マシロの成仏未遂幽霊ライフ

朝霧 悠

第1話 初夜

 私はマシロ。成仏未遂の幽霊だ。

 ある日、あるアパートの一室のバスルームで目が覚めた。なぜここにこうしているのか全くもって理解できていない。何せ、記憶が全くないのだから。大体、最初は、自分が幽霊だということさえ分かっていなかった。暑さ寒さを感じることもなく、お腹が空くこともなく、まして、喜怒哀楽もない。バスルームの湯船の中にただじーっと座り込んだまま日がな一日を過ごす毎日。 

 湯船の上には小さな窓がついている。窓は曇りガラスなのだが、サッシを開けることもなく外を眺めることができるのは自分が幽霊だからなのだろう。記憶はないが、そういう知識はある。なぜそう思うかということはわからないが、見ればそれが何であるかなんてことは、わかる。わかるのである。不思議だが、大概のものは見ればそれが何であるかは分かってしまう。


 幽霊として、目覚めた時は外の風景はピンクの桜で彩られていた。それが、緑になり、黄色くなり、赤くなり、やがて木の葉が落ちてなくなり。最近では雪がチラつく日もたまにある。

 夜には枯れた桜並木が小さな電球が散りばめられて、実に綺麗に光る。人々は夜な夜なそんな並木に集まっては写真を撮ったり、散歩したり、お酒を飲んだり、笑ったり歌ったり。たまに、泣く奴もいる。近頃そんな人たちを見ているのが意外にも楽しみになっているのが、不思議でならない。これが感情というものなのかもしれない。


 今日はいつもと少し違う雰囲気を纏っている女性がこの部屋にやってきた。侵入しそうなので部屋のロックが開かないようノブを抑える。

「あれ開かないわ」

 赤いセーターを着た女性が必死でキーを回そうとしていた。

「鍵が違うんじゃないの?」

「そんなことないわよ。不動産屋さんで確認してよこしたんだから」

 ガチャガチャやって力任せに引っ張るものだから、開きそうになったので慌てて引っ張り返した。勢い余って結構大きな音がした。

ガタンッ!

「今、一瞬開いたけど、なんか変·····」

「何が?」

「内側から引っ張られたみたいな·····」

「えっ、うそ、気持ちわる」

 まずい、勘づかれたか。もう一人の黄色の帽子を被った細い女性が不安げにみている。

「そういえば、ここの部屋、事故物件らしいわよ」

「えっ、やだ。このまま帰らない。ねえ。ちょうどよくドアも開かないことだし」

「不動産屋さんはどうするの」

「開きませんでしたで、大丈夫よ」

 そして、二人は帰って行った。が、その二日後、今度は大きなスーツケースを引っ張った若い男がやってきた。


 それは、本当に不意にやってきた。追い返しが成功したので浮かれていた。自分の城を死守したような気がしていたのだ。敵はまだ諦めていなかったのだ。その若い男はキーを回すが早いか、力任せにドアノブを引いたものだから、こちらから抑えることができなかった。勢い余って若い男はドアノブとスーツケースの間に手を挟んで悲鳴をあげていた。

 元気そうなその若者は玄関にスーツケースを放り投げると、大きく息を吐いた。

「ふーっ、痛ってー。何だよ簡単にあいたじゃねえか。びっくりさせんなよな。立て付けが悪くてドアが硬いとか言ってよ。怪我するじゃねえか」

 男は靴を脱いで部屋に上がり込んできた。物色するように部屋中を猫のようにクンクンしながら丹念にみている。

「大丈夫だな。綺麗だ。掃除してませんとか言ってよ、心配したよ」

 結局、後からトラックも着いて結構大量の荷物を運び込まれてしまった。住むのかなぁ。夜になったら、驚かして、追い出してやる。そして、私は虎視眈々と夜になるのを待った。



 次第に室内は光を失っていった。男は出かけており、不在であったが、逆に好都合であり、もはや戻ってきても、これ以上は部屋に入れるつもりはない。絶対死守あるのみ。

 まずは、ドアは開けない。できる限りドアノブは硬く押さえつける。それができなかった場合は、電気はつけさせない。そして、壁や天井を叩きまくる。いわゆるラップ現象で怖がらせ、最後は力技で外に引き摺り出す。どうよ、完璧なシナリオ。

 しばらくして、やつは意気揚々とコンビニの袋をぶら下げて帰ってくるのがバスルームの小窓から見えた。絶対死守!ドアノブを硬く抑えて奴が来るのを待った。何も知らずに階段を登ってくる。鼻歌まじりで、結構上機嫌だ。

「あっ、あれ!硬い」

 若者は両手でぐいぐいドアノブを回しにくる。死守。負けそうになるが、必死で堪えた。私の霊力で何とかするしかないが、かなり強い力でノブを回してくる。壁に足をかけ、ぐいぐい引いている。なんて、馬鹿力なんだろう。

 しばらく、押し問答の末。負けた。

「やっと、開いたよ。もう。明日、不動産屋に修理頼まなきゃ」

 呑気にもそんなことを言っている。1Kの狭い部屋をうろうろしながら、電気のスイッチを探している。もうかなり暗くなっている。

「あった、あった、これかスイッチ!」

 やつはとうとうスイッチを探し当てたらしい。スイッチは入れさせない。絶対に、こればかりは。反対側にしっかりと霊気で押さえつける。

「電気のスイッチも壊れているのかよ」

若者は文句を言っては、夢中になってスイッチを入れようとしている。今だ!霊力で思いっきり壁を叩いて回った。

 ドン、ドンッドドンッドンドンドンドンドンッドン!

「ひゃっ、びっくりしたぁ。何だぁ、隣かあ。うるせえなぁ」

 やつはそ言うといきなり壁を叩き出した。

「うるせえぞ、この野郎」

 ドンドンドンドンドンドドドドドンッ!

「きゃーっ」

 思わず叫び声を上げてしまった。やつは私の体に手を突っ込んできた。突っ込んだところで私は幽霊だから触られることはないが、なんか変な気分になって、びっくりしてしまった。不覚。

「なっ、なんだ、だっ、誰かいるのか?」

 男はびっくりして声が裏返っている。

 恐怖に慄け!青白い顔だけ出してやった。

「おーっ、なんだ、誰?」

 何?あまり驚いていない。

「この部屋から出ていけ〜」

 低音の声色で脅してやった。

「あっ、無理、もう、契約しちゃったし。金ない」

「私の部屋から、出ていけ〜」

「いやいや、ここ。俺の部屋。出ていくのはあなた!」

 なんて失礼なことを言う男だ。乗っ取るつもりなんだ。そうはさせない。

「遙昔からいる地縛霊だぞー。うわーっ、呪い殺すぞー」

「行くとこないんだよー、頼むよー、家賃全部払うからー。邪魔にならないだろー」

 やつは必死だ。赤く血走った目をうるうるさせて、今にも泣きそうな顔をしている。行くとこないのなら流石に可哀想か。

「絶対に邪魔するなよ。私は自由だ〜」

 こうして、私と和也の共同生活が始まった

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