4.明日へのログイン

「さて、どうする? このSSR(スーパースペシャルレア)の皿と、SSRの肉」

 ひとしきり笑った後、匠が涙を拭きながら言った。

「決まってるでしょ」

 真帆は立ち上がり、匠が買ってきたばかりの皿を丁寧に拭うと、そこに鍋から直接、大きな肉の塊とシチューをたっぷりと注いだ。

 藍色の器に、褐色のソースが艶やかに映える。それは美術館に飾れそうなほど美しかった。

「はい、匠。あなたが使いなさい」

「いや、真帆が使えよ。俺はタッパーでいい」

「だめよ。苦労して買ってきたんだから、オーナーが使うべきだわ」

「じゃあ、半分こか?」

「それこそ、このお皿の品格に関わるわ」

 結局、二人はじゃんけんをした。

 負けた真帆が、ちぐはぐなパン皿にシチューをよそい、勝った匠が特等席の皿を使うことになった。

 飲み物は、冷蔵庫にあった麦茶だ。

「いただきます」

 スプーンで肉を崩し、口に運ぶ。

 ……美味い。

 笑ってしまうほど美味い。濃厚なコクと肉の甘みが、疲れた脳に染み渡っていく。

「すごいな、これ。課金した甲斐があったな」

「でしょ? お皿の口当たりはどう?」

「最高だよ。……でも、やっぱりお前がこっちを使えばよかった」

「いいのよ。見てるだけで満足だから」

 真帆はパン皿の上のシチューを掬いながら、穏やかな顔で言った。

「ねえ、匠」

「ん?」

「私たち、また一枚になっちゃったね」

 皿のことだ。

 せっかくペアに戻そうとしたのに、また一枚に戻ってしまった。

「ああ。でも、まあいいか」

 匠はシチューを飲み込み、麦茶を一口飲んだ。ワインの代わりにしては安っぽいが、悪くない。

「一枚ありゃ十分だろ。どうせ俺たち、二人で一つみたいなもんだし」

 さらりと言った匠の言葉に、真帆が少し目を見開き、それから照れくさそうにスプーンを口に咥えた。

「……なにそれ。エンジニアのくせに、ロマンチストなんだから」

「うるさいな。事実だろ」

 皿は一枚しかない。

 けれど、その一枚の皿を巡って、お互いがお互いを思いやった記憶はずっと残る。

 割れてしまった皿よりも、ずっと強固で、温かい記憶が。

 食事が終わる頃には、二人の身体は芯から温まっていた。

 時計の針は二〇時を回っている。

 明日からは仕事だ。満員電車に揺られ、終わらないタスクと理不尽な要求に追われる日々が始まる。

 けれど、今の匠には、それがそれほど恐ろしいものには思えなかった。

「さてと」

 匠は空になった皿を見つめ、満足げに息を吐いた。

「ここが俺たちの新しいセーブポイントってことでいいかな」

「そうね。ここからリスタートしましょ」

 真帆が立ち上がり、空いた皿を重ねる。

「洗うのは私がやるわ。あなた、ボルドー手放して落ち込んでるでしょ」

「いや、いいよ。俺がやる。この皿の手触り、もうちょっと楽しみたいし」

「ふふ、そう。じゃあお言葉に甘えて」

 台所に立つ夫の背中を見ながら、真帆は思う。

 完璧な準備なんてできなくても、人生は案外、なんとかなる。

 不格好な継ぎ接ぎだらけの1月4日。

 それでも、ごちそうさまを言い合える相手がいるなら、今年はきっと良い年になる。

 明日、靴紐を結ぶのが少しだけ楽しみだ。

 そんな予感を胸に、真帆は夫の隣に並び、ふきんを手に取った。

(了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

皿を売った妻と、ワインを売った夫のちぐはぐな夜 銀 護力(しろがね もりよし) @kana07

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画