味
兎猫翠
味
昔話をしようと思う。
私はその昔、焼肉が好きだった。
焼肉の何が好きだったのかと聞かれたら、正直うまく答えられない。
だいたいの人間は、焼肉とカレーは好きだろう。
だが、私が焼肉を好きだと言うのには理由がある。
単純な話だ。
傷心中に食べた父親の焼肉が、とてつもなく美味くて、
自分が何を落ち込んでいたのか、
その時はすっかり忘れてしまったのだ。
あの味は今でも覚えてる。
そんな私だが、今はその感動を別な人にも味わってほしくて、焼肉屋…ではなく焼き鳥屋を営んでいる。
もちろん最初は、焼肉の店をやろうと思った。
だが、いざ考えてみると、
牛だの豚だの羊だの、
扱うものがあまりにも多すぎた。
だったら、鳥一本でいこう。
そう決めた。
だが現実は厳しかった。
家を借りて店に改築し、焼き鳥屋「夢心地」をオープンする。
客はまばらだった。
常連らしい常連もつかない。
売り上げは、維持費にも満たなかった。
それを補うために朝から別の仕事も始めたが、
先に私の身体にガタが来た。
店はおとなしく売り、足りない分は親に頭をさげて借金をした。
借金という名目だったが、
返ってくるとは、きっと思っていない。
しばらく療養し、身体も回復しどうしようかと考えていた時だ、父から家に帰って来いと言われた。
借金の取り立てか?とも思ったが金を借りてる手前無下にはできず、大人しく帰省した。
実家に帰ると母の姿が見えなかった。
母さんは?と聞くと、いない、とだけ返事が返ってきた。
そんなことは、見ればわかる。
昔から変わらない口数の少ない父。
特にお金のことを聞いてくることもない。
私がなぜ呼ばれたのか疑問に思っていると、父はおもむろに七輪を出した。
私が手伝おうとすると座ってろと言い、庭で黙々と準備を進める。
父の準備する姿を見ているうちに、
まだ何も食べていないはずなのに、
食事はもう始まっていると感じた。
父が七輪に肉をのせた時、私の心臓も焼かれたような気分になった。
その匂いに、昔を思い出す。
「腹、減ったろ」
食べる前から目に涙が溜まっていた。
私は差し出された焼肉を黙って口に運んだ。
食べた瞬間、胸の中に表現しきれない感情が渦まいた。
ああ、そうだ。
私はこの味を知っている。
よく、知っている。
ふと、父の仕事姿を妄想した。
父は普通のサラリーマンだ。こんな口数の少なさで、どうやって仕事をしているのか疑問だったが、今日なんとなくわかった気がする。
きっと新人からは恐れられ、上司や同僚からも煙たがられてるかもしれない。
それでも父は自分の仕事を黙々とこなし、
困っている仲間に、不器用に手を差し伸べているのではないだろうか?
私に今、手を差し伸べたように
私の迷いは消えていた。
もう一度だ。もう一度挑戦しよう。
来る時とはうって変わって、力強く歩く私に、父はいつでも帰ってこいとだけ言って私を見送った。
私は原点に帰った。
前回は背伸びをしすぎた。
みんなの拠り所になりたいと思った。
でもそれは、私には大それたことだったのだ。
私は以前の理想ばかり掲げた焼き鳥屋ではなく、誰でもふらっと立ち寄れるように立ち食いにした。
「夢見心地」という店名も捨て、暖簾にはただ「焼き鳥」と書いた。
私には困っている人全員を助けることは難しいかもしれない。
でも、本当に困っている、助けを求めている人の拠り所になりたい。
その想いから、私はひっそりと小さな屋台をオープンしたのだ。
そんな昔話を、私は目の前の客に話した。
このくたびれた客が聞いていたのかはわからない。
しかし、あまり食進んでいなかった焼き鳥を、追加で注文して食べ始めた。
私はそれ以上は語らず、焼き鳥を提供する。
数日後、くたびれた客は、また来た。
だがよく見るとスーツはキレイにクリーニングされ、髪もしっかりセットされ、顔つきもいくらかましになっていた。
くたびれた客は前回と同じ焼き鳥を注文してきた。
私は雰囲気の変わった客に、前回と同じ味の焼き鳥を提供した。
その客は私の店最初の常連と言える客になった。
簡単な世間話もするようになった。
整った顔立ちに清潔な容姿、スーツを見るにおそらくかなりのお金も稼いで仕事もできるスーパーサラリーマンのように見えるが、
私の店ではそんな素振りは全くなく、リラックスした時間を過ごしているように見える。
そんな客だったが、ある日ガチガチに緊張した顔つきで私の店にきた。
しかし、そんな客を見て逆に私は下を向きバレないように、ふっと笑った。
その頃には私はもうこの客には注文を聞かず、料理を提供していた。
その日も変わらず、いつもの味を提供する。
私は隣の少し戸惑っている様子の客に声をかける。
「ご注文は?」
おすすめは皮だ、と常連の客が言うが、新しい客は意を決して言った。
「…レバーを、ください」
ちらっと常連を見るとまだ酒も入っていないのに顔が赤い。
レバー食べた客は、肩の力が抜けたように見えた。
常連の方も普段は食べないレバーに挑戦するが、苦虫をつぶした顔をしている。
そんな二人を見て私は気づいた。
私はこの店を本当に困っている誰かの拠り所になれば、と開店したが
この店は、
私にとっても、
拠り所であった。
味 兎猫翠 @niiya_
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