ルーフトップ・トリニティ

ぼた

屋上の3匹狼

第1話 炎の記憶と、始まりの剣

 士官学校の朝は、いつも冷たい。


 秋の風が校庭を吹き抜け、落ち葉を巻き上げて舞わせる。

 生徒たちは整列し、教官の号令の下で朝の訓練を始める。

 剣の鞘を鳴らす音、魔法の詠唱の低く響く声、足並みを揃える靴音。

 すべてが規則正しく、整然としていた。


 その列の端に、赤い髪の少年が立っていた。


 ルーフス・ヴァイスハイト。14歳。

身長は同期の中でもひときわ低く、154センチの小柄な体躯。

 茶色の瞳は鋭く前を向き、表情は硬い。

周りの生徒たちは、ちらちらと彼を盗み見ながらも、誰も近づこうとはしない。


「あいつ、また一人でいるな」

「天才って噂だけど、近寄りがたいよな……」

「話しかけたら睨まれたって聞いたぜ」


 そんな囁きが、風に乗ってルーフスの耳にも届く。

 彼はそれを無視した。いつものことだ。


 教官の号令で訓練が始まる。

今日は対人形式の実技試験。

ペアを組んで剣と魔法を交えた模擬戦だ。


 ルーフスは、くじ引きで決まった相手を見た。

同期の、背の高い少年。名前は覚えていない。

 相手はルーフスを見て、少し顔をしかめた。


「……マジかよ。あのヴァイスハイトと組むなんて」


 ルーフスは無言で剣を抜いた。

細身の訓練用長剣。

刃は鈍らされているが、重さは本物だ。


「始め!」


 教官の声と同時に、相手が飛びかかってきた。 剣を大きく振り上げ、力任せに振り下ろす。

 ルーフスは一歩横に滑るように移動し、相手の剣を弾いた。金属音が鋭く響く。


「っ……速い!」


 相手が驚きの声を上げる。

ルーフスは表情を変えず、次の攻撃を待つ。

相手は焦って魔法を放つ。低レベルの風刃。

鋭い風の刃がルーフスに向かって飛んでくる。


 ルーフスは左手をかざした。

小さな火球が瞬時に生まれ、風刃を正面から焼き払う。火は風を食い、爆発音と共に消えた。


「……やるじゃん」


 相手が苦笑いしながら、再び剣を構える。

だが、その目は本気になっていた。


 二人は距離を詰め、剣を交わす。

ルーフスの剣捌きは無駄がなく、正確だった。

 相手の攻撃を最小限の動きでかわし、隙を突いて反撃。

 火魔法を細かく織り交ぜ、相手の動きを封じる。


 数分後。

 相手の剣が地面に落ち、ルーフスは剣の先を相手の喉元に突きつけていた。


「……俺の勝ちだ」


 短く告げ、ルーフスは剣を収めた。

相手は肩で息をしながら、苦笑した。


「負けた……。噂以上だな、ヴァイスハイト」


 ルーフスは答えず、列に戻った。

周りの生徒たちがざわつく。


「やっぱり天才だ……」

「あんな動き、見たことない」


 ルーフスはそれを聞いて、内心で舌打ちした。


(天才なんて……くだらない)


 昼休み。

ルーフスはいつもの場所──校舎の屋上へ向かった。

 誰も来ない、静かな場所。

弁当など持っていない。

 ただ、持ってきた本を開いて、ページをめくる。


 風が少し強い。

赤い髪が揺れ、茶色の瞳は文字を追う。

ここにいると、あの火事の日の匂いが、少し薄れる気がした。


 煙と、焦げ臭い匂い。

泣き叫ぶ声。

そして、自分の無力さ。


 ルーフスは目を閉じた。

あの日の記憶が、フラッシュバックする。


 炎の中に取り残された自分。

助けようともせず逃げていく大人たち。

そして、燃え落ちる孤児院。


(二度と……あんな目に遭わせない)


 ルーフスは目を開け、本に視線を落とした。今日読んでいるのは、上級火魔法の理論書。

 難しい内容だが、一言一句、頭に刻み込むつもりで読む。


 そんな静かな時間が、突然破られた。


 屋上の扉が開く音。


「……また来たのか」


 ルーフスは顔を上げず、ぼそっと言った。


 そこに立っていたのは、茶髪で紫の瞳の少年──ウィンターだった。

 少し申し訳なさそうな顔で、弁当箱を持っている。


「あ……ごめん、ルーフス。邪魔……だった?」


 ルーフスはため息をついた。


「……別に。勝手にしろ」


 ウィンターは少し離れた場所に座り、お弁当を広げ始めた。

 最初にこうして話すようになったのは、ほんの数ヶ月前。

 それ以来、ウィンターは毎日ここに来るようになった。


 最初は無視していた。

「うるさい」「どっか行け」と冷たくあしらっていた。

 でも、ウィンターはめげなかった。

毎日来て、ただ隣に座って弁当を食べる。

たまに子猫を助けているところを見られたり、魔法の練習で失敗したときに的確なアドバイスをしたり。


 いつの間にか、ルーフスはこの時間が「嫌いじゃない」と思うようになっていた。


 ウィンターが、小さな声で話しかけてきた。


「ルーフス、さっきの実技……すごかったよ。みんな、びっくりしてた」


「……ふん。別に」


 ルーフスは本に目を戻した。

だが、ウィンターは続けた。


「僕……まだ、あんな風に戦えない。

 ルーフスみたいに、強くないから……」


 その声に、少しだけ寂しさが混じっていた。


 ルーフスは本を閉じて、ウィンターを見た。


「……お前、魔法の制御が甘いんだよ。

 魔力を一気に流すから、すぐに疲れる。

 少しずつ、細く長く流すイメージを持て」


 ウィンターの目が輝いた。


「ルーフス……ありがとう! また教えてくれるんだ」


 ルーフスは顔を逸らした。


「……別に。お前がヘタクソすぎて、見てられないだけだ」


 でも、声のトゲは少し弱かった。


 そのとき、また扉が開いた。


「よぉー! 二人ともいたいた!」


 明るい声と共に、ティールが現れた。

紫の髪を風になびかせ、ニヤニヤ笑っている。


 ルーフスの眉がピクッと動いた。


「……お前、またかよ。うるさい」


 ティールは自然に二人の間に座り込んだ。


「ははっ、相変わらず冷てぇなチビ助!

 ウィンターの弁当、分けろよ。腹減った」


「チビじゃねぇって言ってんだろ!」


 ルーフスが即座に反応する。

ティールは笑いながら、ウィンターのお弁当をつまむ。


 ウィンターは困った顔で、でも笑っていた。


「ティール……もう、ルーフス怒っちゃうよ?」


 屋上は、たちまち三人の声で賑やかになった。

ルーフスは口では文句を言いながらも、

どこかで、この時間が少しだけ心地いいと感じていた。


(……守りたいもの、か)


 あの火事の日以来、初めて生まれた感情。


 ルーフスは赤い髪を風になびかせ、茶色の瞳で遠くを見た。

 士官学校に入って、まだ数ヶ月。

これから何が待っているのかは分からない。


 だが、少なくとも今は──


 剣を握る手が、少しだけ温かい。


 ルーフスの物語は、ここから始まる。

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