神さまと、ちょうどいい距離
月灯
001
第1話「女子高生みたいなひとりごとが聞こえた」
小さなお社は、古都音(ことね)にとって昔馴染みの場所だった。
初詣も、合格祈願も、いつもここ。
大きな神社に行くこともあったけれど、結局、お願い事をするときは、ばあちゃんに連れられてこのお社に来ていた。
山のふもとにあって、観光客が来るような場所じゃない。
社殿もこぢんまりしていて、石段も少し欠けている。
けれど、不思議と落ち着く場所だった。
特に午後がいい。
木々の間から落ちてくる木漏れ日が、やわらかくて、あたたかい。
直射日光みたいに強くないのに、ちゃんと背中を包んでくれる感じがして、ここに座っていると、時間の流れが少しだけ遅くなる気がした。
大学の講義と講義の間。
課題から逃げたいとき。
何も考えたくないとき。
古都音は、なんとなくここに来る。
石段に腰を下ろし、リュックを脇に置いて、空を見上げる。
スマホも音楽もいらない。
ただ、ぼーっとする。
(……なんで、日本だけなんやろ)
数日前、学食で聞いた留学生の声が、ふとよみがえる。
落とした財布が、何も取られずにそのまま返ってきた。
「アンビリバボーだ」
「こんな国、聞いたことがない」
身振り手振りで、大げさなくらい驚いていた。
古都音にとっては、
「見つかってよかったね」
それくらいの感想しかなかった出来事。
けれど、
当たり前じゃない、と言われて初めて、立ち止まった。
(……なんで、日本ではそれが“普通”なんやろ)
ばあちゃんが、昔よく言っていた言葉を思い出す。
――神様は、いつも見たはるさかいに。
(ほんまに、そうなんかな)
(見られてると思うから、ええことするんやろか)
(それとも……ええことする人やから、見てはるんやろか)
答えは出ない。
考えれば考えるほど、ほどけていく。
だから、古都音は、ここに来た。
考えをまとめるためじゃない。
ただ、置いておくために。
そのときだった。
「……最近さぁ、ちょっと気になることがあって……あの子のこと、どうしようかって、やっぱり心配で……うーん、どうしようかな……」
声がした。
古都音は、一瞬、思考が止まった。
女の子の声。年はたぶん、自分と同じくらい。
(……え? 誰……?)
境内を見回す。
参拝客の姿はない。
風が葉を揺らす音と、遠くで鳥が鳴く声だけ。
「だってさぁ、あの時にこうすればよかったんじゃないかって、つい考えちゃうし……でも、誰にも言えないんだよね……」
ぶつぶつ、ひとりごと。
独り言にしては少し間が長い。
誰かに聞いてほしいわけでもなさそうだ。
(女子高生みたいな独り言やな……)
古都音は、そう思った。
このお社、静かやし。
人も来ぃひんし。
一人で考え事したくて来る人がいても、おかしくない。
立ち上がって、声のした方をそっと探す。
社殿の裏。
木の陰。
石灯籠の向こう。
でも――誰もいない。
(……あれ? 誰もいいひん……?)
気のせい?
最近、寝不足やったしなぁ…。
「……あれ?」
声が、ぴたりと止まった。
少しの沈黙。
「……やっぱり、誰かに聞かれてる……?」
古都音は、思わず身をすくめる。
さっきの独り言、誰も聞いてないはずやのに。
「はぁ……でも、やっぱり気になるのよねぇ……けど、あの子に迷惑かけたくないし……あ、でも、どうしても答えが見えなくて……」
ぶつぶつと、途切れ途切れに言葉が続く。
どうやら、誰かのことを心配しているらしい。
古都音は、その声に耳を澄ます。
(誰かに話しかけてる感じじゃないみたいやし……完全に独り言やな……)
それが逆に面白くて、つい聞き入ってしまう。
「……んー、やっぱり、あの子の所に行ったほうがいいのかな……でも、行ったら迷惑かもしれないし……あー、もう少しで答えが見えそうなのに……」
(……ん? あの子って誰やろ……?)
古都音は思わず眉をひそめる。
――神さん相手でもな、調子に乗ったらあかんえ。
ばあちゃんの声が、ふと思い出される。
そのとき、木漏れ日の向こうで、何かがふわりと光った。
空気が揺れるように感じる。
まぶしいはずなのに、目を細めなくてもよかった。
背中を包むような温かさが広がる。
気づくと、社殿の前に女の人が立っていた。
いつからいたのか、分からない。
年は、古都音より少し上にも見えるし、ずっと下にも見える。
制服でも私服でもない、けれど不思議と違和感のない服装。
少し照れたように笑っていた。
「……聞こえてたんだね」
その一言で、古都音は妙に安心してしまった。
怒られていない。怖くもない。
「……人間、ですよね?」
女の人は一瞬考えるように首をかしげる。
「うーん……どっちかっていうと、ここにいる“側”かな」
古都音は、その言葉を頭の中で反芻する。
小さなお社。
午後の木漏れ日。
昔から通ってきた場所。
急に、幼少期の記憶がよみがえる――
――初詣や合格祈願のとき、ここで小さな声を出していた自分。
――「ことねです、4さいです!」って一生懸命右手の指を4にして、神様に報告してた、あのころのこと。
「……あの」
女の人は首をかしげる。
「なに?」
「さっきの話、続き……聞いてもいいですか」
女の人は、一瞬目を丸くして、それから、くすっと笑った。
「変な子」
でも、その声は、どこか嬉しそうだった。
そして、ふと目が光る。
「あっ、古都音ちゃんか!今日も来てたの?」
(えっ……誰やったっけ……?)
古都音は一歩後ずさる。
顔見知りではないはずやのに、ちっちゃい頃の声や木漏れ日の感触と重なって、懐かしい気持ちが体を通り抜ける。
昔から知ってる近所のおばちゃんに、偶然会ったときのような、不思議な感覚だった。
次の更新予定
2026年1月16日 05:00
神さまと、ちょうどいい距離 月灯 @tsuki_akari_guide
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