異世界へ消えた弟より

織星伊吹

異世界へ消えた弟より

 ――久しぶり 元気?


 他人行儀なメッセージ。それは実の弟からだった。

 私と弟は、思春期に起きた取るに足らないケンカをきっかけに、疎遠になった間柄だ。


 だから突然の連絡に驚いたし、「久しぶり」なんて上っ面な文頭は、私たちの冷え切った関係そのものを表しているようにも思えた。


 ポコン、と私の端末が続けてメッセージを受信する。


 ――なんかさ おれ 異世界に来てるみたいなんだけど


 意味がわからなかった。


 しかし私は、後に知ることになる。

 弟が、消息不明になっていることを。


 この文章を読んでいるあなたの友人、恋人、家族が――、

 ある日突然、異世界へ消えてしまわないことを、私は祈る。


 始めに述べておく。


 私が書き記すこの文章は、何の役にも立たないだろう。

 異世界に消えた人物を現世に呼び戻す手段や、対策を確立できたわけでもない。


 私の事例を反面教師にしろ、と説教めいたことを記すつもりもない。

「いつか会えなくなる前に、口が裂けるまで話をしておけ」だとか、「顔を見るのが嫌になるほど会っておけ」だとか、そんな綺麗事を言う気もない。


 これは――私と弟の、最後の物語だ。



 * * *



「何言ってんだ、コイツは」


 残業終わりの夜十時。

 狭いワンルームに帰宅した私は、すっとんきょうな文章を映す端末に向かって、独りごちた。


 Web小説とかで人気の?

 やたらと長いタイトルの本が書店に並んでいるのは知っているし、流行っているのだろうとも思ってはいたが――こいつもその口か?


 なんでもいいが、メッセージが来たこと自体は、素直に嬉しかった。

 私はひとまず返信をすることにした。


『異世界? 来てるみたいってどういうこと』


 送信すると、すぐに既読が付いた。

 こんなにマメなヤツだったか?


 ――剣と魔法のゲームの世界みたいな そこに今おれは来ちゃってる


 スマホを、ぽいっと冷えたシングルベッドに投げる。

 相手をするのも、だんだんバカらしくなってきた。


 とはいえ――他にやることもない。

 結局、ベッドに倒れ込みながらロックを解除する。


『酔ってんのか』


 ――いや マジだよ 証拠送る


 どうしても信じさせたいらしい。

 いや、無理だろう。天地がひっくり返ろうと、現世の人間が異世界に迷い込むなんてことは起きない。

 そんな夢想世界に飛び込めるのは、そういう物語を生み出している人たちだけだ。


 こいつ……こんなにヘンなヤツだったっけ?




 二つ歳の離れた弟とは、幼少期からずっと一緒だった。

 同じものを見て、同じことをして育った。どこへ行くにも、いつも一緒だった。


 小学生までは、確かな絆で結ばれていたと思う。それぞれ別のコミュニティを持つようになっても、家に帰ればいつだって弟と遊べた。


 友達や親友とは違う――同じ血を分けた情愛を持った、不思議な縁。


 幼いながらに、それが兄弟というものだと感じていた。


 まあ、私は弟を都合のいい子分扱いしていた節もあるが……それでも弟は、いつも笑っていた気がする。

 私と一緒にいるのが、楽しいと思ってくれていたのだろう。


 関係に亀裂が入ったのは、私が中学二年生で、弟が小学六年生だったときだ。

 リビングで、当時ハマっていたアニメを観ていたとき、弟が私の視聴の邪魔をした。


「邪魔だ、どけ」


 私は再三注意した。しかし弟は退こうとせず、挙げ句の果てに、へらへらとした腹立たしい変顔で挑発してきた。


 呑気で、バカな弟。

 酒の肴にもならない、どうでもいい話だ。


 兄としては、放って部屋に戻ればそれでよかった。

 しかし――思春期と反抗期が重なり、引火点の低かった当時の私は、簡単に着火してしまった。


 弟の首根っこを掴み、共用の子供部屋へ引きずり込み、ベッドに投げる。

 そのまま馬乗りになり、ボコボコにした。


 中二と小六。

 身体の差は歴然で、弟はなすすべもなく泣きわめいていた。


 そんな可哀想な小学生の悲鳴を背に、ひとしきり暴れて優越感に浸った私は、心地よい気分で部屋を出る。

 何事もなかったかのように、アニメの続きを楽しんだ。


 しばらくしても弟が戻ってこなかった。心配になり部屋へ戻るころには、もう冷静になっていて、弟の態度次第では謝るのもやぶさかではなかった。


 部屋に入ると、足元に紙切れが触れた。

 コミックスの切れ端。

 床一面が、紙の海になっている。


 弟の仕業だ。

 腹いせに、私が愛してやまない漫画作品を人質に意趣返しをしたというわけだ。破るだけに飽き足らず、表紙にマジックペンでラクガキまでしてくれる始末。


 私の中に、悪鬼が産まれた。


 そんなことはつゆ知らず、未だに破壊工作を続ける最中の弟の背中に、私は不意打ちのドロップキックをかます。

 服を掴みあげ、再びベッドに投げ込んで、殴る蹴るの大殴打。ボッコボコのボコである。


 さきほどよりも強く。悪逆非道の限りを尽くし、血族である弟に暴力を振るった。


 自分よりも弱いくせに反抗されたのに腹が立ったのだ。これまでもケンカをしたことは数知れずあったが、明確な復讐を受けたのはこれが初めてだった。


 当然の帰結として――それ以降、私たちは口を利かなくなった。


 家ですれ違ってもお互い無視しあい、それでも話をしなくてはならないときには、わざわざ最短のワード数で済ました。


 それ以降、弟の性格が少し変わってしまったように思う。

 元々、素直でふわふわした笑顔がとろくさい、私の腰巾着のような弟だったが、無口になり、遂には両親にも心を開かなくなってしまったような気がするのだ。


 考えすぎかもしれない。私の行動一つで、弟の人格が変わるだなんて。

 思春期を経て、勝手に変わっただけかもしれない。

 ただの思い上がりかもしれない。


 それでも――あのとき、あんなことをしていなければという後悔は、一生消えなかった。


 戦後の静けさのような冷えた関係を、親に相談することはなかった。

 後に聞いた話だが、兄弟間に何かがあったことを母親は察していたようだ。しかし、子供同士で解決するのが良いだろうという想いもあり、関与はしなかったらしい。


 それから八年後――、私は家を出た。


 私たち兄弟は、年始とお盆に顔を合わせるだけの関係になった。

 軽い挨拶はするが、特に意味のある会話はない。




 ――――そんな過去に思いを馳せていると、証拠とやらが送られてきた。


 写真だった。


 紺碧の空。

 遥か遠くに、壮麗な城がそびえ立っている。弟の言うような、剣と魔法の世界に出てくる、美しい姫が住んでいるであろうお城だった。


 不揃いで隙間から苔が生えた石畳の道が城へと続き、中世ヨーロッパ風の街並みが広がる。

 露店には美しい宝石や乾いた肉らしきものが並び、道行く人を誘っていた。


 人々は皮の軽装に剣や斧を背負った冒険者風な人から、耳や尻尾を生やした獣人。挙げ句には皮膚が鱗で埋め尽くされた爬虫類的な人種まで写っている。


 一瞬、驚いた。

 だが今の時代、こんな画像データはいくらでも手を加えられるとも思った。


『AI画像 よくできてるな』


 ――違うよ 本物だって


 続けて弟は、自分の手を写した同様の写真を送ってきた。

 手の甲がブレていて、先ほどよりもリアリティを感じる。


『そういうのもAIで補完できる時代だしな』


 ――これでも?


 今度は顔が写った写真が送られてくる。

 弟で間違いなかった。

 眉が下がり、瞳孔が開いていた。いかにも「なぜ、どうしてこんなことに」という気持ちが表情から見て取れる。

 そういう演技か? とも思ったが、弟の表情は私の胸に一つの引っかかりを作った。


『自分の顔を含めてAI加工できる』


 ――そんなことしてない ただ撮ってるだけ


『第一何がしたいんだよお前は』


 ――じゃあ動画送る


 弟が早歩きで興奮しながらあっちこっちにカメラを向けた動画が送られてくる。

 動画内に映る人々は、弟を奇怪なものでも見るようにしていた。

 途中でヒソヒソと聞こえてくる言葉は、英語のリスニングすらできない私には到底理解不能だった。


 確かに、証拠としてはこれまでで最も強いものに思う。

 だからといって、「異世界に居るんだね、わかったよ」とはならなかったが。


 私は、一呼吸置いてから文章を打ち込んだ。


『最近は動画もAIで創れる ディズニーがAI企業に十億ドル出資したらしいし もう個人で手軽にアニメを創れる時代はすぐそこだ』


 ――そんなことしらん!


『ウィル・スミスがパスタ食べてる動画は? あれだって、出始めのころと今じゃクオリティ全然違うんだよ』


 ――何の話だよ! どうでもいいけど おれが嘘つく意味がどこにあるんだよ


 ……本当にそうだな、と私は思った。

 AI、AIと、別に好きでもないテクノロジーを口から発し続ける自分を私は恥じた。

 別に、弟を疑いたいわけじゃない。

 そもそも、弟はつまらない嘘をつくようなタイプではない。幼少期から素直で、私の言うことはなんでもホイホイ聞いてしまうような少年だったのだ。


 そんな弟が、なぜ“異世界にいる”だなんて一瞬で嘘とわかることを突然――それも疎遠になっている私に連絡したのか。彼の真意が読めなかった。


 …………まさか、私を楽しませようとしているのか……? 仲直りをしようと。

 仮にそうだとしても、もっと方法が色々あるだろう。あまりに荒唐無稽すぎる。


 ……そうだな。ひとまず乗ってやろう。

 どんな理由であれ、連絡が来たのは嬉しかったのだから。


『まあいいや 異世界にいるんだな 了解』


 ――絶対信じてないだろ


『いや 真意はともかく この話に乗ることにした』


 例え嘘でも、私は、弟の言うことを素直に受け取って会話することにした。


 ――そう言ってくれると思ってた


 意外なメッセージが返ってくる。

 そんなに私のことを信頼してくれていたのかと、驚いた。



 ――本当に困ってるんだ 頼むよ



 ポコンと届いたそのメッセージを見たとき、一つの記憶が、ぐっと蘇った。




 私が高二で、弟が中三のときだった。

 客間兼遊び部屋となっている一室に置かれている家族共有パソコンの横に、丸まったティッシュが二、三個、転がっていた。


 嫌な予感がして、私はその一つを鼻先に近づけた。

 生臭い悪臭が鼻腔を殴り、反射的に手を離す。


 心から、最悪な気分になったのを覚えている。


 弟には、そういうところがある。

 A型のくせに、色々抜けているというか、片付けができないというか……全体的に詰めが甘い。ちなみに私はO型だが、この辺はキッチリしている。


 事後処理くらい自分でしろよ。母さんが見つけてたらどうするんだ――、と毒づきながら、生臭爆弾を新しいティッシュで包み、ゴミ箱に捨てた。


 そのときだった。

 コトの重大さに気付いたらしく、弟が部屋に戻ってきたのだ。


「…………」

「…………」


 ドアノブに手をかけたまま、弟は私を見てフリーズしていた。

 かける言葉が、見当たらないのだろう。

 それもそうだ。年頃の少年にとって、一番知られたくない秘密なのだから。


「任せとけ」


 弟から視線を反らしながら、私はそう言った。


 なんでそんな創作に有りがちな頼れる兄のセリフを吐いてしまったのだろう。

 弟の前では格好つけたいという、チンケなプライドのせいなのか。


 それとも……。

 これをきっかけに仲直りがしたかったのか。


 私は、ただ兄として――、

 弟に頼られたかったのかもしれない。


 弟は何も言わず、そのまま扉を閉めた。


 ……流石になんか言えよ。

 と、私は一人で思った。



 * * *



『そもそも異世界行った原因は』

 ――呑みすぎて 外で寝ちゃって 起きたら突然異世界


『他の人には連絡したか?』

 ――してない 頭が狂ってると思われる


『母さんは』

 ――さっき送ってみたけど なんか届かない びっくりまーく付いてる なんだっけこれ


『警察は?』

 ――110番繋がんない


『現地人と会話は?』

 ――怖くてできない たぶん言葉通じない


『こっち深夜0時だけど そっちは』

 ――昼間だね たぶん午後二時くらい?


『気温は? 湿度は?』

 ――少し肌寒い 十一月くらいの感覚 空気も乾燥してる それに空気がなんか胡椒くさいというか くしゃみでそうな香ばしさがある


『今も写真の街にいるのか? 安全そう?』

 ――起きたとき森だったけど 近くの街まで降りてきたとこ ここは安全そうだけど道行く人が皆物騒で怖い 日本人いや地球人 奇異な目で見られてる


『どんな感じの世界観? 既存作品を例に挙げてみて』

 ――ドラクエ的というか……FFⅨ……いや、ロード・オブ・ザ・リング……? あー葬送のフリーレンかも


『魔法とか使えんの? 特殊能力は』

 ――なんもない残念ながら 普通の肉体のまま 修行すればできんのかな


『モンスターとかは?』

 ――いるね 実物見てないけど さっき冒険者っぽい人が狩ってきたであろうコカトリスの串刺しっぽいの肩に担いでた 笑ってたよ 怖すぎる


『今の服装は? 金は? 食料とかある? 今の持ち物教えて』

 ――会社の飲み会後だから普通にスーツ 財布あるけど金使えなそう お昼食わなかったからおにぎり二つとサンドイッチ あとお~いお茶一本 会社の書類と筆箱 手帳 そんなもんか


『ちなみにスマホの充電何パーセント?』

 ――いま44% そういやバッテリー持ってきてない 充電切れたらどうなるんだこれ

『今すぐ通知全部切れ バッテリー消費するようなことはすんな』

 ――アンテナ立ってないから大丈夫だと思うけど

『なんでアンテナ立ってないのに俺に連絡できるんだ』

 ――わかんない


『現実に帰れそうな手段ないの?』

 ――こっちが聞きたい 親切なチュートリアルとか 説明役のじーさんとか出てきてくれないかな




 その夜は、延々とメッセージを送り合った。


 結果、当面の目標は「情報収集」と「現実への帰還手段の模索」となった。

 その上で、私から三つの約束を課すことにした。


・危険を感じたら即逃げること

・街から動かないこと

・最悪の場合は物を差し出して命乞いをすること


『警察には俺が届ける それでいいな?』


 嘘なら、ここが引き際だぞ――、という忠告も兼ねていた。

 しかし返事は、すぐに来た。


 ――頼む どうにかなりそうだ


「…………」


 文面を凝視し、私は大きく息を吐いた。


 真意はわからない。

 それでも、兄として応えるべきだと思った。


『任せとけ』


 嘘か本当かなんて、どうでも良かったのかもしれない。

 久しぶりに弟と会話できたことが、私は単純に面白かったのだ。


 深夜二時半――マグカップのコーヒーは、すっかり冷えていた。



 * * *



 弟とのやりとりを中断した私は、そのままの指で警察に連絡した。


 110番。

「事件ですか、事故ですか」との問いに迷いつつも、「じ、事件です」と応える。


 異世界に消えたらしい弟から、メッセージが届いた旨を説明する。

「はぁ」と一瞬でこちらへの興味が無くなったことがわかる。

「弟さんが“胃潰瘍”ですか?」と聞き返されたが、不満はない。

 突然“イセカイ”と口に出す異常者が相手なのだから。


 だが、引き下がることもできない。もし本当に弟が異世界に行っているのだとしたら、急がなくてはいけない。


 矢継ぎ早に質問が続く。

 ――それはいつ頃ですか? 場所はどこですか? どういった状況ですか? あなたのお名前は? お相手のお名前は? メッセージの内容はどういったもので……――


 こちらはイレギュラーに巻き込まれている(かもしれない)というのに、警察の確認はどこまでもマニュアル通りだ。聞かなくても良いレベルのことまで、じっくりと時間をかけてくる。

 大切かもしれないが、弟のことを思うと私はたまらなくなった。


 そういえば、私は弟と電話をしていない。

 警察に連絡するまえに、二人で色々なことを検証し合うべきだったかもしれない。

 いやしかし――、弟の携帯は充電残量が心許ないのだ。

 その気持ちは本当だったが、心の底では、声を聞くのが少し怖かったのかもしれない。


 問答を続けていると、家のチャイムが鳴った。

 警察官が二人、部屋に上がる。


 二人組は、さきほど電話で聞かれたことをまた確認してきた。私の鬱憤がどんどん蓄積していく。

 うんざりした私は、話を遮り弟から送られてきた写真や動画を突き付けた。


「最近はディープフェイク動画っていうのも流行ってまして。これだけではなんとも……」

「……で、ですよね」


 私が弟にした説明を逆に返されてしまった。


「一度、こちらの端末を預からせていただくことは可能でしょうか」

「いや……それは」

「電波の送信元を辿りますので、すぐに弟さんの居場所がわかると思いますよ」


 警察は、ハナから弟が異世界に消えたとは考えていないらしい。当然だ。行方不明扱いだろう。

 しかし、現在唯一弟と繋がっているこの端末が奪われるのは微妙だった。


「……どのくらいで返してもらえますか?」

「おそらく、明日には」


 私は迷った。

 二人組に断って、弟にメッセージを送る。


『警察きた スマホ預けてもいいか? 送信元を調べれるって お前の場所が特定できるかもしれない 明日には返ってくるらしい』


 しばらく待っても既読は付かず、返事もこなかった。

 悩んだが、結局私は端末を警察に引き渡し、捜査に必要となる弟の情報をいくつか提供すると、二人組は引き返していった。


 こんな訳のわからない事件にも対応してくれるなんて、警察は大変だなと思った。


 このとき、弟と連絡が取れなかったことを、私は今も悔やんでいる。


 * * *



 翌日、警察から連絡が入った。


 私の端末は弟からの電波を受信していない、という結果になった。

 しかし、メッセージや添付された画像や動画は残っているので、その因果関係は不明であり、もう少し詳細に調べさせてほしいとあちらからお願いされる。


 だが、私はこれを断った。妙な胸騒ぎがしたからだ。


 電波を受信していない……? じゃあ、昨日のやりとりは?

 そこで、母親にメッセージを送ったときはエラーが表示された、と弟が言っていたことを想い出した。

 弟の端末からのメッセージは、“私にしか届かない”のかもしれない。


 私は焦る気持ちで警察署まで向かい、自分の端末を受け取った。

 弟からの新着メッセージが山ほど届いていた。



 ――やばい 兵隊に捕まった


 ――やっぱ身なりマズいのかなぁ


 ――親愛の印におにぎり渡したら捨てられたんだが ふざけてる


 ――マジで何言ってるのかわかんないな


 ――全部盗られた さいあく


 ――なんか牢屋みたいなとこに入れられた


 ――スマホだけはパンツに忍ばせた これが盗られたらオワリ


 ――あぁマジでやばいなあ 死ぬのかおれは


 ――警察 はやくスマホ返してやってくれ そしておれをたすけて


 ――うだうだ言っても仕方ないか 充電残り22パーセントやばいな


 ――とりあえず寝るわ 体力つけとかないとヤバそうだし ほんとおにぎり許さないあいつ


 ――出してくれた でもなんか武器持たされた


 最期に受信したメッセージは、こちらの時間でいう午前九時二二分だった。

 私は、慌てて文章を入力する。


『すまん 警察から回収してきた 成果ナシ 電波受信してないらしい』

『今どう言う状況だ すぐ連絡くれ 電話でもいい』

『いやいい おれがかける』


 私はすぐに弟の番号に電話をかける。

 最初からこうしていれば良かったんだ。結局充電は減っていくんだから。何をバカなことを……! 私は昨日の私を恨んだ。


 すぐに「おかけになった電話は電波の届かないところにあるか~~」が聞こえてきて、私の焦燥感をより掻き立てる。


 すぐに弟へのメッセージに切り換える。


『メッセージ打てない状況か?』

『今どうしてる 無事なのか? 武器ってなんだ』

『頼む なんか言ってくれ』


 しかし、打てども昨日やりとりしていたように、即既読は付かなかった。

 私は自室の中をうろうろしながら、ただ弟からの連絡を待った。


 一時間経った。



 二時間経った。




 既読は付かない。




 気が付くと、私の瞳は涙で濡れていた。

 たった一日警察に預けていただけで、大変なことになってしまった。


 いや……、どうなのだろう。

 警察ではないが、この大量のメッセージが弟が異世界に行ってしまった証拠にはならないのではないだろうか。


 私が焦っているのは、弟の話に乗り、そう思い込んでいるからだ。

 良く良く考えてみてくれ。冷静になってくれ。

 弟が、本当に異世界に行っているわけがないじゃないか。

 どうせ、自室でパンイチで鼻くそほじりながら私をからかっているんだ。


 しかし涙は止まらない。足下がおぼつかなくて、頭がくらくらしてきた。

 一体どうしたらよいのか、良くわからなくなってしまった。


 昨日のやりとりが夢だったなら、こんな想いをすることもなかったと後悔し始める私を、もう一人の私が否定する。


「久しぶりの連絡は嬉しかっただろ?」

「弟とのメッセージは楽しかったんだ」

「まるで、子供のときに二人でやった新作のRPGを攻略しているみたいで」



「――夢だったほうが良かっただなんて、言うなよ」



 私の指は勝手に動いていた。


『あのときのこと ゴメンな』


『まだ小学生だったお前に 俺はすごい酷いことをした』


『むしゃくしゃしていて ただお前に当たっていただけだったんだ』


『お前は何も悪くない 今も気にしているなら 病まないでほしい』


『謝るのが遅くなってゴメン 三十路にもなると なかなか謝れなくて』


『お前と二人で一緒に会話できて 嬉しかった』


『なぜか知らないけど どうぶつの森+で時間変更しまくって一緒に悪さをしてたのを急に想い出したよ リセットさん出てきてくれないかな』


『いつか酒を一緒に飲もう いつでも呼んでくれていい 俺もそうする』


 打ち込み続けているはずの文面が、もう読めない。

 身体中の水分が、出て行っている気がする。



 不意に、私のメッセージ横に文字が表示される。




〈既読 12:22〉




 そんな。もうつかないものだと、私は思い込んでいた。




 ――ごめん なんの話?(笑)




 嗚咽を漏らしていた私は、ふっ、と笑った。


 それ以降、私が送ったメッセージに既読が付くことは無かった。

 だから、弟がこのメッセージを見れたのかどうかは、知るよしも無い。



 だけど。それでも。私は――――、

 最期に弟と会話をすることができて、本当に良かったと思っている。




『ハヤト

 お前がどこにいても

 五体満足で 笑っていられるように 祈ってるよ

                               ミズキ』

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異世界へ消えた弟より 織星伊吹 @oriboshiibuki

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