あなたを推します! 推野くん!

緋櫻

第1話

「この高校には恋愛の神様がいる」

 春来しゆんらい高校。都会でも田舎でもない、普通の場所に位置する普通の高校。

 そこには「恋愛の神様」がいた。

「二宮金次郎像がひとりでに空を飛ぶ」とか「音楽室のピアノが人を食べる」とか、そんなオカルト話と肩を並べるくらい、高校中に広がっているうわさ

 それが恋愛の神様。

 一度相談を引き受けたら必ずその恋を成就させるという触れ込みであり、色恋沙汰に敏感な女子だけではなく、噂を鼻で笑う男子までもが心のどこかでそれを信じている。

 そして今日も一人、噂を信じた少女が神の元へとやって来ていた。

「……ふぅ」

「社会科資料室」という誰が使っているのかも分からない教室の前で、少女は小さく息をいた。そして、ここに来るまでの経緯を思い返す。

 恋愛の神様に会うためにはいくつかの手順を踏まなければならない。

 第一に、自分のクラスと名前を書いた紙を下駄箱げたばこ投函とうかんする。この下駄箱はどこでもいいわけではない。生徒の通りが最も多い中央土間、そこの端に設置されている使われていない下駄箱限定である。

 そして手紙を投函して数日待つ。すると、いつの間にか自分の下駄箱に手紙が返ってくるのだ。

 そこには日時と教室が付け加えられており、指定された場所に向かうと、恋愛の神様に出会えるという。

 面倒なことに加え、自分の内心を人に知られるリスクを冒してまで、少女はここにやってきたのだ。

 意識していなくても全身に力が入る。少女の拳は固く握りしめられ、周囲から「鋭い」と言われがちな両目は、社会科資料室の扉をにらみ付けたまま動かない。

 はたしてこの扉の先にいるのはどんな人間なのか、男子生徒か女子生徒か、それとも本当に「神様」のような超常的存在なのか、あるいは誰もいないのか。そんなものに引っかかる生徒を笑ってやろうという連中の可能性もある。

 そんな緊張と不安が混ざった体で、人通りのない昼休みの廊下に立ち尽くす。

 廊下の端に位置する社会科資料室。廊下の向こうに人影が見えないことを再度確認し、少女は扉に手をかけた。

 窓の向こうからかすかに聞こえる生徒たちの声。昼に差し掛かり勢いを増した日の光。じっとりと背中ににじむ汗と、肌に張り付く髪の毛の不快感。

「っ!」

 思い切り引き戸を開ける。

 所々塗装が剥がれた木製の扉は案外すんなり開き、教室内の光景があらわになった。

 見たこともない分厚い本が床に積み上げられ、何が入っているのか分からない段ボールが教室の端に置かれている。

 ここは明らかに使われていない倉庫であり、人の出入りが少ないことは、ここに一度も来たことのない少女にも分かった。

 しかし、不思議とほこりっぽさは感じない。少女はすぐに、自分の正面に見える窓が全開になっているからだと気づく。

 同時に、なぜ使われていない教室の窓が開け放しになっているのかという疑問もすぐに解決した。

「はじめまして、泡坂あわさかナキさん」

 廊下に反してひんやりとした空気が満ちる教室内。日の光を浴びて柔らかくたなびくカーテンを背に、彼は座っていた。 教室に置かれていたであろうびたパイプ椅子に背筋を伸ばして座り、同じくボロボロの机を挟んで、こちらを真っすぐ見つめている。

 少女――泡坂は扉を開けたままの体勢で立ち尽くしていた。

「あの、泡坂ナキさん? どうかしましたか?」

 少女は目の前にいる少年をじっと見つめたまま、ピクリとも動かない。まるで石像になってしまったかのようだった。

「もしや、泡坂ナキさんではない? 二年二組、出席番号三番、泡坂ナキさんとは別人ですか?」

 少しだけ薄暗い教室の中で少年は困惑したように首を傾げる。

「いや、確かに私は泡坂ナキだけど……」

「あ、そうですか、良かったです。もし別人だったらどうしようかと……ここまで堂々と登場していては言い逃れできませんから」

 心底安心したように小さく息を吐く少年。

 泡坂はそんな少年を観察した。

 短く整えられている髪に、顔には大きな丸眼鏡が鎮座している。

 体は制服の上から見ても細い。運動部でないことが明らかなほど弱々しい手足と色白な肌。

 神様というにはあまりに覇気を感じさせない、朗らかな眼差し。

 このように、泡坂は少年の言動や姿をしっかりと観察し、穴が空くほど観察し、観察しつくすくらい観察し――そうしてやっと教室の中に入った。

「ア、アンタが『恋愛の神様』?」

「そんな大層なものではありませんが、噂の出所は僕ですね」

「一度相談を引き受けたら必ずその恋を成就させるっていう、あの?」

「まぁ、だいたい合っています」

 二人の生徒は共に押し黙る。風に押されたカーテンだけが、窓の近くでバタバタと騒いでいた。

「……あの、どうかしま」

「はぁあああああああああああああああああああああああ!?」

 少年が言い終わらないうちに、泡坂の絶叫が教室中に響き渡る。怒りと驚愕きようがくが混じった、獣のような咆哮ほうこうだった。

「アンタみたいな! いかにもパッとしない! 彼女もいたことなさそうな! というか女子ともまともに話せなさそうな陰キャが!? 『恋愛の神様』ぁ!?」

 教室に入る前の緊張から解放されたからか、あるいは恋愛の神様の正体に肩透かしを食らったからか、それとも彼女本来の性質ゆえか、泡坂は初対面ということも忘れ、少年に向かって思ったことをそのままに叫び散らした。

 正真正銘、偽らざる感想である。

「信じられないという顔をされることは多々ありましたが、初対面でここまで言われるとは……」

「いや、いやいやいや! 信じられないでしょ!! というかアンタほんとに『恋愛の神様』なの!? 冗談抜きで!?」

「だから、神様なんて大層なものではありませんと言っているじゃないですか。僕は普通な男子高校生……というか、自己紹介もまだでしたね」

 あきれたように溜息を吐きながらも、今の状況を思い出したように姿勢を正す少年。

「改めまして、僕の名前は推野おしのといいます。気軽に推野くんと呼んでください」

 これは少年――推野の決まり切った挨拶である。

 本来ならばもっと早い段階で行う算段だったが、泡坂の無礼な態度により、かなり雑に終わらせてしまった。

 対して泡坂はいまだ信じられないという顔のまま、固まっている。

「さて、いつまでも時間を無駄にしてはいられません。もうすぐ昼休みも終わりますし、早速本題に入りましょう」

 その言葉で泡坂も我に返る。自分がここまでやってきた理由。

 誰にも見られないよう、時間を考えてコソコソ下駄箱に手紙を入れ、返ってきた手紙の指示に従い、またもこうしてコソコソと空き教室にやってきた理由。

 面倒くさい手順をわざわざ踏んでやった理由。

「僕は相手が誰であろうと相談に乗り、協力も惜しみません。ただし、それにはいくつかの条件が――」

「いや」

 再び推野を遮る形で泡坂が口を開いた。

「……何か言いましたか?」

「やっぱいいや」

「は?」

「だから、アンタに相談するのは止めるって言ってんの」

 その言葉を聞いて、推野は更に混乱した。ここまで来ておいて何を言っているのかと、口には出していないものの顔には出ていた。

「は、はぁ……ちなみにどうしてですか?」

「どうしてって、そんなの決まってるでしょ。アンタみたいな恋愛経験が乏しそうな奴に相談するほど、私は暇でもバカでもないのよ」

 この時点で泡坂は推野が恋愛の神様だということを信じていなかった。というより、「恋愛の神様」そのものを見限っていた。

 自分の耳に入ってきた噂は、本人の言う通り、過度に脚色されたものだったのだろう。所詮、数人の恋愛相談を聞いていただけで、誰にでも言えるようなアドバイスを垂れ流していただけかもしれない。そんなことになるくらいなら、自分の友人に相談した方が、よっぽど有意義なアドバイスが貰えるだろう。

 そう判断を下し、時間を無駄にしてしまった後悔と、噂は所詮噂であるという落胆を引きずりながら、泡坂は回れ右をして教室から出ていこうとした。

「三年一組、白馬はくばオウジ」

 泡坂の動きが止まる。汚れた木の床を踏みしめる足も、教室の扉にかけた手も、呼吸すらも止まっていたかもしれない。

 推野がその名前を口にしただけで、泡坂の時間が止まってしまった。

「高校三年生で身長は百八十三センチ。バレーボール部キャプテンで成績も優秀。まさに文武両道と呼ぶのがふさわしく、性格も温厚で容姿も整っていることから、主に女子生徒からの人気が高い」

 なめらかな口調で流れるようにプロフィールを読み上げる推野。それに反し、泡坂は錆びたブリキ人形のようにゆっくりと振り向く。

「ど、どどど」

「どうしてって、そんなの決まってるじゃないですか。依頼人のことは当然調べ上げますし、その『想い人』についても詳しく調べますよ」

『想い人』。泡坂が白馬オウジという人間を表すには、それはピッタリの言葉である。

 そして、泡坂が恋愛の神様に相談しようとしていたのは、まさに白馬についてなのだった。

 このとき、推野自身は笑顔を作っているつもりだった。しかし実際には、怒りを隠しきれておらず、泡坂はそのいびつな笑顔に一瞬ひるんだ。

「他にも色々知っていますよ。白馬オウジの好きなものや嫌いなもの、あるいは好みの女性のタイプも」

『好みのタイプ』という言葉に泡坂は更にピクリと反応した。その変化を推野は決して見逃さない。彼は自分の事前調査に間違いはないようだと確信していた。

「う、嘘よ! そんなこと、アンタが知ってるわけないでしょ!?」

「あなたは信じようとしないでしょうね。僕としても言われっぱなしというのはしやくですから、ここは一度、僕のやっていることを理解してもらいましょう」

 席を立ち、大股で距離を詰めていく推野。じりじりと後退する泡坂。

 既に社会科資料室でのパワーバランスは、推野の方へと傾いていた。

「今日の放課後、もう一度この教室へ来てください」

 恋愛の神様が何たるかを見せてやる。泡坂は推野の瞳にそんな炎を見た。

 もうすぐ夏が始まる。

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