私だけ寒いクリスマス

さべーじ@らびっと

クリスマスの夜に


事後の気怠い頭に声が響く。


"ねぇ、私は幸せ?"


何回目だろうか…この問いは。


そして、何時からだろう……この声が聞こえ始めたのは。


ピンク色の間接照明で照らされたホテルの壁を見ながら、そんな事をぼんやりと考える。


いつもと同じ、先輩の腕の中で快感の余韻に震える体を落ち着かせる。


熱が引いていくと同時に体の中に隙間風が吹く。


寒さを嫌い一層体を寄せるが、心はより冷えていく。


焦点の合わない目が天井を見上げ、幸せで満たされていた日々を自分で壊したあの日の事を思い出す。






私はあの日…初恋だった彼を選ばなかった。


1年以上付き合っていた彼を捨て、たった1、2ヵ月、体の関係を持った先輩を選んだ。


私と彼がキスしている写真を餌に、口止めの代わりに体を要求してきた姑息な先輩を。


私を気遣い優しく包み込んでくれた彼よりも、私を組み伏せ好き勝手に汚した粗暴な先輩を取った。


何度も先輩に呼び出される内に、次第に自分から足を運び自分から先輩を受け入れた。





そしてあの日…私の部屋で彼と肌を重ねているときに、先輩が部屋に来るように仕向けた。


彼では満足できなかった私を存分に抱き潰し、彼には見せたことが無い牝の顔を彼に見せた。


私を大切な女の子としてしか見ない彼よりも、荒々しく私を貪る先輩を選んだ。


私の告白を受け入れてくれた優しい彼の手を……私は取らなかった。


その日から、私は彼と居ることはなく一人だった。


身長差カップルとして校内で有名だった私達が一人で居ること、そして普段と変わらない私とは対極に意気消沈…いや、憔悴した彼の姿は多くの生徒の目に留まった。


仲のいいクラスメイトや部活仲間からは何かあったのかと聞かれたが、ただ「最近、時間が合わなくなって気持ちがズレてしまったから別れた」とだけ答えた。


嘘は言っていない。


先輩との時間を優先して、彼と会う時間は減っていた。


ただそうなった理由を…私は言葉にしなかった。




先輩と関係を持つ前まで、時間があれば私と彼はいつも一緒にいた。


登下校、昼休み、休みの日も…。


私が部活の時だって彼は先に帰ることが出来たのに、私の練習を見学したり、校内に残っていたクラスメイト談笑していた時もあれば、テストが不安なクラスメイトと自習をしたりして待ってくれていた。


それに、練習試合や大会には彼はいつも来てくれて私にエールを投げてくれた。


会場内に溢れる歓声に埋もれるはずの、たった一人のエールが私に力を与えてくれた。


その彼が、あの日以降一回も会場に姿を現さなくなった。


最初は都合が合わなかったのかとか、浮気されちゃった?とか周りからは笑い半分の軽いノリで言われていたが、それが何回も続けば何かがあったことを悟られた。


この時、悲劇のヒロインのように振る舞っていれば、今のこの状況にはならなかったんだと思う。


でも…私は自分に正直すぎた。


この時、体も心も完全に先輩に向いていた。


先輩こそが私に相応しい人だと。


そして私の言葉を聞いた彼女たちは不信感を抱き、噂が生まれた。




私が彼を捨てたという噂が…。




それが生徒達の間で、事実として認識されるのに時間は掛からなかった。


部活中に頻繁に姿を晦ます私、誰かに肩を抱かれて歩く私の姿、そして…ホテルに出入りしている私達の写真。


探せばいくらでも噂を裏付ける証拠が出てくる。


それらが瞬く間に広がり、私は孤立していった。


クラスでは話しかけられることがほぼ無くなり、授業合間の休憩時間、昼食時も一人で過ごした。


部活でもバレー部のエースとして集中的に受けていた特訓に呼ばれることが無くなり、部員たちから声を掛けられることも無くなった。


自分がどういう状況に居たのかを、私は理解していなかった。


四六時中、頭の中は先輩とのことでいっぱいになり声を掛けられ手も上の空、掛けられたことに気付かないことすらあった。


だから部員のみんなは私に話しかけなくなった。


部活の練習中、先輩は私に抜け出すように言ってくることが度々あった。


皆が真面目汗を掻きながら練習に励む中、私は空き教室や用具倉庫、運が良ければ保健室で先輩と汗を掻いていた。


健全な汗を皆が掻いている中、私はいやらしい不健全な汗を掻く。


その背徳感が私を昂らせる。


そのうち、先輩に物憂げな視線を送り、示し合わせたように体育館から姿を消すようになった。


部長たちが特訓を行おうとしたときに私はいつも居ないといった事が多くなり、問いただそうとする前に噂が蔓延した。


そして…あんなことが起こるなんて、想像もしていなかった。






女子バレーボール部、退






ある日、部活が始まる前に部長からそう告げられた。


部活へ取り組む姿勢、噂の真偽から部員への影響を考えて部に在籍するのは相応しくない、退部して欲しいと。


これまで続けてきたバレーを取り上げられるのを拒み、必死に食い下がったが…聞き入れてもらえなかった。


普段面倒見のいい部長が鬱陶しく私の言葉を切り捨てる。


「男にうつつを抜かして、さぼるような奴はいらない」


その言葉を否定して大会の事も持ち出すが、私の退部は覆らなかった。


今日明日中に荷物を持ち和えれと言われて部室に私物を取りに行くと、丁度着替え終わったバレー部の仲間が出てくるところだった。


それまで和気あいあいと話し、女子高生らしい活気に溢れていた空気は私の姿を視界に捉えると霧散し、代わりに不快さを伴う気まずい空気が立ち込める。


先輩も後輩も…誰もが私に声を掛けることなく足早にその場を立ち去り、一人そこに取り残される。


涙が零れた。


中学の時から続けてきた、コンプレックスだった高身長を長所に替えられた居場所を無くしてしまった。


自分の所為で。





力ない足取りで家路についているとポケットに入れていたスマホが震える。


見なくてもわかる。先輩だ。


緩慢な動きで通話に出る。


「………はい」


「今どこにいる」


苛立った声が聞こえる。


私と同じく、先輩にも何かしらの処分があったんだろう。


「…帰ってるとこ「駅前に来い。今直ぐな?」」


それだけ言うと、私の言葉を待たず切られた。


私の事なんか気にもかけない、最低な先輩。


今私を呼び出したのだって、ただ私で憂さ晴らしをしたいだけ。


それが分かっているのに、足は駅の方に進んでいく。





そして…私は先輩と、もう何度も足を運んでいるホテルに居る。


知り尽くされた体をいい様にされ、私もそれを受け入れた。


事後の鈍い頭で彼との過去に想いを馳せる。


彼はとてもやさしかった。


痛みに顔をしかめる私を落ち着くまで抱き締めてくれた。


私を気遣い、寄り添っていてくれた。


学校でも、デートの時も、肌を合わせたときも…。





「んっ」


先輩の手が私に伸びる。


鷲掴みにされ、好き勝手に形を変え、そこからの甘い痺れが頭を焦がす。


体の上に乗せられ突き上げられる。


満たされない心の隙間を埋めるため、私も先輩の突き上げに合わせ体を弾ませる。


再び熱を帯びる体とは裏腹に、心は凍てついて行く。




"ねぇ、……私は…幸せ?"




またあの声が聞こえた。






クリスマスのイルミネーションで飾られた大通りを歩く。


厚手のコートに包まれた私の肩を、さっきまで私の体を好きにしていた先輩の手が捉えている。


私の手は所在無く彷徨い、結局自分のもう片方の手を握り締める。


寄り掛かるほどに密着しているのに、先輩の存在を遠く感じている。


軒並みを連ねるショップは何処もクリスマスに合わせた商品を展示して、並べられたそれをカップルや家族連れ、もしくは相手にプレゼントするのか一人で見ている人達が大勢いる。


そんな人たちやお店を一瞥もしないで、先輩は歩いていく。


肩を抱かれた私もお店を覗くこともなく足早に過ぎ去る。


幸せそうな人たちの間を縫うように。


幸せそうな会話を聞きながら。




「先輩…。あそこのお店、入りませんか?」


私は一軒のお店を指差し、何気なくそう口にした。


個人の輸入雑貨店。


欲しい物があるわけじゃない。


強請ねだりたいわけでもない。


でも、周りに居るクリスマスを幸せそうに楽しんでいる人たちを見ると、自分だけが不幸せに見えてしまった。




だから、万が一にもあり得ないのに…先輩に縋ってしまった。





「あぁ?んなとこ入って何買うんだよ。…コンビニ行くぞ。ゴム切らしてたわ」






…分かってた。


私は恋人なんかじゃない。


私の気持なんか汲み取ってくれない。


私はただの…都合のいいセフレの一人に過ぎないって…。






無反応な私が気に食わないのか、舌打ちが聞こえたときに何処かから聞き覚えのある声がした。


「あれくらいなら俺の方で出したのに」


「いいんです!あれは私が出さないと意味が無いんですから(センパイへのプレゼントなんですから…」


彼だった。


今私が入ろうと言った雑貨屋から彼が出てきた。


隣には同じ高校の制服を着た子が、彼の手を握りながら親し気に話しかけている。


いや、親しいなんてものじゃない。


お店を出て直ぐに、繋いでいた手を離さないまま彼女は彼の腕を胸に抱き抱える。


まるで決して離さないとでも言うように。


彼の方も彼女のその行動を目を細めて受け入れている。


その視線には愛おしい者を見る優しさがあった。


彼に応えるように彼の腕を抱く彼女も顔を向け、嬉しそうにはにかんだ笑顔を見せる。


笑顔の2人。


幸せそうな2人。


嘗て、私に向けられていた柔和で温かみのある視線が、隣の彼女に向けられているのを見て…私は、大切なものを失くしたことに気が付いた。




嗚呼、心に隙間風が吹く…。





「まだごっこ遊びで満足してんのかよチビ野郎」


私が自分の選択を後悔している間に彼と隣の彼女は、いつの間にかすぐ近くまで来ていた。


その2人の姿に先輩も気付き、体のいいおもちゃを見つけたとばかりに口を歪め、見下したような言葉を彼に投げかけていた。


「てめぇも以外に尻軽だな。こいつに捨てられてそんな経ってねぇってのに、もう新しい女捕まえてなんてな。あぁ、お前男だっけか!わりぃわりぃ。たっぱもガタイも女みてぇだから間違えちまった」


こちらに向かってくる彼に、先輩は嘲るような言葉を矢継ぎ早に口にする。


…あの日、私の部屋で、私を抱きながら、私の痴態に絶望した彼を更に傷つけたのと同じ言葉を。


彼は私の部屋を飛び出していった。


大粒の涙と叫び声、そして私への怨嗟の声を残しながら。


その時のことを思い出し、今はもう無関係な彼を傷つけたくなくて先輩を止めようとした。


「ンゥ!」


先輩を咎めようと顔を向けた時、唇を塞がれる。


突然のことで固まる私を他所に唇を割り、滑る先輩の舌が入ってくる。


先輩の手に顎を捕まれ顔を背けることも出来ずなす術もなく口内を荒らされ続ける。


そして、それを次第に受け入れてしまう自分の体を呪った。


往来にも拘らず、先輩によって開花した自分の体が先輩の舌を受け入れるまでに時間は掛からなかった。




10秒か、1分か、それとも10分か…先輩の顔が離れていく。


息も絶え絶えな私は先輩に身を預け、力の入らない体を預ける。


それはまるで先輩にしな垂れかかっているような形になり、私の浅ましさを改めて彼に見せつけることになる。


「…見たか?こいつ、もう所構わず発情して俺にせがんで来んだよ。てめぇと……」


違う、そんなことにはなってない…と口にはできなかった。


力が入らず、熱を帯びてきた体に否定の言葉は出なかった。


彼に顔を向けることが出来ず先輩の胸に顔を埋めるが、先輩は更に彼を虐げようとしているのか私の顎を再び掴む。


「…ほら、見てみろよ。思い出すだろ?こいつの部屋で、こいつが見せた牝の顔をよ。てめぇには出来なかった……」


先輩の言葉が止まる。


何があったと思い、潤んだ視界で近づいてくる彼を捉える。


女の顔をしている私に侮蔑の表情を浮かべているか、それとも見たくもないと嫌悪の表情を見せてくるか、どちらにせよ好意的な表情は浮かべてないだろう。




何も変わっていなかった。




先ほどの、隣に並ぶ彼女に向けた優しげな表情を彼は浮かべていた。


どうして、と思い視線を向けて気が付いた。


私を………見ていない。


私だけじゃない。


先輩の事も見ていない。


「…オイ、なんだその態度はよぉ。女寝取られた男が舐めた態度取ってんじゃねぇぞ!!」


周りにいた人が何事かと振り向くほどの怒声を先輩が上げるが、それに構わず彼と隣の彼女は近づいてくる。


5m…3m…1m…。


もう手が届きそうな距離まで近づいてきた。




そして………そのまま私と先輩の隣を通り過ぎた。




声も、視線も、一回もこちらにかけることなく、幸せなカップルの二人は幸せには見えない私達の横を通り過ぎて行った。


もう、怒り、憎しみ、嫌悪感すら湧かないほどに興味を持たれていなかった。


私は彼の中で、とうの昔に過去の遺物になり果てていた。




「待って!!!」




先輩の手を振りほどき、私を置いていく彼の後ろ姿に言葉を投げかける。



「私が間違ってた!」



仲睦まじく歩く彼に訴える。



「私を大事に想ってくれていた君の事、裏切ったのを謝るから!」



自分の過ちを認めて、許しを請う。



「だから、もう一度!私と、一緒に…!」



もう一度私の手を取って欲しいと訴える。



「二度と!もう二度と!君の手を離さないから!」



過ちを繰り返さないと誓う。



「だから!…私と、やり直し……」



彼の姿が、遠巻きに見ていた人たちに隠れ見えなくなる。


…振り返ることなく彼は姿を消した。


力が抜け、その場で座り込む。




もう…全て終わりなんだ……。




「うっざ」


歩道に座り込んだ私に吐き捨てるように先輩が口にした。


私を助けることなくその場を離れるつもりだ。


私の背後から「おう。今から行くわ。あぁ、あの女使えなくなっちまったんでな」と電話している声が聞こえるからだ。


遠巻きにしていた人達も動き出し、クリスマスの活気にあふれる街並みの空気に戻っていく。


その中で、私だけが取り残される。


私だけが一人…。


隣には誰もおらず…待つ人も居ない…迎える人も居ない…。


幸せな空気の中、私だけが幸せを感じられない。




「………雪」




空から白い結晶が舞い落ちてくる。


ホワイトクリスマスだと周りが湧く中、私はそれを無感動に見つめていた。


同じ光景を彼も先輩も見ているだろう。


彼は何と思うだろう。


隣に寄り添う彼女と一緒に忘れられないクリスマスだと思うだろうか。


先輩は何と思うだろう。


何も思わない…いや濡れるのに苛立ちを隠さない、その程度だろう。


私は…私は、何を思っている。


雪がちらつくのを見ながら、私は自分の体を抱きしめる。


「寒い…寒いよぉ…」


体に付く雪ではない。


隣に誰も居ない。


愛情と優しさを向けてくれる相手は居ない。


体を蹂躙し、快感を与えてくれる相手も居ない。


誰からも愛されず、誰からも相手にされない。


「誰か…誰か…私の傍にいて。…私を、一人にしないで…」


優しい彼を捨て、快楽与えた先輩を取り、また優しい彼を欲したがためにどちらも失った。


舞う雪が増え、体の熱が奪われていく中、心にも隙間風が吹き熱を奪っていく。




17歳のクリスマス、幸せな空気の中、私は一人凍えている。


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