第3話

 土曜日になった。

 天気は快晴で、外出には申し分のない天候だ。

 時刻は13時30分を回ったところだ。

 土曜日の駅前は家族連れやカップルをはじめ多くの人が歩行している。

 昨夜は遠足前夜の子供のように、あまり眠ることもできなかった。

 その結果、朝早く起きて準備も完了し、30分も前にこの場所で立っている。


「よ、曽場。ずいぶんと早いな」

「こ、近ちゃん。何時から来てんだよ」

「今来たところだ、とでも言えば株が上がるんだっけ?」

「真面目に聞いてんだよ」

「駅には1時間前にいた。この場所には……今来たところだ」

「何でこんなに早く来てんだよ。あたしと出掛けるのがそんなに楽しみだったのか? なんて、そんなことないよな」

「……楽しみにしていた」


 冗談半分に聞いたが、近ちゃんが目を合わせてくれない、照れ隠しなところを見ると、きっと楽しみにしてくれていたのは本当だ。

 ……嬉しいなぁ。


「映画は何時に始まるんだ?」

「ああ、15時から始まって17時30分には終わる。チケットは事前に取ってあるから、発券するだけ。近ちゃんの分もある」

「分かった。昼ご飯は食べた?」

「あ、いや……食べてない」


 近ちゃんと出掛けることに緊張して食事が喉を通らなかった。

 ちょっと出かけるだけでこうやって心がドキドキしてしまうなんて、あたしには考えらえない事だった。


「そっか。じゃあ、早く集まれたし、軽く食って行こうか。終わるまで腹減るだろ?」

「ああ。そうだな」

「カフェ的なのでいいか? 徒歩5分くらい」


 あたしは頷いて彼の横に付いて、歩き始めた。

 背が低く歩幅の小さいあたしに合わせて歩いてくれる近ちゃんの手が目に入った。

 手を繋いで歩いてみたい。

 そう思ったそのとき、近ちゃんはあたしの肩をグイっと寄せた。

 あたしに歩道側を歩かせるためだ。


「都心は車が多いな」


 優しい男だ。

 こうやって店で世間話だけの関係から一歩踏み出したことで、彼のことがより深く理解できてくる。

 近ちゃんは長く接することで味が分かる存在だと思ってきて、好きになってきたが、まだまだ、近ちゃんのことを知らないのだとも分かった。


「天気よくて良かったな。曽場もなんかいつもと雰囲気違うし」

「そ、そうか。てか、気が付くの遅ぇって」

「化粧がなんかいつもと違う気がするな」

「普段はほとんどしてないから。やっぱ、食べ物屋で匂いがする化粧品とか使いにくいだろ。てか、あんまり見るなよ、恥ずかしいだろ……」

「そっか。あと、ピンク着てるなんて見たことなかったから」

「に、似合わねぇよな……ピンクなんて……」


 今日はピンク色の膝上くらいのワンピースを着用してきた。

 少し寒くても見てもらいたくて上着は脱いでいる。

 化粧もしっかり目にしていて、あたしらしくないことは分かっている。


「似合ってるんじゃないの? かわいいぞ」

「……はぇ。今なんて言った?」

「……何にも言ってない。他の人の話し声だろ」


 ちゃんと聞こえている。

 早足になった近ちゃんは耳を赤くして、自分の言葉を思い出しているのだろう。

 かわいいなんて思ってくれているとは思っても見なかった。

 一応まだ、21歳の女の子だから、かわいいと言われたいのだ。

 普段言葉使いも悪く、態度も大きいあたしはかわいいとはかけ離れていることは自覚している。

 でも、好きな男だけには、そう見えていて欲しいし、言われたいものなのだ。

 そして、言われた。

 好きな男から言われるその言葉は誰からの称賛よりも嬉しくて、忘れられない。


「近ちゃんは女を口説くのが上手いな。会社員は話術が得意なのか? かわいいとか、今はハラスメントになっちゃうんじゃないのか?」


 会話を繋ぐためにドキドキしながらも普段と変わらない、少しいたずらっ子な顔で茶化すことを聞いた。

 すると、近ちゃんはその場で立ち止まり都会の喧騒のなか、聞こえるかどうかぐらいの声で言う。


「……そんなこと、曽場にしか言わない……特別だ……」


 流石に体が沸騰するほど熱くなり、近ちゃんにとってあたしが特別な人間であることが何よりも嬉しい。

 大好きだ。

 後姿の近ちゃんの顔は見えないが、きっと真っ赤な顔をしているのだろう。

 それは、あたしも同じ。


「ほら、着いたぞ。早く冷たいコーヒーでも飲みたいから」

「あ、うん。そうだな……えっ……」


 近ちゃんはきっと今正常な思考をしていない。

 早く店内に入って落ち着きたいがために焦ったのだろう。

 近ちゃんに手を引かれながら店内に入っていくのである。

 手、繋げた……近ちゃんの手、大きいなぁ。

 体が、心がポカポカするなぁ。

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