私を“ガリ勉野郎”と呼んだ王子様は、私と結婚したくてたまらないらしい

大井町 鶴(おおいまち つる)

私を“ガリ勉野郎”と呼んだ王子様は、私と結婚したくてたまらないらしい

王城の裏庭にて。


エステルは誰もいないのを確認すると、両手を大きく広げてまるで舞台俳優が演じるがごとくスキップする。


「今日から憧れの事務官!合格率80倍!合格する私ってやっぱり優秀!」


朝の光が、まるで自分を照らすスポットライトのように感じられた。


――気合いが入り過ぎて早朝から王宮にやって来たエステルは浮かれまくっていた。


目を閉じて朝日を目一杯浴びる。


「随分とご機嫌だな」


背筋が硬直した。


(この声は……)


目を開けると、想像通り、最も会いたくない人が目の前にいた。


「……殿下」


マクシミリアンは第二王子にして王都治安軍総監を務める人物だ。同級生だが、王族である彼は学園を卒業すると、その座に就いて活躍をしているらしい。


エステルは顔をしかめ、目を逸らした。


(なんで天敵の彼がここに……)


誰もいなそうな時間と場所を選んだのに、とギリギリとスカートを握りしめた。


「今日からお前が城で働くことになるなんてな」

「事務官は私の長年の夢でした!学生時代から公言していたと思いますが」

「もしかして、オレの側にいたかったとか?」


王子は口元を持ち上げてニヤリと笑う。


「はい?まさか!……そもそも私は殿下のことが苦手です。私にヒドイことを言いましたよね?私はあのことをずっと覚えています。殿下も忘れたとは言わせませんよ」

「ヒドイこと?オレはなにか言ったかな」


飄々として言う彼は、過去に言ったことを綺麗サッパリ忘れているらしい。


(おのれ……綺麗さっぱり忘れるなんて無責任すぎる!)


「殿下は、私のことを“ガリ勉野郎”と言いました。おかげで卒業するまで私の友人以外からは“ガリ勉”というあだ名で呼ばれることになりました。最低です!」

「ああ~。でも、勉強したから念願の事務官になれたんだろ?間違ってないだろ」

「なんて勝手な……!」


王子が変なあだ名を自分につけたせいで、結婚相手を在学中に見つけられなかったのに、と再びスカートを握りしめる。このままだとスカートがシワクチャになりそうだ。


「そのせいで、結婚相手を見つけられなかったんですよ?」

「その分、仕事には邁進できるだろ?」

「そうではありますが……!」


なにも気にする様子がない王子を見ていると、この人には人を思いやる気持ちが微塵もないじゃないかと唇を噛んだ。


「とにかく、私はもう行きますので! そろそろ配属先の掲示がされているはずですから」


広間の方へ向かおうとすると、憎たらしい声で言われる。


「お前の配置先、王都警備局だぞ。オレが管理している部署だ」

「な……なんですって?ウソですよね!?」

「ウソだと思うなら確かめてこいよ。オレは先に行っている」


そう言い残して王子は軽やかに踵を返して、朝の光の中へと消えていった。


(く……見た目と身分だけは完璧……ってなにを。それより確認しに行かなきゃ!)


エステルは広間の方へと急いだ。


――数分後、彼女は本当にシワクチャになったスカートを握りしめながら、王都警備局の扉の前に立っていた。


(早く入らなきゃ、遅刻してしまう……けど)


扉を開けるのに躊躇していると、突然、内側から扉が開いた。


ゴチン!


鈍い音が響いてエステルはしゃがみこんだ。


「あ、大丈夫!?」

「ど、どうにか大丈夫ではありますけれど……」


おでこを抑えながらのぞき込む人を見上げると、赤茶色のフワフワな髪の男性が目に入る。


「ちょっと、おでこを確認させてくれる?」


男性が手を伸ばしてくる。


「おい、女性に軽々しく触るな」


天敵王子だった。


「来るのが遅いぞ。どうせくだらない意地で扉の前で突っ立っていたんじゃないか?だから扉なんかにぶつかるんだ。ちょっとこい」


王子はエステルの腕を取ると、上官室へと連れていく。


棚の引き出しから薬を出してくると、おでこに薬を塗り始めた。


「あ、あの!こんなの放っておけば治ります!」

「また、婚期が遅れるとか言われたらたまらないからな。大人しくしていろ」


彼は構わず薬を塗り続けた。


「ほら、終わった。腫れがひくのも早いはずだ」

「あ、ありがとうございます……」

「おう。仕事、期待しているぞ」


王都警備局に驚きの配属されてから数日――エステルは慣れない仕事を真面目にこなしていった。


王子は意外にもかなり有能だった。


成績は中の上といったところだったはずなのに、成績トップだった自分よりも仕事ができる。決断も理解も早い。


(くやしい……私の方が成績が上だったのに。バカにされた人に負けたくない)


エステルは、資料の山に埋もれながら業務に没頭した。


「いつまで仕事しているんだ?もう帰る時間だろ?」


振り返ると、扉のところで王子があきれたように見ている。


「昼間は忙しかったんですよ。誰かさんが追加の指示を出すから」

「オレのことか?上司に文句を言うとは勇気があるな」

「居残る理由を述べているだけです。そんな不敵な顔をされないでくれませんか?」


むくれて書類に目を落とすと、憎たらしい声がまたした。


「知っているか?お前は集中すると口が尖るな。アヒルみたいだ」

「は?アヒル?私は人間の女性ですし。私は女性なんだからもう少し配慮をお願いします」

「相変わらずだな」


それはそっちだろう、と心の中で思う。


(そっちこそいつまで学生時代の気分なのよ。仕事ができたって、人の気持ちを思いやることができないなんてダメなんだからね)


「もう少ししたら、報告書をお持ちしますからお待ちいただけますか?」


再び書類に目を走らせる。だが、書類をマクシミリアンに取り上げられた。


「あ、ちょっと!」

「これは、この順序でまとめるほうが断然早い」

「え?」


言いながら彼は書類を手に取ると、手際よく分類しはじめた。


「そんな、報告する書類を上司に手伝ってもらうなんておかしいです!」

「見てられないからだ。効率が悪すぎる」

「う……」


真顔で言われて、それ以上エステルは何も言えなくなった。


資料作成はあっという間に仕上がった。


「もう、終わったなんて……」

「オレに提出の必要はないぞ。もう、見たからな」

「すみません……」


素直に頭を下げて謝った。


(私、殿下を軽んじていた……奢っていたのは自分だ……)


「別に謝る必要なんかない。……それより、仕事が終わったら明日の休みはヒマになるな?ちょっとオレに付き合え」

「え?」


言われたことを反芻する。


(休日に私と出掛ける?……そんなのダメでしょう。私用で一緒に時間を過ごすことになる)


「そんなのダメです。殿下にあらぬウワサが立ったらどうするんです?」

「……休日でも仕事ならいいだろ。広場で待ち合わせだ。遅れるなよ」


仕事なのか……早とちりしたのかもと混乱しながらうなずいた。


「わかりました」


――翌日、エステルが言われた通り広場で待っていると、王子が町人風の服装で共も連れずに現れた。


「な、なんでお一人で現れるんですか!危険です!」

「静かにしろ。逆に目立つ。オレは学生時代、“ペンと剣の二刀流”なんて呼ばれていたんだぞ。剣に自信はある」


チラリと短剣を見せられる。


「だとしても、ダメでしょう!危険です。剣といっても小さいし」


いろいろと抗議したが、彼は無視してスタスタと先を歩いていく。仕方なくエステルは連れて来た自分の護衛に目配せして彼の後を追った。


彼の向かった先は、行きつけだという酒場だった。


「いらっしゃい!ビールでいいかい?」

「おう。こいつにも同じものを。あちらにも」

「あいよ」


彼は慣れた様子で、エステルと少し離れた席に座る護衛にもビールを頼む。護衛は恐縮したように頭を下げた。


「あの、仕事じゃなかったんですか?」

「これは視察任務だ。こういう場所は人々の本音が聞ける」

「はあ……そういうものですか」


確かにまわりの人は酒を片手に思ったことを率直に話していた。


「はいビールだよ!……ねえ、その子が前に言っていたあんたのいい人かい?可愛いね」

「そうだよ。もうすぐ結婚するんだ」


王子の驚きの言葉にエステルは慌てて口を開いた。


「ち、違いますよ!絶対に違います!」

「もう、照れちゃって。ねえねえみんな~!この二人、もうすぐ結婚するんだって!みんなで乾杯音頭といこうか!」

「おお!」


どんどん話が大きくなっていく。


「そんなことしなくていいですから!」

「遠慮しなくていいって。この店は祝い事はみんなで祝うのが名物でもあるんだよ。ね?」

「そうだ。いいじゃないか」


王子が口元に笑みを浮かべながら悪ノリする。


おばちゃん店員が乾杯と叫ぶと、店中の客もビールジョッキを持ち“乾杯!”と叫びコップのなる音があちこちで響いた。


エステルは目の前が真っ白になった。


「なんであんなことを言うんですか……!もし、この中に殿下のことを知る人がいたら大変なことになりますよ!」

「めでたい話は皆、好きだから盛り上がっていいじゃないか」

「答えになってませんし!こんなこと、絶対にダメなのに」

「お前はダメダメ、真面目すぎるんだよ」


あ、この流れは……とピクリとした。


まさに学生時代にこのような話の流れから“ガリ勉野郎”と言われたのだ。


「もうそれ以上、しゃべらないでください!」


嫌な思い出を振り払うように勢いよくビールを喉に流し込んだ。


「おいバカ。何やってんだ。酒強くないだろ」

「嫌なことを思い出しそうになったので!飲まずにいられますか!」


また、ビールをゴクゴクと飲む。


「止めろって」


ビールジョッキを取り上げられた。でも、もうジョッキにはほとんどビールが残っていなかった。


――エステルは酔いつぶれた。


「いわんこっちゃない」


護衛がエステルを起こそうとして王子が遮り、エステルをおぶった。


「彼女、酔っちゃったのかい?あんたみたいないい旦那さんがいたら心配ないね」

「だろ?」


王子の楽し気な声が酔いつぶれたエステルにも聞こえた。


(ああ、まずい……私、何やっているんだろう……)


くらくらする頭で自分が情けないと思う。


「……おい、あれって第二王子様のマクシミリアン様じゃないか?」


恐れていた声が聞こえた。今すぐ立ち上がらねばと思うのに、体がいうことをきかなかった。


王子は周りの言葉など気にせず、エステルを馬車まで運ぶと護衛に引き渡す。


「ゆっくり休め。また明日な」


エステルの頭を撫でた王子は馬車の扉を閉めた。馬車が動き出す。


――翌日、すっかり正気になったエステルは青ざめていた。


王都警備局に着いて王子が部屋に入ってくるなり、頭を下げる。


「昨日はすみません。酔いつぶれてしまい重大なミスを犯しました!」

「気にしなくていい」

「気にします!だって、私はみっともなく酔いつぶれて、それを殿下がおぶって……あってはならなくて……それになにより、酒場でとんでもない話で盛り上がってしまったし……」


“結婚”なんて単語が新聞に踊ったら……と思うと気が気じゃなかった。


「私……異動願いを提出します。……地方に行きます」

「は?どうしてそこまで考える?王宮事務官に憧れていたのだろう?」

「地方でも事務官の仕事はありますし……王宮事務官にはとても憧れがありましたが、今の状況はそれどころじゃなくて……」

「……じゃあ、そういうことで処理しようか」


彼はアッサリ言った。


「……ありがとうございます」


頭を下げたが、もともとは王子が無責任なことを言ったからでは、とチラリと頭をよぎる。


(でも、仕方ない。彼は王子で私はただの部下だもの。酔う失態を犯したのも私だし)


モヤモヤする気持ちを抑えつつ異動したのだった。


――地方警備局は自然豊かなところだった。


地方警備局の周りには湖もあって空気が美味しい。


(ここでの仕事だって、真面目に続けていけば実績になる)


エステルは気持ちを切り替えて息を吸い、地方警備局の扉を叩いた。


「失礼します!」


目の前を見て、固まる。


扉を開けた先には……なぜか王子がいた。


「よう。元気だったか?」

「なぜ?殿下がここに……?」

「オレもここに異動してきたんだ」

「え?え?」


エステルは手が宙で止まり困惑する。


「ちょっと話そうか。外に出よう」


二人は、警備局裏にある湖のほとりを歩いた。


「お前は覚えていないだろうが……オレはお前に助けられたことがあるんだ」


王子が突然、学生時代のことを話し出した。



『第二王子って、なんか影薄くない?やっぱり第一王子が目立つもんね〜』


木陰で本を読んでいた自分に気付かず、生徒たちが笑っている声が近くで聞こえた。彼らはひとしきり話すと去って行く。


悔しさに手を握りしめていた。


『……くだらないわ。バカみたいね』


近くから女子生徒の声が聞こえた。


(あれは……エステル令嬢か?)


学年順位でもいつも上の方にいる彼女のことは間接的に知っていた。


『……なんでバカみたいだって思うんだよ』


突然、話しかけると、彼女が驚いて振り返った。


『殿下……!いらっしゃったのですか?』

『いたさ。あいつらは気付かないようだったがな。で、どうしてバカみたいだって思ったんだよ?』

『それは……彼らが勝手に言う立場ではないし、そもそも影で悪口を言う人たちの言葉なんか戯言に過ぎませんから」

『そうか……』



「その時、じんわりと胸にあたたかい気持ちが広がっていったんだ。当時の自分は、兄と比べられて自分に自信を持つことができずにいた。だから、お前の言葉がとても嬉しかった」

「私はそんなつもりで言ったんじゃなかったんですけど……」

「だとしても、オレには意味がある言葉だった。だからお前に、“ガリ勉野郎”と言ったんだ」

「え?内容的にその言葉に繋がると思えませんが……」


眉間にシワを寄せるエステルに、王子は目を細めた。


「オレ以外の男を近寄らせたくなかったから言ったんだ……悪かったな」

「え……ええ!?」


王子の目は真剣で――ウソで言っているようには見えない。


(天敵だと思っていたのに……)


「お前が事務官になりたいと知って、オレはお前が王宮にやってくる日を楽しみにしていた」

「……もしかして、私が合格したのは殿下が手を回した、とか?」

「違う。オレがそんなことをしなくても、お前は合格するとわかっていたからなにもしない」

「そ、そうですか……」


自分を認める言葉を言われて胸がじんわりと温かくなる。


「お前が事務官になったときは、誰よりも喜んだんだぞ。……あ、そういえば配属だけはオレが根回ししたな」

「そ、そうなんですか」

「あともう一つだけ……実は婚約も根回しさせてもらっている」

「は、はああ……!?」


声が裏返り、とんでもない声が出た。王子がクスリと笑う。


「秘密にするようお前の両親には頼んで進めるのは、なかなか大変だったぞ。その、勝手に進めたがダメだったか?……オレは頑張り屋で、真面目でキレイなお前とどうしても結婚したいんだ」

「……っっ!!」


人生でまだ誰にも言われたことのない、飛びきり甘い言葉にエステルは固まった。


(これは夢だ……これは夢……)


意識が遠のきそうになって、揺すられた。


「おい、しっかりしろ。告白して倒れられたなんて、オレは嫌だぞ」

「は、はい……今、頭の中で現状を認識中です」


スーハーと何度も深呼吸する。


(私はここに逃げてきたつもりなのに……実は追い詰められていた??)


「殿下には驚かされっぱなしです。いきなり暴言を吐かれたのもそうだし、先日の件もそうだし……でも、そのように考えていてくれたことは……正直、嬉しいです」


勝手に染まる頬を隠しながら言うと、王子に覆う手を剥がされた。


「じゃあ、もっと驚くようなことを言う。こちらを見てくれ」


上を向くと目が合った。


「愛してる。オレと結婚してくれ」


熱い愛の言葉に気を失ったエステルだった。


――エステルは現在、薬指に指輪をはめて王子の秘書を務めている。


「王宮事務官よりも重要な仕事だぞ。満足するだろ?」

「私がきちんと仕事をこなしていますから、あなたも助かっているはずです」

「そうだな。まさにそうだ」


ちゅっとキスをされたエステルは顔を真っ赤にさせたのだった。

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