第3話

 3 ─魔導師─


 王国よりラティス伯爵へ拝領せしこの地の周辺はほとんど平野と荒野で占められていた。また高低差の激しい山々に囲まれ、良く言えば自然に恵まれた領地である。が、悪く言えば人が暮らすには侘しい地であった。

 おりしもその地を五頭の馬で駆る者たちがいた。雪のような白い衣に包まれ、手綱を握り馬に揺られている。彼らの顎下で首掛けもまたあちこちに揺れ動いていた。二本の杖と月と紫に輝く宝石──それはシンボルであった。

 魔導組織キャロル。

 都市アーシャに本拠地アジトを構える秘密組織であり、魔術の研究機関としての一面をも持つ。そも、魔術は学ぶものであるからして、研究という分野が一側面でしかないというのは、生粋の魔導師の感覚からすれば違和感であった。


 騎乗している五人の者もまた同じである。

 本来、こうしてお使いをされるような職ではないのだ──と、五人は言いたげであったが、しかし上に逆らうことは当然許されない。


 五人の魔導師に命じられたことはただひとつ。

 確認してこい。

 魔導組織の頭領を務める男の采配によってこの任を課せられ、アーシャを飛び出し、指定された場所へ向かっている。その場所とは──山の麓にある洞窟だった。


 突然の任命だった。

 頭領の魔導師ローヴの言葉によれば、その洞窟で処分を任せていた者が一向に帰ってこないらしい。知ったことではないが、どうやら芸術家気取りの基地外だそうで、創作と称して死体にあれこれ細工をするのだ。


 猟奇殺人鬼の仕業と見せかけることが、ローヴの狙い目らしい。


 アーシャを出て早二時間。五人の魔導師は例の洞窟に着き、目を疑った。人っ子ひとりいない空っぽの洞窟だったのだ。例の基地外と思しき人影もなし、一方の死体もなし。が、何も収穫がないわけではなかった。


 焚火をしていたのだろう。すでに火は消えているが、その残りかすが砂地の上でそよ風に揺れ動いていた。そして、ローヴの仕事を請け負った青年はそれを怠ったわけでもないらしい。ところどころに血が滲んでいた。このような痕がついても、焚火と合わせて見れば、獲った獣を捌いた跡に見えなくもなかった。


「足跡があるぞ!」


 五人のうち後方にいた男が叫んだ。

 観察していた四人は声のほうへぞろぞろと集まり、男の指が示すところへ視線を転じた。


 確かに足跡が続いている。二人ぶんだ。

 ひとつは裸足、片やひとつは靴を履いている。二つの大きさを比べると一回りほど差がある。靴を履いているほうが大きいのでおそらく男のものだろう。靴を履いた男が裸足の女を伴って歩いている姿を想像するが、奴隷を連れた高慢ちきで脂ぎった男が浮かんだ。


 しかし。


 この周辺に集落や村といったコミュニティは極めて少ない。あったとてそれぞれの距離は大きく開いている。極めつけはこの荒野──ならず者どもが跋扈する無法の地として名を馳せるラティス領で、馬もなしに男女ふたりで移動する者が果たしているのだろうか?


 足跡を追っていくと、五人の魔導師たちはあっと驚いた。

 百歩を過ぎたところで足跡が途切れている。これは、と五人はどよめき、ひとつの結論にたどり着く。


 ──バックトラック。


 獣の習性として敵の追跡を避けるため、自身の足跡を踏んで後退し、別の場所へ跳躍して異なる道を行くことをそう呼ぶ。ではどこへ向かったのか。もとの足跡が向かう先は遥か遠くの村へと続くはずのものだったが、それはブラフだ。


 では、いったいどこへ?


 五人はいま一度辺りを精査し、魔導組織のあるアーシャへと向かった。


  ♰


 五人の報告を受けたローヴは、はち切れんばかりの昂ぶりを身に感じて、己に恐れを抱いた。


 魔導組織キャロルのアジトである地下空洞。

 下水道を行った先、都市アーシャの中心──聖者の石塔のちょうど真下に存在する施設である。このような施設の設置を許したのは、領主であるメルナード・ラティス伯爵であり、組織の存続を黙認する共犯者に他ならなかった。

 ローヴたちのいるところは、机と椅子、本棚、応接ソファがあるだけの他愛のない小部屋だった。石と土だらけだった地下空洞を清掃し、下水道として工事を進めたのちに新たなに穴を開けていくつか部屋を作ったのである。

 そのうちのひとつが、いまいるローヴの執務室だった。


 ローヴはしばし息を整え、その昂奮を鎮めると整列する五人に言った。


「イアン・マクベリウスの所在は依然不明、妙な足跡をふたつ見つけたものの、どこへ向かったかわからない、とな?」


 え、ええ、と五人そろって頷いた。

 とたん、ローヴは執務机に拳を叩きつけた。ペンや書類が衝撃で散らかる。


「お前たちは知らないのかね。《聖夜祭》の原点を」

「……原点、とは」

「白魔導師と黒魔導師のはなしだ」


 五人は同時にぴんときて、


「そうとも。ふたりは必ず十二月の二十四日の夜から二十五日の朝にかけて、このアーシャでとある特別な祭りを開くのだ。この世で最もささやかな祭り──白魔導師は良い子供たちの望むものを創造し、差し上げる。黒魔導師は悪い子供にいたずらを仕掛け、時には攫い、喰らう。──恐ろしくも甘美で、しかし迷信だとされてきた伝説だ」

「存じております。しかし、それがこの件とどんな因縁が?」


 ローヴは小さく嘆息し、椅子ごと五人に背を向けた。


「それは迷信ではない。私は白魔導師も、黒魔導師も知っている」


 五人は、その言葉に呆気にとられた。まさか一大組織であるキャロルを率いる男が、冗談を言うとは思わなかったからだ。笑うタイミングを見失ったことに気がついた五人は、どうしようと慌てふためくが、


「このキャロルを作ったのも、遥かむかし、白魔導師と黒魔導師だ。この街の裏の管理者として──ラティス伯の懐刀としての機能を持つのが、このキャロルだったのだよ。

 当代のラティス伯は魔導師ふたりに快く接したが、その実子にあたるメルナード・ラティス伯は、むしろ彼らを恐れた。何より恐れたのは彼らの持つ独特の術と、習性であった。この地に根を下ろしていた旧家の末裔らしくてな……その一族特有のしきたりとして、子供に贈り物をするというものがあった。どこぞの見知らぬ子であれ、平等に分け与えようという異常なまでの寵愛。しかし同時に、どこぞの見知らぬ子であれ悪行を為した者には獣の臓物を部屋にぶちまけ、ジャガイモや人参を贈り、最悪その子供を攫っていくのだ。

 そして果てには、ラティス伯は若きころの我々に命じた。白魔導師と黒魔導師を殺せ、と」


 五人の顔がようやく張り詰めたものになってきた。夢物語を聞かせられているような気分だったものが、とつぜん血生臭いものになると誰でも驚きはするものだ。


「そのとおりにした。が──白魔導師の死体は確認したが、黒魔導師の死体は確認できなかったのだ。彼らと相対した場所の近くには崖があり、底には川が流れていた。激しい雨で氾濫していて、そんなときに満身創痍だった黒魔導師は川へ身を投げたのだ。

 あれだけの激しい流れだ、死なないわけがない。そう思ったのだよ」


 重々しい沈黙が流れた。しかし五人は、ローヴが言わんとするところを理解していた。


 ──復讐。


 その死したはずの黒魔導師は、長い歳月を経て果たしにきたのである。


「ローヴ殿。その者の名は、なんと申すのですか」


 五人のうちとくに心配性な者がそう問うた。

 名を聞いてどうするのか。張り紙にその名を記して街中に流すのか、あるいは名前を頼りに先んじて首を獲りに行くのか。


 どちらにせよ、五人の意思が集うところはただひとつ。


 かつて伝説とされた黒き魔導師の名を、

 憎き者どもを屠る復讐鬼の名を、


 その忌み名を、知りたかった。


「──ネヴィル・ルークレヒト」



 名を知って愕然とする五人の姿を見送ったローヴは、抽斗から葉巻を一本取り出して口に咥えた。乾燥してカサカサになった唇に、葉巻の感触が伝わると気持ちが落ち着くものだ。泣き喚く赤子におしゃぶりを与えるようなものである。

 しかし、このときばかりは安心などしていられなかった。


 奴が、戻ってくる。


 ローヴは葉巻に火をつけるのをやめて、椅子から腰を浮かせた。執務室の壁際に本棚がある。およそ魔導書グリモワールに関連する考察などについて記された書物が大半を占めている。上から数えて三段目、ローヴの目の前にある書物──題名『幽世と現世』。その書物を取り出そうと後ろへ引く。すると、がちゃり、と施錠が開く音が一瞬聞こえた。


 本棚は数センチ上へ浮いて、横に移動する。


 そして彼の前に現れたのは、扉のない等身大の洞であった。これは、地下室のさらに下へ行くための出入り口である。ローヴはその先に足を踏み入れた。


 この通路の存在を知っているのはローヴと、この先にいる人物のふたりのみである。


 その人物のいる〝檻〟へとたどり着いて、ローヴは格子状の扉の鍵を開け、中に入った。その人物は枷を手足につけられ、自由に身動きできずにいる。しかし疲れが溜まっているらしく、埃だらけの床に頬をつけて眠っていた。


 ローヴはその者の真横に立ち、片足を後ろへ振り上げ──その横っ腹に鋭い蹴りを見舞った。かはっ、と蹴られた者は血の混じった唾液を吐き、身体を丸めてうずくまった。


「聞け。よい知らせだ」

「…………」


 眼を細めてローヴを見上げている。かつて五十年前、眸に灯っていた叛逆の意思は一片たりともない。

 奴隷のような風貌だが、若い青年の顔をしている。傷や埃で薄汚れているが、よい形をしていた。

 そんな青年が苦痛に顔を歪めるのを見て、ひとしきり暗い悦楽に浸るのがローヴの趣味だった。


「お前の言ったとおり、弟は生きていた」


 ローヴの言葉に青年は一瞬顔が和んだが、


「……ネヴィル……?」

「そうだ、ネヴィルだとも」

「……ネヴィル、に、何をした?」


 少しずつ顔色が回復していって、むかしのような眼つきになってきた。


「何も。そもそも仕掛けてきたのは奴のほうだ」

「なら見逃せ」

「馬鹿なことを言うまいよ。身内がやられたとあらば、仇を討たねばならん。我ら魔導組織キャロルは、この街の番犬でもあるからな。災いのもとは、早々に断つべきだ」

「この街の癌は貴様らのほうだ、たわけ。我らの定めた掟、『たとえ何者であれ殺めるべからず』を破っておきながら──、待て」


 青年の表情は固まり、ローヴは恍惚の表情でその続きを待った。


「弟が、殺めたのか? 人を?」


 ローヴはその言葉を聞いて、満足そうに下卑た笑みを浮かべ、高らかに声をあげた。


「そうだ、そうだよ〝ニコラス〟! お前の弟は人を殺した! お前のその薄汚い耳に、もうひとつよい知らせを入れておこう。奴はな、この街に向かっている。ふん、すでに到着したかもしれんな」

「なっ──!」

「復讐を果たしにきたのだろう。泣ける話だよな、ニコラス。お前の弟は、お前の仇討ちのため人を殺せるようになったのだぞ? 成長したじゃないか」

「黙れ、黙れ黙れこの無礼者がっ! そんなわけがない。しょせんは貴様の妄想だ。妄言だ。厚顔無恥な貴様のことだ、私を陥れるための作り話に決まっている!」


 愉快なことだ、とローヴは嘯いた。

 彼を捕らえ、ここに閉じ込めてから早五十年は経とうというのに、彼の魂は衰えというものを知らない。


「そう思うのなら勝手にしなさい。すぐに奴はやってくる。まあ安心しろ、お前と同じ檻に入れて、私がふたりとも可愛がってやろう。兄弟仲良く、な」


 ははははは──


 ローヴの汚穢おわいに満ちた高笑いが、空虚な地下空間に木霊する。ニコラスは耳を塞ぎたい衝動に駆られるが、縛られた状態ではどうしようもできなかった。


〝頼む、ネヴィル。まだ間に合う。来ないでくれ〟


 彼は、ただひたすら弟の無事を祈るだけの像に成り下がるほかなかった。しかしそれでも、ただここであの男に隷属するよりは何百倍もましだと、そう己に強く言い聞かせて。



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暗き聖夜より罪を贖う 静沢清司 @horikiri2

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