人の世にて、妖となる

うえすぎ

第1話「戦の前に、人は妖となる」



 戦は、始まる前が一番醜い。


 裏切りが決まり、

 密書が飛び、

 味方だった者の首に値段がつく。


 刀はまだ抜かれていない。

 だが、人の心はすでに何度も斬られていた。


 若き武将・**朝倉 景真(あさくら かげま)**は、

 地図の前で一人、立ち尽くしていた。


 敵よりも怖いのは、味方だ。

 その事実を、彼は理解し始めていた。


「……殿」


 声をかけたのは、従者の少年だった。

 名を弥助という。


 弥助には、ひとつだけ妙な力があった。

 人が“嘘をつく直前”、

 胸の奥がひどく軋む。


 理由は分からない。

 生まれつきだ。


 弥助は、今まさに、

 この陣の中で何人もの人間が

 嘘をつこうとしていることを感じていた。


「……何かあるか」


 景真の問いに、弥助は答えられなかった。

 力はあっても、確証はない。

 疑いを口にすれば、人は死ぬ。


 その夜、裏切りが起きた。


 弥助は知っていた。

 だが、止められなかった。


 血の匂いの中、

 景真は命じる。


「斬れ」


 それは正しい判断だった。

 少なくとも、この戦に勝つためには。


 遠くで、

 誰かが、静かに笑った気がした。


 振り返っても、そこには誰もいない。


 ただ、陣の奥の上座に、

 一瞬だけ――

 **“席がある”**ように見えた。

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