第3話 誤解とパンケーキ


 街中でチンピラに絡まれてしまった後、家まで送ってくれる車内の中で、僕はとても気まずさと申し訳なさでいっぱいだった。


 大学生にもなって、人前で大泣きした事への気まずさと、助けてもらった上に、家まで送ってくれる事への申し訳なさ。



 そんな僕に、晴臣さんは「びっくりしたやろ。あの辺はあんな奴がようさんおるからな。気ぃつけな」と優しく教えてくれたが、僕は何も返すことができなかった。


 そして家に着くまで、終始無言だった車内の中。


 終いには、送ってくれた事へのお礼も、助けてくれた事へのお礼も忘れる始末。



 本当に最悪だ。


 きっと晴臣さんも、何やこいつって思ったに違いない。


 あれから一週間経つけど、晴臣さんが来ないってことは、きっとそう言うことだろう。



 別に、来なくなる事はいい。


 けど、お礼くらいはちゃんと伝えたかったな。




 そう考えては、ため息をつく僕に、マスターが「菖蒲くん。もう皿、乾いているんじゃないかな」と言い、僕は自分が乾ききっている皿を拭いていることに気づく。


 僕は「す、みません……」と皿を置こうとした時。



 カランカランッとドアベルの音がしたので、僕は「いらっしゃいませ――」と声をかけるも、入って来た人の顔を見て驚く。


 そんな僕に、その人は「おはよう、あやめん」と笑いかけて来る。



 そう、いつものように晴臣さんが店にやって来たのだ。


 いきなりの晴臣さんに、僕は顔を背け「おはようございます……」と小さく挨拶をしてしまう。



 本当に馬鹿だ。


 これでは余計、失礼なやつと思われてしまうのに。



 晴臣さんは、いつも通り窓際の席に腰を下ろすので、僕もいつものように注文を取りに行く。


 晴臣さんはその日、メロンクリームソーダとショートケーキを頼んだ。



 今日はおすすめ聞いて来なかったな……やっぱり、失礼な態度怒ってるんじゃ……。




 キッチンに注文内容を伝えると、中野さんは「お、今日はいつものやな」と、ショーケースからショートケーキを取り出す。


 そんな中野さんに僕は「あの、このケーキ一つ用意してくれませんか? 後でお代は払うので」と言うと、中野さんは「はいよー」と特に何を聞くでもなく用意してくれる。




 「お待たせいたしました。メロンクリームソーダとショートケーキ、それからフォンダンショコラです」




 そう言って、晴臣さんが頼んでいないフォンダンショコラを差し出すと、晴臣さんは「頼んでへんで?」と不思議そうな表情を浮かべる。


 そんな晴臣さんに「これは、僕からです……」と返す。




 「こ、この前、おじさんに絡まれてたところ、助けてくれたのと、家まで送ってくれたことのお礼で……その……ありがとうございました」




 人にお礼をするのは、こんなに緊張するものだったか。


 何故か僕は凄く緊張し、声が震える。


 晴臣さんは、何も言わず僕を見るだけで、もしかして迷惑だったんじゃと思い「あ、あの……いらなかったら残してもらってもいいんで……!」と言うと「いや……」と言う声が聞こえて来る。




 「俺はてっきり、怖がられてしもたもんやと思ってたから、びっくりして……」




 そう言う晴臣さんに、僕は「え?」と訳がわからないと言った表情を浮かべる。


 どうして僕が晴臣さんを怖がるのか? 助けてもらったのに。


 そう考えている僕に、晴臣さんは言う。




 「俺もどっちかって言うと、あのおっさんと同じ部類に入るやん? やから俺の事も怖い思ってんちゃうか思ってん。」


 「俺の顔見て泣いてたし、車ん中で静かやったし、怖がらせてしもたなって」




 物凄く誤解をしている晴臣さんに、先程まで緊張していたのが無くなる。


 どうしてそうなるの……?


 いや、僕が誤解させるような態度を取ったからか。




 「ほんまは、もう店来ん方がいい思ったんやけど、あやめんと友達辞めるの嫌やな思って、来てしまってん」


 「ごめんな」




 そう申し訳なさそうにする晴臣さんに、僕は「違います!」と声を上げる。


 あまりに大きな声だったものだから、他のお客さんたちは、僕の方を見る。


 僕は一つ咳払いをすると「大学生になって、人前で大泣きしたことの恥ずかしさと、助けてもらった上に、家まで送ってもらった事への申し訳なさのせいで、僕が勝手に気まずくなってただけなんです!」と説明する。




 「それに、顔見て泣いたのも、怖くてじゃなくて……あ、安心、したから……」



 

 少し前までの、晴臣さんと話したことがなかった時の僕からしたらあり得ないだろう。


 けれど確かにあの時、晴臣さんの声を聞いて、顔を見たら安心して涙が出て来たのだ。



 改めて面と向かって、安心したと言うのは恥ずかしく、晴臣さんから目を逸らす。


 すると、プッと吹き出す声が聞こえたかと思えば、晴臣さんは、周りの人に迷惑にならないようにか、腕で口元を抑え笑い出す。

 


 そんな晴臣さんを「何笑ってるんですか……」と睨みつけると、晴臣さんは「ごめん……予想外すぎて……」と笑い続ける。


 僕は「子どもだって思ったんでしょ」と更に晴臣さんを睨みつけると、晴臣さんは「思った」と言うので、僕は、好きなだけ笑ってくださいと言わんばかりに、睨みつける。



 すると、晴臣さんは机に肘をつき、顔を傾け僕を見ると「ほんま、菖蒲くんは可愛いな」と言う。


 あまりにも優しく笑うので、僕は思わず、顔が赤くなるのを隠すために、顔を逸らす。




 「……可愛くありません。」


 「はいはい。菖蒲くんはかっこいいですよ」




 そう全く心のこもってない声で言う晴臣さんを睨むと、晴臣さんは「やっぱ来て正解やったわ」と言い、フォンダンショコラを手に取ると「ありがたく頂くわ。あやめんの気持ち」と笑う。


 先程から、僕だけがなんか負けている気がするので、僕は「出来てたの出しただけですけどね」と返す。




 「それでも嬉しい。ありがとう」




 そう嬉しそうに笑う晴臣さんを見て、僕も、つられて頬が緩んでしまった。







 「なぁ、あやめん。今日のシフト何時に終わんの?」




 いつものように朝10時に店にやって来た晴臣さんは、会計の最中の僕にいきなりそう尋ねてくる。


 僕は「えっと、今日は12時までです」と聞かれるまま答えると、晴臣さんは「わかった。あ、ありがとう」と言い、店を後にする。


 そんな晴臣さんに不思議に思いながらも、僕は特に何も気にして居なかった。




 「――お疲れ様でした」




 今日バイトは12時までで、大学も無く、特に何も予定がないので暇だなと思いながら、店を出た時「あーやめん」と言う声が聞こえて来る。


 その聞き慣れた声に、この世で僕の事をそう呼ぶのはたった一人しかいないので、直ぐに声の主がわかる。



 僕は振り返ると「何でいるんですか……?」と、二時間前に帰ったはずなのに、何故か店の前にいる晴臣さんにそう問いかけるのだ。


 僕の問いかけに、晴臣さんは「何でって、あやめんを待ってたに決まってるやん」と言うので、僕は「二時間もここで?」と聞き返す。




 「そんなわけないやん。一回、事務所戻ったよ」


 「なるほど。それで、どうして僕を? 何か用ですか?」




 そう淡々と尋ねる僕の肩に、晴臣さんは腕を回すと「この後暇?」と問て来るので「まぁ、一応」と返す。


 すると、晴臣さんは「やったらちょっと俺に付き合うて」と笑うと、僕の有無も聞かぬまま、僕を店の目の前に止めて居た車に乗せるのだった。



 「一体、どこに行く気ですか」と言う僕の問いに、晴臣さんは「んー、いいとこ」と曖昧に返す。


 本当にどこに連れて行かれるんだろ。


 いいとこって言うけど、見当がつかない。



 晴臣さんにとっていい所かもしれないけど、果たしてそれは僕にとっていい所なのだろうか?




 そんな考えがぐるぐると頭を巡る中、ふと、隣に視線をやると、晴臣さんは凄くご機嫌に運転をしており、僕と視線が合うととてもいい笑顔を浮かべる。


 大人が凄くご機嫌なのって、不気味だなぁ……。



 何て考えているうちに、車は目的地の場所についたらしく、晴臣さんは「着いたで! ほら、降りて降りて!」と急かしてくる。




 「急かさないでくださいよ」




 強引に人を連れて来て、急かして来るなんて。と思いながら車から降りると、見えて来たのは今の流行りっぽい、SNS映えしそうな可愛らしい見た目の店に、そんな店の前に大勢の女の子たちが並んでいる様子だった。


 その瞬間、頭の中を嫌な予感が過ぎる。




 「一応、聞きますけど、もしかして僕たちあそこに並びませんよね?」




 そう聞く僕に、晴臣さんは「ご名答やで、あやめん」と答えるのだ。




 「嘘でしょ……」


 「ほら、早よ行くであやめん! 混んでまう!」




 晴臣さんはそう言って歩いて行く。


 ここがどこかも分からない僕からすれば、帰る術もないので、僕は大人しく晴臣さんの後を追う。




 「なぁ、あやめん見て! このパンケーキ、アイスも乗ってるって!」




 店内はキラキラと、いかにもSNS映えな雰囲気が漂い、女の子達が好きそうな可愛らしい空間が広がる中、僕の目の前には目つきの悪い三白眼の、この店内の誰よりもガタイのいい男が座っている。


 あまりにもアンバランスな、目の前の景色に、僕は目眩を起こしてしまいそうだった。



 どうして僕は、こんな可愛らしいお店に、こんないかつい人と向かい合って座っているんだろう。


 そう、落ち着かない僕に、晴臣さんはいつものテンションで話しかけて来るので「どうしてそんなに普通なんですか」と聞くと、晴臣さんは「逆に何でそんなあやめんは、この世の終わりみたいな顔してんの?」と不思議そうに言うのだ。



 どうして、僕の反応がおかしいみたいな表情をしているんだ、この人は。




 「キラキラと可愛らしい店内に、僕たち以外全員女性の中、男二人で向かい合ってスイーツだなんて、気まずすぎますよ」


 「そうか? 俺は別に気にならんけど」


 「ちょっとは気にしてくださいよ。第一、どうしてこんな所まで僕を連れて来たんですか? パンケーキ屋なら、もっと男でも入りやすい所あるじゃないですか」




 先から周りの視線が痛く、こちらを見てはヒソヒソと何かを話している。


 そりゃそうだ。


 こんな可愛い空間の中に、いきなりひょろひょろの男と、いかつい男という謎の組み合わせが入って来たのだから当然の反応だろう。



 晴臣さんは「何でって、そりゃ、ここのパンケーキが食べたかったからに決まってるやん」としれっと言う。




 「昨日の朝の情報番組でな、映ってて美味そうやなー思ってたら、行けん距離やないからあやめん誘って行こー思って」


 「来たかったのなら一人で来ればよかったじゃないですか。僕を巻き込まないでください」


 「いやだって、想像してみ? こんな可愛い空間に、こんな目ぇ死んでるおっさん一人で入って来てきてみ? 通報されんで」




 目死んでるって言う自覚はあったのか。


 いや、そんな事はどうでもいい。



 つまり「僕も道連れにしたって事じゃないですか」と言うと、晴臣さんは「人聞き悪いな。あやめんと一緒に来たかったからに決まってるやん。な?」と笑うが、100パー嘘だ。




 「こう言うところに来たいなら、女性と来ればいいじゃないですか。男が増えたところで意味ないですよ」


 「それもそうやな。次からはそうするわ。来てもうたのはもうしゃあないんやし、早よ頼も」




 そう言ってメニューを見る晴臣さんに、僕は何処まで自分勝手な人なんだ……と思いながらも、確かに来たからには何か食べないと勿体無いと、メニューを見る。




 「あやめん、何するか決まった?」


 「僕はこの、バナナチョコパンケーキにします。」


 「え、そんなシンプルなんでいいん? もっと、クリームもりもりのもあるで?」


 「そんなに食べれないですよ」




 結局僕は、バナナチョコパンケーキを、晴臣さんはいちごチョコパンケーキクリーム大めを頼んだ。



 だめだ。


 やっぱり、何度見てもこの可愛い空間に、晴臣さんが居るのが違和感すぎて……一周回って面白くなってきた。



 そう、笑わないように表情を殺しながら晴臣さんを見ていると、ずっと黙っていた晴臣さんが「さっきの」と言ったかと思えば、僕を真っ直ぐ見「あやめんと一緒に来たかったって言うの本心やで」と言う。


 あまりに突然で、驚く僕を見て、ふっと笑みを浮かべる晴臣さん。



 丁度その時、店員さんがパンケーキを持って来てくれ、晴臣さんの視線は直ぐにパンケーキに注がれる。


 「ありがとうございます」と嬉しそうにパンケーキを受け取る晴臣さんを、しばらく見ることができなかった。



 パンケーキは見た目の割に、意外と甘すぎなく、甘党って訳ではない僕でも食べやすかった。




 「あやめんって、大阪の人間ちゃうよな?」




 しばらく、パンケーキを食べ進めた時、晴臣さんは唐突にそう聞いて来たのだ。


 僕は「違います。東京出身です」と答えると「やんな」と頷く。




 「大阪来て長いん?」


 「いえ。大学の入学と同時なんで、まだ一年ちょっとです」


 「へぇ……何で東京から、わざわざ大阪の学校に来たん?」




 そう言えば、晴臣さんとこう言ったプライベートの話はしたことなかったと思いながら、僕は大阪の学校に通っている理由を話す。


 すると、晴臣さんは「お笑い? なんか意外やな」と言うのだ。




 「そうですか?」


 「あやめんが大笑いしてるとこ、あんま想像つかへんわ」


 「あぁ、よく表情筋死んでるよねって言われます」




 高校の時付き合ってた彼女は、無表情で何考えてるか分からないってフラれたっけ。


 別に何も考えてないんだけどな……。



 そう、過去のことを思い出していると「そうか?」と晴臣さんは不思議そうな表情を浮かべる。




 「あやめん、分かりやすい方やと思うけど?」


 「そんなこと初めて言われましたよ」


 「ふーん……今一人暮らしなんやんな? ご飯とか自分で作ってるん?」


 「はい。節約のためにも、毎日自炊してます」




 晴臣さんは「偉いやん」と言うと「今度、あやめんの手料理食べさせて」とお願いして来る。


 だけど僕は「いけたら」と返し、晴臣さんは「それあかんやつやん」と不満そうに言うのだ。




 「何でや、あやめんの手料理食べてみたいのに」


 「別に、普通ですよ。手料理が食べたいなら、自分で作ればいいじゃないですか」




 そう言う僕に「それじゃ意味ないわ」とつっこむ晴臣さん。


 あまりにもしつこいので、僕は折れ「機会があればですよ! 期待しないでくださいね」と口約束を交わすと、晴臣さんは嬉しそうに「約束やで」と笑うのだった。



 そんな話をしているうちに、僕も晴臣さんもパンケーキを食べ終えたので、帰ろうと車に乗る。


 帰りの車では、僕は疲れていたからなのか、いつの間にか晴臣さんの隣で爆睡をかましていた。



 まさか、ヤクザの隣で爆睡する日が来ようとは……なんて思いながらも「すみません、寝てしまって……」と謝ると、晴臣さんは「俺の車乗る奴みんな寝るから安心しいや」と笑うのだった。




 「あまりにも寝心地いいから、皆んな俺の運転する車のことゆりかごって言うねんで。やから俺も、赤ちゃん乗せてる思って運転するねん」


 「はぁ……何ですかそれ」




 晴臣さんの話はよく分からなかったが、確かに凄く乗り心地が良く、眠り心地も良かった。


 僕はもう一度、晴臣さんにお礼を言うと、晴臣さんは「今日は付き合うてくれてありがとうな」と逆にお礼を言われてしまう。




 「ちゃんと戸締りするんやで! 誰か来ても直ぐ開けたあかんからな!」




 そう言う晴臣さんに、お母さんかとつっこみたくなる。


 晴臣さんは、僕が家の中に入るところまで見届けると、車を走らせ帰って行った。



 あんな可愛い場所に連れて行かれるとは夢にも思っていなかったけど、僕も晴臣さんと行けてよかったと思ったのだった。

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2025年12月28日 11:00

交わることのない二人 透明 @toumei106

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