イブは家族で

dede

イブは家族で


 結構仲のよい家族だったように思う。

 父と母。少し歳の離れた姉と妹がいた。そこそこ裕福で。家があって。たまに旅行に出掛けたりして。恵まれた生活をしていたと思う。

 クリスマスは家族で過ごすのが通例となっていた。父が「クリスマスは家族で過ごすものだ」と譲らなかった。昼はいくら友だちと遊んでたとしても必ず夜には家に帰ってきて家族揃って夕食を取る。そういう決め事だった。友達から夜に集まってクリスマスパーティーを開くと聞いたとき、僕も誘われたが許してくれなかった。後日その時のみんなから聞いて羨ましくなったものだが、普段は甘い父がそこだけは頑なに許可を出す事はなかった。

 それは年頃になった姉にも同様で、クリスマスの夜は家で一緒に過ごすことを強要した。姉は美人だったので随分モテた事だと思う。きっと彼氏も一人や二人いたに違いない。一緒に過ごせず、さぞ残念がっていたんじゃないかと思うのだが、姉に聞いてみると穏やかに微笑み


「そんな事ないよ。お父さんとは関係なく、私はクリスマスを家で過ごしてたよ」


 と本音かどうかは知らないが、僕にそう答えていた。


 でもそんな生活も案外あっさりと崩れ去った。両親と妹が乗った車が交通事故に巻き込まれたのだ。姉と僕の二人だけになった。年が明けてすぐの頃。姉は高3で僕は中学生であった。

 姉は18歳だったのでともかく、未成年者の僕の扱いに親戚一同が頭を悩ました。皆悪い人達ではなかった。困惑はしつつも遠地の親戚は僕の身を預かろうと言ってくれもした。ところがだ。大学受験を控えていた姉は、ほぼ合格圏だったにも関わらず受験を諦め就職に切り替えた。そして親戚のツテを頼って小さな企業の事務職に就いた。そして僕の身を引き取った。


「だって家族は一緒でなきゃ。でしょ? それともお姉ちゃんと一緒は、イヤ?」


 なんて言って。まるで父みたいだなと思ったが、僕も遠くの地でまるで知らない人たちと暮らすよりは姉と一緒がいいなと思い、受け入れた。

 家は手放した。僕は詳しく知らなかったが、姉と親戚たちで売りに出したらしい。家があるならそのまま住み続ければとも思ったが二人で住むには広すぎたし、ローンもまだ残っていた。結果、住み続けるよりもアパート暮らしの方が安くついたらしい。

 姉と二人荷物を抱え、生まれた時から住み続けた家を出る時、不思議な気持ちだった。ココ以外に住むという事の実感のなさと言ったらなかった。両親と妹が死んだと聞いた時と似たような心持ちだった。


「行こう」

「……うん」


 初めて訪れた新たな入居先のアパートは、嗅ぎ慣れない匂いがして今日からココに住むという実感がまるで湧かなかった。

 しかし生活する事に変わりなく、いざ姉との二人暮らしが始まると目まぐるしさに日々追いやられて感傷に浸っている暇もなかった。家事は母任せだったため、姉も僕も互いに不慣れで時間と苦労を掛ける必要があった。

 ましてや姉は社会人一年目で毎日仕事からクタクタになって帰ってくる。あまり高くない給料で二人も食べていかなくてはいけないから贅沢もできない。

 それでも。そんな生活に次第に僕らは慣れていく。5人で暮らしていた記憶は薄れていき、姉との二人の生活が染みついていく。日常になっていく。馴染んでいく。

 そうして一年が過ぎていき、またクリスマスになった。父はもう居なかったが、外で遊ぶお金もなかった。だから姉と狭いアパート一緒に過ごした。ささやかながらも普段より豪華なオカズで姉とこの日を祝った。

 高校には進学した。働くべきかと思ったが姉は自分の事を棚に上げて進学を強く勧めたし、僕も比較的勉強はできる方だったので学費の安い学校を選ぶ事ができた。

 高校ではバイトも始め、ようやく少し家計にゆとりもでき始める。2年目のクリスマスには互いにちょっとしたプレゼントまで用意できるようになった。

 それからずっとクリスマスは二人で過ごしてきた。姉も良い歳だというのに、クリスマスを弟と過ごすのは些か心配していた。それまで男の影を感じる事もなかったのだ。若い姉の時間を仕事と僕の世話だけで消費し続けるのはとても心苦しかった。けれでも姉は言う。


「あら? 心配ありがと。でも私は幸せだよ。来年もまた、一緒にクリスマスを過ごしましょうね」


 その翌年。姉は失踪した。クリスマスの日だった。僕は大学生になっていた。

 失踪届は出したものの、ジッとはしてられずに姉の勤める会社に問い合わせてみた。応じてくれたのは姉と同年代の女性だった。


『特に不自然な点はなかったと思うよ。ああ、でも。あの人、毎年クリスマスは必ず定時に上がってたんだ』


 知ってる。


『いつも、彼氏さん?って聞いても笑って誤魔化してたんだけど今年は、家族と過ごしますって。それで別れちゃったか―って噂になってたんだけど。弟クン、何か知らない?』


 知らない。姉の家族はもう、僕一人のハズ。今年も今まで通り一緒にクリスマスを過ごすハズだった。どういう心境の変化があったのだろうか。


 疑問は解けないまま、姉も帰らず一年が過ぎた。またクリスマスが来る。何かの事件に巻き込まれたのかもしれないし、案外今の生活に嫌気がさして男と逃げたのかもしれない。

 後者だったらいいと思う。何度も言うが僕なんかに時間を消費するには姉は勿体ない存在だったから。今頃素敵な彼氏と新たな人生を歩んでたらいいのになと常々思っていた。

 そういう訳で今年のクリスマスは一人だ。一緒に過ごす相手の当てはなかった。どのバイトのシフトを入れようかと考えていたある日の夜、帰宅したアパートのポストにハガキが投函されていた。僕宛だ。差出人はない。

 裏返してみる。色鉛筆で描かれたサンタにツリー、プレゼント。クリスマスカードだ。幼いその絵柄は妙に懐かしさを覚えた。中央には、こう印刷されている。


『今年こそは皆で過ごしましょう』


 場所は……心臓が跳ね上がった。以前、僕たち家族が住んでた家の住所だった。なにより僕の心をザワつかせたのは


『p.s. 去年はゴメンね』


 そう、ハガキの隅に書き殴られた手書きの文字は見慣れた姉の筆跡だった。それで心は決まった。その日のバイトは全て断って、招待を受ける事にした。







 指定の時刻が迫ってきたのでクリスマスの夕暮れ、最寄り駅で降りると地図アプリを見ながら家までの道のりを歩いていく。日もとっぷり沈み、辺りは暗い。シルエットだけのカラスの集団は鳴きながら住処に戻っていく。時折、チカチカと庭や家をイルミネーションが彩っている。通り過ぎていく家の窓からは灯りが漏れていて、時折テレビの音や子供の声が聞こえてきた。

 家に近づくほど、見知ったものが増えていく。遊んだ公園や昔の友達の家。記憶にあるより、くたびれている。友達は今も住んでるのだろうか。そんな風に懐かしみながら歩いた。よく吠えられた家の前を通ると、空いた犬小屋だけが庭に放置されていた。

 家にたどり着く。あの後念のため確認したのだが、売りに出された家が購入されたという情報はなかった。しかし予想外というか、予想通りというか誰も住んでいないハズだというのに家じゅうの窓にはカーテンが掛かっており、その隙間からは光が漏れている。

 僕はドキドキしながら震える指先で呼び鈴を押した。中から「はーい」という懐かしい声が聞こえ、ドタドタと足音が聞こえる。程なくして施錠が外れ扉が開かれた。


「お帰り。寒かっただろう。早く入りなさい」

「お帰りなさい。もうご飯の支度は出来てるわよ。さ、早くあがって」

「……ただいま」


 僕はあふれそうになる涙を堪えると靴を脱いで家に上がった。見間違えるハズなんてない。そこには変わらぬ姿の父と母がいて、笑顔で僕を歓迎している。嗅ぎ慣れた、家の匂いがした。

 ダイニングに行くと、暖房が効いていて温かい空気にホッと気持ちが和んだ。明るい照明。カーテンの閉められた窓の前には電飾が瞬いているクリスマスツリー。ダイニングテーブルの上にはチキンやサラダなどの豪華な食事。真ん中には真っ白なクリスマスケーキ。かわいいトナカイとサンタの砂糖菓子が乗っている。5脚の椅子がテーブルを囲っていた。そして。


「お兄ちゃんだ! お帰り、お兄ちゃん!」


 僕を見つけた妹は屈託のない笑顔で駆け寄ると抱き着いてきた。僕もそれをしっかりと受け止める。妹は記憶から変わっておらず小学生ぐらいの背丈のままだ。


「ああ。ただいま」

「ほら、早く座って座って!」


 妹に手を引かれ促されるままに席に着く。父も母も座る。妹は僕の横。しかし僕のもう片方の隣りの席は空席のままだ。


「姉さんは?」

「出掛けてまだ戻ってこないのよ。まったく、こんな大事な日にあの子ったら」


 と母が漏らす。姉のその行動に僕は疑問を覚えた。誰よりクリスマスを楽しみにしていた姉だ。僕の記憶の限りでは姉がクリスマスに遅刻した事は去年の一度しかなかった。けれど父が言う。


「じきに来るだろう。先に始めてようか」

「そうね。あまり待たせてもよくないし」

「おなか空いたー」


 母がそれぞれの取り皿に料理を盛り付けていく。


「飲めるようになったのか?」

「少しは」

「そうか。なら乾杯しようじゃないか」


 父は僕のグラスに赤ワインを注いでいく。そして自分のグラスにも注いでいった。と、その最中に僕のスマホが震える。画面を確認した。


「どうした?」

「なんでもない。ごめん、少しトイレ」


 僕は席を立つとダイニングから廊下に出てトイレに向かう。スマホの画面にはこう表示されていた。


『何も食べないで。自然を装ってトイレに行って』


 姉からのラインだった。

 僕はトイレに入りカギを閉めると姉に電話を掛ける。しかし電話はすぐに切られ、代わりにまたラインのメッセージが届いた。


『窓を開けて。外を見て』


 なぜ姉は電話に出ないか疑問に思ったが、言われるままに曇りガラスのトイレの小窓をカギを外して開けてみる。


「え……これって……」


 絶句した。僕の記憶のままであればトイレからは裏庭と裏の家の壁しか見えないはずだった。しかし今目の前には、荒涼としたひび割れた大地が広がっていた。周囲に建物一つない。ただ見渡す限り無数の粗末な十字架が突き立てられていた。月は出てない。星も見えない。雲で覆われているようだった。生き物の気配はない。動くものは、空からチラチラと降り続ける雪だけだ。急いで姉にメッセージを送る。


『姉さん、これってどういうこと?』

『わからない。でもここは私たちがいた世界じゃない。

これから席に戻ってみんなを確認してもらうけど落ち着いて。気づいてるとバレないで。

その後今度は自分の部屋に向かって。

いい? 絶対に飲んだり食べたりしてはダメだよ』


 姉の落ち着いてという言葉にイヤな予感しかしなかったが「わかった」と返事をしてトイレを出た。すると、早速異変に気付く。照明が行きより暗い。そしてほんのりと異臭がする。酸っぱい、不快感を感じる匂い。ダイニングに近づくと徐々に臭いが強くなる。

ダイニングのドアノブに手を伸ばして引っ込める。触れた指先を擦るとヌメっていた。気を改めて今度こそ扉を開けた。


「っ……!」

「ドうシたんだイ? ほら、早く席ニ座ッて。乾杯しヨうじゃなイか」

「温かイウちに食べましョウ」

「ホら、お兄チャん早ク」

「……うん」


 僕は咄嗟に眉を顰めそうになるのを堪える。の声はくぐもっているのにところどころ甲高くて聞き取りづらかった。思わずダイニングに入るのを躊躇う。改めて室内を見渡す。この部屋も薄暗い。さきほどクリスマスツリーだと思ったものは食べ終わったブドウの房のような金属製のオブジェだった。テーブルの回りには3つの肉塊。内臓を彷彿させるソレは時折拍動しつつピンク色をした表面は濡れていて照明で怪しく光っていた。それらが顔らしき個所をコチラに向けている。

 悪臭の元は彼らのようだ。腐臭で先ほどまであった食欲は消え失せており、代わりに酸っぱいものがのど元にこみ上げてきた。尤も。僕は一瞥する。先ほどまで料理が乗っていたはずのテーブルには、彼らと同じような質感の小さな塊が乗っていた。僕はさっきまでアレを食べようとしていたのだろうか。


「さア、早ク。食べルよ」

「……ごめん、始める前に部屋に荷物を置いてくるね」

「そウカ。早クな」


 僕は息を止めて室内に入り足早に肉塊の横を通り過ぎると置いていた荷物を手に取りすぐに部屋を出た。そして階段を上ると僕の部屋だった室内に入った。ガシャリとドアを閉じる。ようやくプハァーと息をつけた。部屋に入るとすぐに姉からのメッセージが届いた。


『何も口にしてない?』

『食べてない。姉さん、何なのあの化け物は? 父さんたちは?』


「え……」


 家族に成りすましたあの化け物たちに僕は騙されそうになっていたのだろうか。しかし姉からの返信に僕はますます愕然とする。


がそうだよ。父さんだったもの。母さんだったもの。妹だったもの。それに、姉だったもの』


 慌てて返すメッセージを打ち込む。けれど、指先が震えてるせいでうまく打ち込めなかった。


『姉さん?』

『私は去年招かれたの。その時料理を口にしてしまった。そうして私はあの人たちと同じ存在になってしまった。

 悪意があるわけじゃないの。ただ、家族一緒に過ごしたいだけ。それだけ。それしか望みはないの。

 だからみんなの行いを許して欲しい。さあ、ココは私がどうにかするから、あなたはこのまま帰りなさい』

『姉さんは?』

『私はもう手遅れ。あなただけでも帰りなさい』


 僕は姉さんに電話を掛けた。すぐに通話はキャンセルされたが、隣の姉さんの部屋でブブブとスマホが震える音が聞こえた。


『そっちに行ってもいい?』

『駄目よ。今の姿を見られたくないの』

『姉さんは僕を助けようとしてくれてるじゃないか。まだ手遅れじゃない。一緒に帰ろう』


 次の姉からのメッセージは少し時間がかかった。


『私がここの呪縛に縛られてない理由はね。他の家族と違って、私があなたの事をだと思ってなかったからだよ』


 僕はスマホの画面に書かれた姉の告白を、懺悔を黙って読み続ける。


『駄目な姉でゴメンなさい。私は随分前からあなたの事を家族だなんて思っていなかった。弟だなんて思っていなかった。だから縛られなかった』

『やっぱりそっちに行くよ。去年渡せなかったクリスマスプレゼントがあるんだ』

『ありがとう。嬉しいよ。そこに置いてて。後で受け取るね』

『そっちに行く。直接会って手渡したいんだ』

『ダメ。わかって。ホントに見られたくないの!』

『イヤだ』

『わかった。私がそっちに行くから。でも目は瞑っていて。それが条件』

『わかった。それでいいよ。待ってる』


 僕は姉へのプレゼントを持つと目を瞑って姉を待つ。やがて部屋のドアノブに手が掛かり、ガチャリと音がしてドアが開いた。とたん周囲に漂う肉の腐ったような臭い。ズリズリと何かを引きずる音が僕に近づいてくる。プレゼントが引っ張られたので手から放すと手の中の重みが失われた。

 そして頬を悪臭交じりの風が撫でる。空気の動きでわかった。僕の顔のすぐ、ほんのすぐ前に何かがいた。温度は感じない。けれども確かにいた。

 僕の顔のすぐ間近にあったその何かは、結局僕に触れることをせずに離れていった。ズリズリと僕から遠ざかっていく。ガチャリと、ドアが閉まった。それでも僕は目を瞑ったままだった。

 やがてスマホが震えたので目を開ける。メッセージを確認すると、僕も自室のドアを開け、階段を下り、廊下を通り過ぎ靴を履くとドアを開けて家を後にした。


『クリスマスプレゼントありがとう。お姉ちゃん、とっても嬉しかったよ。

 一人にしてゴメンね。これからは自分で家族を作っていくんだよ。

 愛してる。元気でね。メリークリスマス。愛してる』


 僕は、別に良かったんだ。元の世界に戻ったって僕一人しかいない。

 だったら、同じ化け物になったって一緒に居られるんだったらその方が良いとすら思ったんだ。

 姉さんが望むなら。喜んで受け入れてたんだ。

 でも姉さんは。元の世界に帰れと望んだ。だから僕は帰ることにした。


 僕は振り返って、最後にもう一度家を見る。見上げると2階の姉さんの部屋のカーテンが開かれていて、そこには生前と同じ姿の姉が立っていた。彼女は僕と目が合うとニコリと微笑む。手には先ほど僕が贈った手袋をしており、その手で僕に手を振っていた。空いてる左手には蠟燭があって火が妖しく揺れている。

 僕も彼女に手を振って応えると、今度こそ振り返らずに住んでいるアパートに向かった。


 だから僕は、彼女が望むなら、別に良かったんだ本当に。


 帰り道、後方で消防車のサイレンが微かに聞こえた。翌日、あの家は全焼したという連絡が入った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

イブは家族で dede @dede2

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画