偽りの夜明け、冷たい復讐の華
Y.
第1話 始まりの裏切りと、復讐への誓い
1. 硝子の城で見た、偽りの夜明け
都心を見下ろす高層マンションのペントハウス。朝焼けが煌めく窓辺で、雨宮雫は白く繊細なレースのベールをそっと指先でなぞった。結婚式まで、あと三週間。
「雫、またそんなところで立ち尽くしてる。風邪をひくぞ」
背後から温かい手が伸びてきて、雫の肩を優しく抱いた。声の主は、婚約者の神崎 駿(かんざき しゅん)。IT企業『アレス・システム』の若き取締役であり、神崎グループの次期後継者候補の一人。誰もが羨む、輝かしい未来を約束された男性だ。
駿は、優雅な仕草でベールを取り上げると、雫の頬にキスをした。
「最高の花嫁になるよ、君は。……この世で一番、僕を理解してくれている雫」
「だって、駿くん。夢みたいなんだもの。私なんかが、こんなに幸せになっていいのかなって」
雫はかつて、ごく普通の家庭で育った、ごく普通のOLだった。駿と出会い、彼の真っ直ぐな瞳に惹かれて恋に落ちた。周囲は「玉の輿だ」「神崎家なんて複雑な世界で大丈夫か」と囁いたが、駿はいつも雫を守り、彼女の素朴な心を愛してくれた。
特に、駿の兄である神崎 蓮(かんざき れん)、グループの中核企業『エクリプス』のCEOである冷徹な実業家とは対照的に、駿は人間味に溢れていた。
「いいんだ、雫。君の笑顔が僕のすべてだ。結婚したら、君が描いた通りの、温かい家庭を築こう。君のお父様とお母様も、きっと喜んでくれている」
その言葉に、雫の心は幸福で満たされた。彼女の実家は、町工場を営む小さな会社だったが、駿は身分の差など気にせず、両親を心から大切にしてくれた。
朝食のテーブルには、駿が昨夜予約してくれた老舗ブランドの引出物のカタログと、今週末の最終衣装合わせの予定表が置かれていた。全てが完璧だった。彼女の人生は、輝かしい光に包まれていた。
「駿くん、本当にありがとう。私、駿くんのために……」
「愛してるよ、雫」
遮るように囁かれた甘い言葉に、雫は何も言えなくなった。この愛があれば、どんな試練も乗り越えられる。そう信じていた。
2. 幸福という名の、砂上の楼閣
結婚式の一週間前。雫は両親と三人で、最後の家族旅行に来ていた。慣れない高級旅館に戸惑う両親を、雫は笑顔で見つめた。駿との結婚で、両親にも少しでも楽をさせてあげたかった。
その夜、駿からの電話で、彼女の人生は音を立てて崩れ始めた。
「……は? 会社が、倒産?」
雫の血の気が引いた。駿が取締役を務める『アレス・システム』が、大規模な負債を抱えて突然、破産申請をしたという。
「落ち着いて聞いてくれ、雫。これが僕たちの試練なんだ」
電話口の駿の声は、焦っているというより、どこか冷めているように聞こえた。
「試練って、どういうこと? 駿くんの会社でしょう? お父様にも、多額の保証人になってもらう話が進んでいたはずじゃ……」
「そのことなんだ。銀行からの借り入れの担保に、君のお父さんの工場の土地と、資産を組み込む必要があった。まさか、こんな事態になるとは思っていなかったんだ!」
駿はそう叫んだが、その焦燥は、自分の会社の倒産を嘆くというより、自分の立場が危うくなったことへの苛立ちのように感じられた。
雫は、その瞬間、頭が真っ白になった。父と母が、長年築き上げてきた工場の、唯一の財産。その土地を担保に入れたのは、駿の「これは大プロジェクトの資金だ。結婚したらすぐに返す」という言葉を信じたからだ。
「嘘よ……駿くん。あれは、私たちの結婚の資金とは関係のない、絶対に手をつけないでって約束したお金だったでしょう?」
「細かいことを言うな! 神崎グループに復帰するために、僕は今、必死なんだ! そのためなら、何でも利用するさ!」
電話は一方的に切られた。雫は旅館の廊下にへたり込み、全身が震えた。
そして、その日の夜。ニュース速報が、恐ろしい真実を伝えた。
『神崎駿氏が取締役を務めていたアレス・システムは、取引先の関連会社に不当な債務を押し付け、事実上の計画倒産であった可能性が浮上しています。その関連会社の一つが、雨宮工業……』
雫の心臓が凍り付いた。計画倒産。つまり、駿は最初から、彼女の両親の資産を食い潰すために、彼女に近づいたということか。
「雫……」
両親の悲痛な声が聞こえた。二人とも、テレビのニュースと、破産宣告の通知書を呆然と見つめていた。築き上げた全てを奪われ、絶望の淵に立たされた、愛する父と母の姿。
「心配しないで、お父さん、お母さん。私、何とかするから! 神崎駿に、絶対に……」
雫の決意は、間に合わなかった。
夜明け前、静かに息を引き取った両親の姿を、雫は生涯忘れることはなかった。借金苦と、愛娘の婚約者からの裏切りという、あまりに残酷な現実に耐えられなかったのだ。
3. 奈落の底で見た、もう一人の裏切り者
両親の葬儀は、ひっそりと行われた。親戚は誰も寄り付かず、残ったのは莫大な借金と、孤独な雫だけ。
そんな絶望の中で、あの男が現れた。
神崎 駿。彼は、華やかなオーラを纏い、最高級のスーツ姿で、葬儀場に入ってきた。その隣には、白石 葵(しらいし あおい)という、派手な装いの女性が寄り添っていた。
「やあ、雫。こんなところで何してるんだい?」
駿は心底見下したような目で雫を見た。そこには、かつて雫に向けられた愛情など、微塵もなかった。
「駿くん……なぜ、葵さんと?」
「なぜ、だと? 決まっているだろう。僕はもうすぐ、葵と婚約する。君のような、価値のない人間といつまでもいるわけにはいかないんだ」
葵は、雫を見て嘲笑った。
「可哀想にね、元婚約者さん。あのね、駿は最初から、あなたの実家の土地が目当てだったの。あの古びた工場、担保として利用価値が高かったからね」
「嘘……」
雫は全身の血が逆流するのを感じた。
「嘘じゃないさ。君は純粋で、騙しやすい。神崎グループに戻るための、僕の踏み台としては最高だったよ。まさか、君の親が死ぬなんて、少し想定外だったが、まあ、仕方ない」
駿は、忌々しそうに、雫の両親の遺影を一瞥した。
「それにしても、見苦しいな。泣き叫ぶ親を、最後まで守れなかったんだ。君は僕を恨んでいるだろうが、恨むなら、自分の無力さを恨め。ああ、そうだ、この借金。君が全て引き継ぐんだろう? 僕には関係ない。さようなら、雫」
駿は、葵と共に、優雅に去っていった。残されたのは、焼香の煙と、雫の身体を打ちのめす激しい痛みの波。
愛していた男からの徹底的な裏切り。全てを奪われた現実。そして、最後に残ったのは、両親の死に対する、自責の念。
雫は廃墟となった実家に戻り、首を吊ろうとした。
しかし、その瞬間、脳裏に焼き付いたのは、駿の冷酷な嘲笑と、葵の勝ち誇った顔だった。
――このまま死んでたまるか。
憎悪が、雫の枯れ果てた心に、最後の炎を灯した。
4. 復讐者の覚醒と、闇の誓い
「雨宮 雫……」
雫は震える唇で自分の名を呟いた。その名には、もう何の価値もない。
「私は、もう雨宮雫ではない。私は、彼らをこの世の地獄へ突き落とすための、道具だ」
彼女は、借金の督促状と、両親の遺影を抱きしめ、復讐を誓った。
復讐の定義:
1. 神崎 駿と白石 葵から、彼らが愛するものすべてを奪う。名誉、財産、地位、そして精神的な安寧。
2. 彼らの裏切りによって、両親が受けた苦痛の数倍を味わわせる。
3. そして、彼らを操ったかもしれない、神崎グループの闇を暴く。
しかし、今の雫には、力も、金もない。
彼女は、まず、ターゲットの中で最も権力を持つ人間、神崎駿の兄、神崎 蓮に目をつけた。蓮は冷酷で、駿を常に格下に見ている。彼の力を利用できれば、復讐の速度は格段に上がる。
雫は、残ったわずかな現金と、両親が残した唯一の遺品である高価な宝石を手に、闇の中を歩き出した。
「私は変わる。以前の私を、殺す。そして、美しさ、知性、全てを、復讐の刃に変える」
雫は、その日から、生きる目的を「復讐」ただ一つに絞った。
体を鍛え、語学を学び、高級な立ち振る舞いを研究した。夜は、裏社会の情報に精通する協力者を探した(この協力者が、後に蓮のライバル企業から送り込まれた者であるという設定に繋がる)。
「星野 麗(ほしの れい)」。
数年後、雫は別人の名前と美貌、そして研ぎ澄まされた冷たい殺意を纏い、復讐の舞台である、神崎蓮の『エクリプス』の城へと向かうための、最初の一歩を踏み出した。
復讐は、蜜の味。
彼女は、その甘い毒で、裏切り者たちを焼き尽くすことを誓った。
次の更新予定
偽りの夜明け、冷たい復讐の華 Y. @y-sipitu_love
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