鼓(こ)

化野生姜

私は、日本の地を踏んでいた

 …昔から。

 暗闇と太鼓が苦手であった。


 タムタムというリズム。

 腹から響く重低音。


 夜中に一人でいると。


 そんな音が、どこからとも無く。

 地を這ってくる気さえし ――


「考えすぎなのよ。アナタ」


 新婚旅行を日本に決めた時にも。

 妻はそう言って笑っていた。


 手にしたパンフレットには『善光寺』。


 書かれていたのは。

 真っ暗な地下を進んでいくアトラクション。


 胎内巡り。


「…分かった。そんなに言うのなら試してみるさ」


 妻の態度に、ついムキになり。

 私は独りで行くことを宣言した。


「出口で待っていてくれ。すぐ戻る」


 …正直、大人にもなって。

 そんな事で怯える自分が恥ずかしかった。


 ベッド下の怪物と同じ。

 子供の頃からの悪夢。


 今回の試みは。

 それを乗り越える試練のようにも思えた。 


「大丈夫?イヤなら、行かなくても…」


 新婚旅行は途中まで順調だった。


 羽田から東京駅。

 長野に行く新幹線。


 道中で、そばをすすり。

 妻も私も楽しんでいた。


 …そう、胎内巡りの階段を降りるまでは。


 妻と別れて、どれほどか。


 鼻をつままれても。

 分からないほどの暗闇。


 手には命綱ともいえる鎖。


 これを伝い、先へと進み。

 御本尊に繋がる錠前と呼ばれる鉄輪を触る。


 ただ、それだけのアトラクション。


 …そのはずなのに。

 暗闇はいつまでも続く。


 自分の前後には。

 本来ならばひとがいる。


 だが、彼らの気配さえ。

 今はどこにいるのか分からない。


 段々と息が苦しくなり。

 自分の心音が耳につく。


(そも、いつから。暗闇に怖がるようになった?)


 …いや。答えはわかっていた。


 物心ついたときには、すでに。


 それどころか生まれる前。

 母の胎内にいた頃から。


(そう。ずっと昔から、あの存在は…!)


 タムタム、タムタム…


 途端に。

 立っていられないほどの恐怖が襲ってくる。


 それは紛れようもなく。

 一定のリズムを刻む太鼓の音 ――


(…これは心音!自分の心臓の音なんだ!)


 必死に言い聞かせ。

 手当り次第に壁をさわる。


(そうだ!上には仏がいるはず…!)


 上にいる如来像。


 そこに繋がる。

 錠前と呼ばれる鉄輪。


 アレにすがれば、自分は助かる。

 本能がそう叫ぶ。

 

(頼む、頼む…早く、早く!)


 さらに大きくなっていく。

 タムタムという音。


 心音が、太鼓の音が。


 さらに迫り。

 大きくなっていく…!


(嘘だ!ここは日本のはずなのに…!)


 いや。すでに分かっていた。


 彼らが、どこから来たのか。

 暗闇の先に何がいるのか。

  

 私が、何を恐れ。

 上の本尊へと助けを求めようとしているのか。


(イヤだ、捕まりたくない。あの存在には…!)


 その時。

 冷やりとしたものに触れる。


 鉄輪ではない。


 ひどくしなびた。

 枯れ木のような冷たい手。


 その持ち主を。


 私は生まれる前から。

 すでに知っていた ――



(遅いわね…)


 夫が胎内巡りへと向かい。

 すでに二十分は経つ。


 本堂は人で賑わっており。


 安置された仏像はもちろん。

 天井近くに掲げられた絵画や木像が人目を引く。


 だが、出口の階段に。

 夫の姿が、いつまでも見当たらない。


(何か。あったのかしら…?)


 いま思えば。

 階段を降りる彼の顔は蒼かった。


(途中で体調を崩したとか?)


 暗闇が苦手と聞いた時。


 初めは冗談かと思っていたが。

 今となっては後悔しかない。

 

(ともかく列にいるのだから。待つしかない)


 腕を組み。

 近くの柱にもたれかかる。


 その時、ドーンと音が響いた。


 見れば壇の上。

 太鼓の膜が震えている。


(え…?)


 無人の太鼓。


 振動は足元を伝い。


 腹の底に響くような。

 地鳴りのような余韻を残す。


(あの人…!)


 とっさに直感する。


 同時に出口より。

 無数の影が這い上がって見えた。


 半透明な青い馬。

 乗るのは痩せこけた老人。


 鎖に繋がれた蒼白い人々を従え。

 階段を上がってくる。


 ドーン、ドーン!


 いくども響く、太鼓の音。

 腹の底より伝わる振動。


(あれは、そんな…!)


 幼い頃より。

 母から聞かされた。


 群れをなす死者。

 生者を連れさる行軍。


 …いや、それは。

 本当に母から聞いたものか。 


 その話さえ本能的に。


 生まれる前より。

 腹の底で知っていたことにさえ思え…


(地を伝い。彼らはやってきた ――)


 群れの中に。

 見知った顔があった。


 だが、引き止めることさえできない。


(国境なんて無い。すべては地下で繋がって…)


 ドーン…!


 余韻を残し。

 最後の太鼓の音が響く。


 すでに影は消え去り。

 ひとり、取り残される。


 …そして、次第に近づいてくる音。


 救急車のサイレンが。

 すべてを、物語っていた ――

 

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鼓(こ) 化野生姜 @kano-syouga

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