を持って挨拶に来るだけしかセロはしていない。

「お中元とお歳暮みたいね」とリカは表現している。


高校生の頃よりも交流の場が増え、親密な異性も現れた。

それでもリカは眉を寄せ、首を横に振る。


「いい人だけど、顔が好みじゃないの」


ルッキズムが炸裂している。ここまでハッキリとしていれば、気持ちが良いくらいだった。


「そんなことより日曜日は暇? 今年も夏祭りに行きましょう。あなた、意外とあの雰囲気好きでしょ」


ニルを使い勝手の良い同伴者としてリカは活用していた。ナンパ避けに使われているらしい。

見抜かれていたニルが複雑そうに頷けば、満足げに笑われた。



*   *   *




傍目には若い恋人に見られているであろう、リカとニルは浴衣を身に着けていた。リカは形に拘るところがあるらしく、準備オシャレにも時間をかけていた。


「どう? 惚れた?」


くるりと回って見せるリカに「まさか」とニルは返す。


「それは残念だわ。あなたは素敵よ」


出会った時から見た目が好みだと口にされている。

いつもの反応だとニルは流した。


「はい、あーん」


大きな綿菓子を差し出され、ニルは口に含んだ。反対側をリカが食べ、口元を舐めた。口の中に甘ったるさが残る。


「あなたってこうしてると人間と変わらないわよね」

「そうか?」

「歳だけは変わらないみたいだから、そのうち私が追いついて追い抜いちゃうわね」


悔しげな横顔に、この時間はいつまで続くのだろうかとニルは考える。すっかりここにいることに馴染んでしまっていた。


「花火を見に行きましょ。はぐれるから手を貸して」


そっと手が繋がれる。

「あなたって手まで素敵なのね」と言われ、ニルは「なんだそれ」と返した。

二人は肩を並べ、人混みへと消えていく。




*   *   *




リカの周りが結婚をし、出産を経験することが増えた。

それに「良かったわね」と微笑むリカに焦りはない。


「どうせ死ぬんだし、未練の存在を残したくないわ」などと達観したことを口にした時には、ニルのほうが顔をしかめてしまった。自分が死神の対象者であることは忘れていないらしい。


「リカさん、お久しぶり」


久しぶりに顔を出したセロは、笑みを浮かべている。

出会った当初の刺々しさがいくらか抜けたリカに怯えることが減ったせいだろう。

今なら鎌を振るえそうなのに、それを手放している。同僚として指摘するべきなのにニルも触れなかった。


「いつもありがとう」


高級店のケーキを渡され、リカも満足げだ。

セロはそこそこの役職に就いており、先輩であったはずのニルよりも上に立っている。役職など興味のないニルは一切気にしていないが。


「お茶を入れるわ。みんなで食べましょう」


死神を家に招き入れるリカも、すっかり板についてしまっていた。




*   *   *




リカの目尻に皺が増え、鏡を見ながら文句を口にしている。


「あなたと一緒にいるところを知り合いに見られていたみたいで、素敵な息子さんねって言われたわ」


これにはニルも面食らう。


「こんな母親を持ったつもりはない」

「それはこっちのセリフよ。褒められているのに、全然鼻高々になれないわ」


もう恋人に間違われないほど時間が経ってしまった。

いつだって挑発的な眼差しは16歳の頃と変わらないのに、すっかり印象が変わってしまったなとニルは感じていた。




*   *   *




年老いても、その背筋が真っ直ぐ伸びているのがリカらしい。年齢よりも若々しさがあるものの、リカの手は皺くちゃになっている。


「あなたの手を借りて、階段を歩く日が来るとは思わなかったわ」


ゆっくりゆっくりとリカは段差を歩く。

「やっぱり素敵な手をしてる」とブレない感性を口にする。その足元では夕日が二人の影を濃くしていた。


「……昨日、セロさんがご馳走を持ってやって来たわ。上司ボスが変わって、仕事が大変って絡み酒されちゃった」

「何してんだ、アイツ……」

「ふふ、とっても楽しかったわ。本人は覚えていないだろうけど、初対面で失礼なことを口にしたこと謝ったの。彼の親しみやすい顔も今では好きよ」


ニルの背筋が冷えた。

震えを隠しながら「しおらしくなって、どうした?」とからかう。


そんな態度を大人になったリカは受け流し、口元に口を描く。


「あなた、私の担当になったそうじゃない」


息を呑んだ。

ニルは目を見開く。「なんで……ああ、セロか」と苦いものを口にしたような表情をしている。


「彼も言うつもりは無かったんでしょうね。酔っ払いすぎたわ。……水臭いわね、早く言ってくれればいいのに」

「言えるわけがないだろう」


なんで?とはリカは口にしない。


高校生たちが笑いながら、二人とすれ違った。リカはそれを優しい眼差しで見送り、「また高校生からやり直せないかしら」と呟く。


「あなたみたいなイケメンが側にいたせいで、ろくなロマンスに出会えなかった」

「……人のせいにするのか?」

「するわよ。あなた、優しい悪魔みたい。とっても厄介だわ」


リカに話したことがない異名が飛び出し、ニルは頭を掻いた。


「まあ、悪くなかったわ」


そっと繋いだ手が離される。

ぬくもりを名残惜しむようにゆっくりと。


「セロもあなたも死神に向いてないわよ、お人好し過ぎる。私のほうがきっと向いてるわ。雇用してもらえないかしら?」

「やめてくれ、誰も敵わない」

「死神って本当に万能じゃないわね。素敵な恋人も紹介してくれないし」


そう軽口を叩いたかと思えば、リカの瞳に強い光が宿る。誰も逆らえない強い光だ。


「そろそろ寿命がきそうなの、あなたも分かっているわよね?」


ニルは口を閉ざす。それが答えだった。


「もういいわよ。約束でしょう?……あなたがいい。あなたになら、命をあげるわ」


置いた姿に、あの日のリカが重なる。

隠していた鎌にニルは手を伸ばす。抗わせてくれない瞳から目を逸らせないまま、震える手に力を込める。


初めて、仕事を後悔した。それを受け入れるしかない自分にも。


「チェンジは不可だからね?」


まるで少女のような笑みだった。

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