第2話 呪のような、この生に

 私は、一体いくら生きたのだろうか。


 百年?二百年?それとももっと?


 死にたくても死ねない、呪の様な生の中で。


 罪も犯した。許されぬことだってした。


 それでも。


 私はまだ生きている。


 苦しみの中に、生きている。


 絶望の中に、生きている。


 .........生きている。






                  ◆






「はぁ、はぁ、はぁ」


 暗い夜の闇に、小さな息切れの音が吸い込まれる。誰も寄り付かない暗く険しい夜の山。道すらない険しい夜の山を、一人の子供が走っていた。


「う、うわぁ!」


 木の根にでも躓いたのだろうか。その子供は、転んで額を地面に強く打ち付けた。


「い、痛......っ!」


 痛みに顔をしかめる。だが、それどころではないと立ち上がろうとする。


(立たなくちゃ。ここで捕まったら、父様の願いが......!)


 歯を食いしばり立ち上がろうとする。その時、


「あの小僧はとこだ!」


「さがせ!こっちに逃げたはずだ!」


 馬のかける音と共に、複数人の怒鳴り声が聞こえてきた。


「ひっ」


 その子供......少年は頭を抱えてしゃがみ込んだ。見ると、追手の兵士たちが近づいてきている。


(追ってが、もうここまできてる......!嫌だ、こんなところで死にたくない!)


 心のなかで必死にそう叫ぶ。しかし、そんな少年を嘲笑うかのように、兵士たちの音は近づいてくる。


(嫌だ、嫌だ、嫌だ!神様、女神様。助けてください!)


 必死に願う。だが、


「見つけたぞ!あの茂みの裏だ!」


「急いで捕まえろ!」


 無情にも、少年は見つかってしまった。


「う、うわぁ!」


 少年は急いで立ち上がり、逃げようとする。


(こんなところで......こんなところでっ......!)


 そう必死に暗い森の中を走る。しかし、馬の走る速度には敵わない。あっという間に追いつかれ、そして


「捕まえたぞ!」


 首根っこを捕まれ、捕まってしまった。


「離せ!このやろ!」


 着物の首根っこを捕まれ、宙ぶらりんになりながらも、少年は手足をバタバタさせて必死に抵抗した。


「いった!このクソガキ......!」


 バタバタしていたら、兵士の顎を殴ったようだ。兵士は怒り狂い、剣を抜いた。


「どうせ処刑なんだ!もうここで殺してやる!」


 兵士が件を振りかぶる。もうだめだ、少年がそう思ったその時、


「何だ?人様の山で騒がしいぞ」


 この場に似合わない、少女の声がした。






                   ◆






 皆が一斉に声のした方を向く。しかし、そこには誰も居ない。


「どこだ、貴様!このクソガキの仲間か?大人しく出てきたら、命だけは助けてやる。早くしろ!」


 兵士の一人がそう叫ぶ。しかし、少女は現れず、その声は森の暗闇の中に吸い込まれていくだけだった。


「どこを見てる。私はここだ」


 再び少女の声が聞こえた。しかし、それは空からである。兵士と少年は不思議がりながらも空を見上げた。すると、そこには満月の月を背景に、白銀の髪の毛をした美しい少女が空に浮かんでいた。


「な、なんだ貴様は!なぜ、浮いている!」


 兵士はそう声を荒げた。明らかに驚き、取り乱している。当たり前だ。人が浮いているのだ。おまけに白髪。普通は化物のように感じるだろう。しかし、少年には別のように見えていた。


(すごい綺麗......まるで、女神様みたい......!)


 少年には少女が救いの女神のように見えた。綺麗な白い髪、神秘的な雰囲気、まるで女神のよう。少年の目に、少女はそのように写った。


「なんとか言え!この化物!」


 兵士は眼の前の状況を否定するように、大声でそう叫んだ。


「そうか、人間は空を飛べなかったんだ。長く他人というものを見ていなかったから忘れてたよ」


 その少女は、空を飛ぶのは当然だというように言った。


「何を言っているんだ、貴様!」


 兵士たちは馬鹿なことを言うなと、怒鳴った。当たり前である。空を飛ぶのが普通であってたまるものか。


「貴様のような人外、殺してやる!」


 兵士たちは、そう言って腰に下げていた剣を抜いた。そして、少女に向かってそれを構える。


「そんなつまらないもので、私を殺せると本気で思っているのか?殺せるのならば頭を下げて頼みたいぐらいだ」


 少女は兵士たちの剣を見て、つまらなさそうに言った。


「馬鹿にするな!そこから降りてこい。八つ裂きにしてやる!」


 兵士たちは激昂してそう叫ぶ。すると、少女はなんのためらいもなく、彼らの前にふわりと降り立った。


「ほら、早くやってくれよ。私だってさっさと死にたいんだ」


「き、貴様!どこまでも我らをコケにしやがって......。死ねぇ!」


 兵士たちは怒りのままに剣を少女に振り下ろす。少年は思わず目を背けた。剣が少女の細い体に触れ、八つ裂きにされる......はずだった。


「なぜ、なぜだ!なぜ貴様は無傷なのだ!」


 少年が目を開けた時、目に写ったのは血まみれで倒れている少女ではなく、平然と兵士たちを見る少女の姿だった。


(うわぁ、この人は本当に女神様なんだ!)


 少年は心のなかで歓喜の声を上げた。しかし、兵士たちは違った。


「この......この化物め!なぜ貴様は死なぬのだ!」


 兵士は、そう激昂する。しかし、少女は哀しそうな顔をして言った。


「さあ、なんで......なんでなんだろうな」


「ふざけるな、貴様!」


 兵士は再度少女に斬りかかる。しかし、剣が少女に当たることはない。少女を見ると、今度はその体が霧のようになっている。剣は少女を切ろうとするが、その体を虚しくすり抜けるだけだ。


「本当に......本当に私が知りたいくらいなんだよ」


 少女は兵士たちの剣をいなしながら、静かに言った。


「長い年月をこの山の中で生きてきたが、未だにこの命が尽きる気配はない。何度も死のうとしたが、そのたびにこの体はすぐに元通りになってしまった......なあ、教えてくれよ。私はどうやったら死ねるんだ?」


 少女は哀しみの目で兵士たちを見ながら、そう言った。しかし、兵士たちの耳にはその言葉は届いていない。眼の前の現実を受け入れられない恐怖で、完全に冷静さを失っている。


「知るか、化物!さっさとくたばれ!」


 そう叫びながら、少女に斬りかかっている。


「そうか......なら、もういいか」


 そう、少女は静かに呟いた。その瞬間、




 ビュン!




 辺りに一つの風が吹き抜けた。少年は思わず目を瞑った。そして、目を開けた時、その目に写ったのは地面に倒れている兵士たちと、それを浮きながら見下ろす少女の姿だった。


(女神様が、女神様が私を助けてくれた!)


 少年の胸は歓喜の気持ちでいっぱいだった。


「女神様、助けていただきありがとうございます!」


 少年は、そう少女を拝みながら言った。しかし、


「ありがとう?別に、私はこの静かな山を荒らすこいつらを倒しただけだ。貴様を助けた気なんてさらさらない。分かったらさっさと帰れ」


 少女はそう冷たく言い捨てた。しかし、少年は諦めなかった。


「それでも、貴方様が私を助けてくれたことには変わりありません。どうか、このお礼をさせてください!」


 そう、少年は言う。しかし、少女は心底興味がないようだった。


「ならば、さっさとこの山を降りてくれ。久方ぶりに他人と話して気分がわるいんだ」


 そう言うと、少女の体は再び霧のようになり、そして霧散して消えた。後に残された少年は、驚きのあまりしばらく動けなくなった。




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