お食事処 ■■■■

 目的地である定食屋は木造平屋の建物だった。


 入口であるガラスの引き戸の上には大きな看板。だが文字はほとんどかすれてしまっていて、辛うじて判読できる部分から、御幣島は目的の場所に相違ないと判断することができた。

 一見すると古びているだけで不気味さなどは感じられない。周囲の風景と馴染んだ、何の変哲もない飲食店。


 とはいえ、御幣島の身体は緊張に包まれていた。こうして取材先にやってくる時はいつもそうだった。

 それは恐怖、ともいえた。だが俗にいう幽霊などに対して抱くものではない。取材の元となった情報が偽物だったらどうしよう、急いで別の記事のネタを見つけないといけなくなる、という恐怖だった。


 果たして本当に噂通りの人物なのか。はたまたガセネタなのか。御幣島は期待と不安が混ざった身体で一歩踏み出し、引き戸に手をかける。


「えっと……ごめんくださーい」

「はいはーい。今行きますよー」


 引き戸を開けて声を上げると、ほぼ同時に返事があった。年老いた、しわがれた声。地方独特の、少し変わったイントネーション。

 それがどこか動画を想起させて、御幣島はその場で固唾をのむ。


「はーい、いらっしゃあい」


 やがて御幣島の前に、ひとりの老婆が姿を現す。


 そんな彼女は、瓜二つだった。動画で見た『AIおばあちゃん』と。


「ほ……」


 ほんとにそっくりだ! すごい!


 思わず御幣島は脳内に記憶した動画と目の前にある光景を比較する。白髪の多い頭髪。曲線を描く皺の数々。どこをどう見ても寸分たがわず同一人物だった。少なくとも、御幣島にはそう見えた。

 だというのに、店の雰囲気とも調和していて違和感はない。昔ながらの白い割烹着かっぽうぎ姿というのも溶け込んでいた。


「あのう、どうかしました?」

「あっ、いえすみません。ひとりなんですけど、いけますか?」

「もちろんよ。好きな席に座って」


 促され、目についたテーブル席へと腰かける。硬い木の感触が身体へとはね返ってくる。


 店内に御幣島以外に客の姿はなかった。閉店間際の時間にやってきたからだろう。だがそれこそ、御幣島の狙いだった。

 店主である老婆から、話を聞くために。


「あのっ! すみません。注文の前にいいですか?」


 御幣島は声を上げると同時に、ポケットの名刺入れから名刺を取り出した。


「実は私、こういう者でして」

「あらどうも……雑誌の方なんですねえ。オカルト、ねえ」

「はい。こちらには取材したいと思って来させていただきまして」


 まずは取材だ。そう思い、御幣島は話を切り出す。


「実は最近、ネットで流行っている動画がありまして。その動画の――」


 ぐううう。


 だが、御幣島の話は遮られた。他でもない、自身の腹の虫によって。

 もう一度、力のない音が響く。朝食を抜いたことが仇となったようだ。


「あらあら。それじゃあ先にごはんにされますか? 何にします?」

「あ、あはは。すみません。えっと、それじゃあ……うどんセット、いただけますか?」

「はいはい。じゃあ少し待っててねえ」


 そう言い残すと、店主は笑顔のまま厨房の方に消えていく。といっても、御幣島の席からでも厨房は上半分ほどが見える形になっているので、彼女の姿は御幣島の席からでも視認することができた。


 ……ほんとだ。すっごく滑らかに動いてる。近所の人から聞いた通りだ。


 先ほどの聞き込みを思い出しながら、ぐるりと店内を見回す。壁には、色あせてしまって文字が崩れてしまっているように見えるメニューや、剥がれかけのポスター。目に映るあらゆるものが外観以上に『昔からある定食屋』を絵に描いたように既視感があり、違和感というものはまったくなかった。


 やがて十分ほど待つと、店主はお盆を手に戻ってきた。


「お待ちどおさま。うどんセットね」

「ありがとうございます。うわー、おいしそう」


 テーブルに置かれたのは、うどんといなり寿司。趣向を凝らしたようなものではなく、至ってシンプルだった。だがこういうものの方が作った人の腕の違いがわかるのだと、御幣島は経験から知っていた。


 取材も大事だけど、ごはんも大事だもんね。それに、のびちゃったら申し訳ないもんね。


「いただきまーす」


 自分に言い聞かせながら、まずはうどんをひと口。コシがあって噛みごたえがありつつ、つるつるとしていて喉越しがいい。うん、美味しい。

 続いていなり寿司。これもまた美味だった。まるで出来立てであるかのように、お揚げから甘いだしがあふれ出してくる。じゅわりと。なんて優しい味だ。


 御幣島は休むことなく食べ進めていた。いなり寿司を食べきり、残ったうどんをすする。


 おや、うどんの量が思ったより多いや。どんぶりにこんなに入るものなのかな。食べきれるかなあ。でも、残したら悪いもんね。


「……ふー、ごちそうさまでした」


 結局、ニ十分ほどかかって完食した。うどんにしては時間がかかったが、食べても食べてもなかなか減らないあの大ボリュームでは致し方ない。どんぶりに物理的に入りきらない、というか普通に盛り付けたらあふれ出してしまうんじゃないかと思ったが、町の定食屋は予想以上の量だったりすることがあるので、こういうものなのだろう。


「お嬢ちゃん、いい食べっぷりねえ。ちょっとびっくりしちゃったわあ」


 老婆が笑う。もしかしたら御幣島がお腹を空かしていたのを見て、量を多めにしてくれていたのかもしれない。


「いえいえ、とっても美味しかったです!」


 手を合わせて一礼すると、食べ終えたどんぶりたちを下げてくれる。満足感にひと息つく御幣島だったが、はたと思い出した。


 そうだ、取材だ。


「あ、あのおばあさん。さっきの話の続きなんですけど」

「あらあ、そうだったわね。いったい何の取材なのかしらあ?」

「えっとですね。おばあさんが、とある人にすごく似てるって言われてるんですよ」


 御幣島はそう言うと、スマホを取り出して『AIおばあちゃん』の動画を見せる。ちょうど最近投稿された、アイスケースに頭から突っ込んだ動画だった。


「あら、本当にそっくりねえ。でもこの人、なんだか変なことをしてないかしら?」

「そうなんです。というのもSNSに投稿されたこの動画の人、実在するわけじゃなくて、AIでつくられたんですよ」

「SNS? AI? そういうのがあるのねえ。最近お客さんが増えてるなと思ったら、そういうことだったのねえ」


 納得がいったというような声を上げる老婆。どうやら御幣島以外にもネットの噂をもとにして訪れた人間がいるようだ。


「嫌じゃないんですか?」

「別に嫌なことなんかないわよお。別に私が悪いことしたわけじゃないものねえ」


 売り上げが上がるならうれしいものお、と笑う。方言とおぼしき独特のイントネーションが一層感じられた。


「ちなみに、おばあさんが動画に出てるご本人だったり……なんてことは?」


 試しに、御幣島は少し切り込んだ質問をしてみることにする。が、老婆は笑顔のまま答えた。


「ないわよお。もし私だったら、もらった出演料でお店の壊れたところをなおしてるものお」

「ですよねー、あははー」


 さすがに本人、なんてことはないか。


「そういえば、以前はあまりお客さんが少なかったー、とかってあります?」

「うーん、どうかしらあ。あんまりそんな気はしないけどねえ」

「ふむふむ、なるほどなるほど……」


 御幣島は聞き取ったことをメモ帳に書き留めていく。スマホのメモアプリを使わず手書きが彼女のこだわりだった。


 ……うん。本人からの聞き取り取材はこんなところかな。これ以上はあまり聞けそうなことはなさそうだし。


「ありがとうございます! 貴重なお話をおうかがいできました!」

「いいのよお。若いお嬢ちゃんとお話しできてうれしかったわあ。それで、いつ記事になるのかしらあ?」

「あはは、それがちゃんと雑誌に掲載されるかはまだ未定でして……」


 記事の草稿は書けても、そこからの壁が高い。もちろん御幣島としては没にならないようないい記事を書くつもりではあるのだが。


「あら、そうなのねえ。それじゃあちゃんと記事になるように私も祈ってるわあ」

「ありがとうございます、がんばります!」


 とはいえ、オカルト雑誌なので実名は載せられないのだが。まあそのことは言わなくていいだろう。


 その後、支払いを済ませて店の外へと出る。見送りのためか、老婆もわざわざ出てくれた。


「来てくれてありがとうねえ。話せてむっちゃ楽しかったわあ」

「ありがとうございます! それでは失礼しますね、ごちそうさまでしたー!」


 にんまりと笑いながら手を振る老婆に一礼すると、御幣島は定食屋を後にする。


 御幣島が見えなくなってからも、老婆はいささか大げさに手を振っていた。それこそ、見る人によっては指の数が増えて見えてしまうほどに。

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