サンタクロースと250CC(ニーハン)のトナカイ

天堂与式

サンタクロースと250CCのトナカイ

「んじゃ、お疲れさまでしたぁ!」

「おーう、気をつけてな」


 職場であるレストランから出ると、冷気が容赦なく襲ってきた。十二月に入ってから一番の冷え込みだった。冬用ライダースジャケットでもその寒さは防ぎきれず、冷たさはグローブを貫通するように手に噛みついた。


「こりゃ、とっとと帰ったほうが身のためか」


 裏手の駐輪場に俺は足早に回り込んできた。一台のバイクの前で立ち止まった。


 ――ヤマハ発動機のデュアルパーパス・オフロードマシン「セロー250」。


 こいつが俺の愛馬だ。


 オフロードヘルメットをすっぽりかぶり、キーをシリンダに差しこみ捻った。ウィーンとインジェクタが動く音とともに、メーター周りのランプが点灯して、消えた。


 左側のフットレストに左足をかけ、右足をシート反対側へ跨がせる。両足が地面に付いたところで、左足でスタンドを払い、ガコンと振動が走る。


 右親指をグレーのイグニッションボタンにかけて――押し込んだ。


 ギュルギュルギュル、ブオン!


 エンジンがかかり、ドコドコドコと響く単気筒エンジンの振動が、全身に馴染んでいく。


 パタパタと足でマシンを後ろに下げ、クラッチを握り、左足でギアを踏み込んでギアを落とした。軽くクラッチを繋いだところで、じんわりと進みだすセローをハンドルで右方向へ誘う。


「おし、安全運転でいこうぜ、セロー先生」


 グッと前にゆっくり機体が動き出したところで両足をフットレストに乗せ、俺たちは帰路に就いた。


 ――十二月二十五日 午後十時


 世間はクリスマスの夜を迎え、お祭り騒ぎが落ち着き、年の瀬を迎える雰囲気に切り替わっていた。クリスマス・イブも今日の夜も、俺の職場であるレストランは予約でいっぱいで、人をかき集めて臨戦態勢を迎えていた。

 お客はみんな満足してたようだし、今年のクリスマスも大成功って、ところだろう。


 ちょうど赤信号に引っかかって、停止線の前で止まった。


 明日はオフだからゆっくり寝よう。なんなら近所のスーパー銭湯のサウナで整ってやろうか。


 ――そんな事を考えていると、赤い衣服の白い袋を背負っている人物が歩道を歩いているのが目に留まった。


(――ずいぶん気合入った格好してんなぁ)


 その人物が、やけにくたびれたように、トボトボと歩いているのが気になって、俺はバイクを歩道に寄せ、ハザードランプのスイッチを入れた。


 バイザーを上げると、トボトボと立派な白い髭のサンタクロースが歩いていた。ちょうど、俺の目の前を通り過ぎようとしていく。


「なぁ! 寒い中ご苦労さんだな! 家でお孫さんでも待ってるんかい?」


 妙に気になって、俺はひらひらと手を振りながら声をかけた。

 すると、その爺さんはぴたりと立ち止まり、こちらをゆっくりと見た。


「これは驚いた。お前さん、私が見えるのか」

「見えるも何も、こんな寒空の下でそんな格好してたら、誰だって気づくだろうよ」


 爺さんは、ふむ。といった感じで、あごひげを撫でまわし、俺を見た。

 ちょうど、後ろから男が一人歩いてきた。


「なあ、お兄さん。この爺さん、めちゃくちゃ気合入ってるよな? 全身どうみたってサンタクロースだよな?」


 男はこちらに気付いたようだが、あからさまにいぶかしげな表情をして……


「何言ってんの?」


 一言そう言い放って、さっと通り過ぎてしまった。


 ――まるで、この爺さんのことが見えていないようだった。


「……あんた、マジでサンタクロースなのか?」


 俺の言葉に爺さんはホッホッホと笑いながら頷いた。


「実は……これから、最後のプレゼントを届けに行くのだよ」

「最後って……。プレゼントって普通はイブの夜に配るんじゃねえの?」

「各家庭の都合というものもある。これから行く家の子は、両親の都合がつく今夜まで、家族のパーティを待っていたのだよ」


 爺さんは懐から手紙を取り出して、その内容を俺に見せつけてきた。

 黒いクレヨンで子供が書いた文字が元気いっぱいに並んでいた。


 ——サンタさんへ。ことしはパパとママがいそがしいのでパーティはおそくなります。なのでプレゼントはいりません。


「なるほど。そりゃあ、サンタも認めるよい子ってわけだ」

「そうだ。こういうよい子こそ、プレゼントをもらうべきだ」


 爺さんは手紙を丁寧に畳んで再び懐にしまい込んだ。


「で? これからどこまで行くんだい?」

「茨城だ」

「おいおい! ここ埼玉の南側だぞ?! 歩いて行こうとしてたのか?」

「そうだ。トナカイが残念ながら来れないからな」


 そう言われて、俺はハッとした。本物のサンタがいるなら、どうして本物のトナカイはいないのだろうか……。


「そうだよトナカイ! 真っ赤なお鼻のトナカイさんがいるもんじゃないのか?」


 そう言うと、爺さんは顔をしかめて残念そうな表情を見せた。


「実はな……うちのトナカイたちは皆、昨日一日のプレゼント配達で、皆が労働時間の規制上限に達してしまったのだ」


「……んんん?」


 ずいぶんとニュースとかで聞くような話が出てきて、俺は思わず変な声を出した。


「コンプライアンス遵守は大事だからな。今のご時世は」

「……そういうの、ちゃんとしてたんだな」


 俺はスマホを取り出してナビアプリを取り出した。現在地からさっきの手紙にうっすら書いてあった大人の字の住所を打ち込んだ。


「歩いたら十時間だ。夜が明けちまうぞ」

「ふむ、それは困ったな」


 爺さんの吐く息が白く、見ているこっちが凍えそうになる。

 俺は検索モードを切り替えて同じ目的地までのルートを探索した。


「……高速に乗れば二時間はかからないな」


 俺はリュックの中から、ハーフメットとゴーグルを取り出した。


「……後ろ乗りな。連れてってやる。どうせ明日は仕事休みだしな」


 今宵、サンタはトナカイじゃなくてカモシカ《セロー》に乗ることなった。


 *


 本線合流を前に加速車線に入り、俺はスロットルを思いっきり開いた。2人分の重量でサスペンションが沈んでいるのか、心なしか地面がいつもより近く感じる。右ウインカーを出した。右ミラーに接近車両の明かりは無く、目視でも危険が無いことを確認するとサッと本線に入った。

 クラッチを切り左足でギアを上げた。エンジンがグオオオオと高い唸りを上げながら風を切り進んでいく。


「高速道路を地に足を着けて走るのは初めてだ!」


 爺さんが風に負けじと大きな声で喋ってきた。


「そうかい! でも車よりはソリに近いんじゃねえかな!」


 俺も負けじと大声で返した。


「ちゃんと掴まってろよ!」


 目的地の出口までの距離を示す案内標識が左手脇を流れていった。


 *


 目的地は幹線を脇に入って少し進んだ住宅地の中にあった。その家の前で俺はキーを回してエンジンを停めた。


「助かったよ。 すぐに届けてくるから待っていてくれるかね」

「ああ、分かった」


 爺さんはゴーグルを額に上げて、白い袋を肩にぶら下げると、玄関の扉の方へ向かっていった。——そして、一瞬で姿を消した。


「あれ、爺さん?」


 ほんの二、三分だっただろうか。突然、見失った爺さんが扉の前からこちらに向かって歩いてきた。


「ホッホッホ、今年の仕事も無事に終わったよ。本当にありがとう。帰ろうか」

「そりゃよかった。お互い、無事に年を越せそうだな」


 爺さんが後ろに乗っかると、とぷんと車体が沈み込んだ。再びエンジンをかけ、俺はバイクを走らせた。


 *


「ほれ、これでちょっと温まろうぜ」


 パーキングエリアのコンビニで買った、カップから湯気を立てるコーヒーを一つ爺さんに渡した。

 爺さんはずずっと一口啜った。


「ああ、これは生き返るな」

「小腹も空かねえか? 寒いときはやっぱこれだろ」


 ホカホカの肉まんを渡すと爺さんは目を輝かせて、かぶりついた。


「ああ、肉の旨味が沁みるなぁ」

「へへ、バイクツーリングの醍醐味だな。ソリじゃあコンビニに寄り道なんてできなかっただろ」

「ああ、確かにそうだな」


 コーヒーを飲んで吐いた空気がハッキリと白くなる。空を見たがコンビニの照明に負けて、星はあんまり見えなかった。


「お前さんはどうして私を手伝ってくれたんだい?」


 爺さんがコーヒーを飲みながら尋ねてきた。


「まぁ時間があったからな。それにだ——」


 俺も一口コーヒーを飲んだ。


「よい子にプレゼント貰って欲しいなって、思っちまったんだよな」


 そう言うと、爺さんは深く頷いた。


「お前さんは人間だが、心は立派なトナカイだったようだな」

「……サンタクロースじゃねえんだ」


 一瞬間を置いて、ホッホッホと爺さんは笑った。


「世話になった。メリークリスマス」


 ——横を見ると、空のカップだけを置いて爺さんは居なくなっていた。カップはまだ湯気を立てていた。


「……お疲れ様、サンタの爺さん」


 自分のコーヒーを飲み干して、置き土産のカップを拾った。夜の冷気は肌を刺すような冷たさだったが、体の内はじんわり熱を帯びていた。

 ゴミ箱にカップを放り込んで、俺は250CCのトナカイの元へ戻ってきた。


「さて、帰って寝ますか」


 キーをシリンダーに差してONの表示まで回すと、ウィーンとトナカイが目を覚ました。

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