修道士エルピス調査手記『Peacefulの奇病』

@IZUMIN21

第1話『英雄の丘にて』

Peaceful(ピースフル)はオルフィニア大陸の南西部に位置する、平和を愛する宗教国家だ。


大陸一の信徒数を誇る『英雄教』の総本山であり、国内には神話の舞台となった聖地がいくつも残っている。


その中でも特に人々の心を捉えて離さないのが、教祖である存命の教皇が奇跡を起こしたとされる『英雄の丘』だった。季節を問わず色とりどりの花々が咲き乱れ、丘の片隅には過去の大災で命を落とした人々の墓所が静かに佇んでいる。信者たちは時折、教皇の姿を目撃するという。


エルピスの毎朝の日課は、修道院の務めが始まる前にこの丘を巡礼することだった。墓石の前に立ち、一つひとつに手を合わせる。冷たい石に触れながら、静かに目を閉じ、囁く。


「私たちはあなたのおかげで、今日という尊い一日を迎えられました。ありがとうございます」


今日もその日課を終え、修道院へと足を向けようとした瞬間――


「やあ、エルピス。またお会いしましたね」


背後からかけられた声に、エルピスはゆっくりと振り返った。そこには、若くして外交官の要職を務めるアステルが立っていた。いつも柔らかな微笑みを浮かべ、理知的な青い瞳が印象的な青年だ。


そしてその隣には……頭に魚の形をした奇妙な帽子をかぶり、サングラスをかけ、口にタバコを咥えた見知らぬ女性が立っていた。エルピスは思わず視線を奪われた。


口が半開きになり、数秒間、ただ直立したまま固まる。


(――何だ、あの格好は……?)


アステルがくすりと笑って口を開いた。


「エルピス、紹介が遅れました。こちらは先日同盟を結んだ栄光の国Glory(グローリー)からお越しの『ソルト』殿です」


ソルトはタバコを指で軽く払い、優雅に一礼した。


「ソルト殿は花に大変興味をお持ちでね。先ほど丘でお会いしたので、Peaceful固有の花々をご案内していたところなんですよ」


「どうも。ソルトです」


落ち着いた声だった。そつなく、それでいてどこか余裕を感じさせる響き。エルピスはその声から、底知れぬ強さのようなものを確かに感じ取った。


「私は修道院付属の孤児院を管理しております、エルピスと申します。以後お見知り置きを」


――エルピスは教皇直々に国内すべての孤児院の管理を任されている。

人、物資、金銭、そしてそこに起きるあらゆる問題への対処。その役割をこなせる人材は、国でも一握りしかいない。だからこそ、アステルは彼を特別視していた。


アステルはいつものように、穏やかな笑みを崩さず尋ねた。


「そういえばエルピス、最近孤児院で何か変わったことは?」


――彼は情報収集に余念がない。

エルピスの日課を熟知した上で、わざとこの時間に丘を訪れているのだろう。エルピスは迷わず答えた。


「実は昨夜、スキア様が運営する孤児院で『謎の病』が発生しました」


アステルの青い瞳が、一瞬だけ鋭く細められた。


「ほう……それはどのような症状だい?」


「発症者の口から白い泡が垂れ流れ、体温が異常に上昇するそうです」


「白い泡、ですか……珍しいですね」


隣で聞いていたソルトが、興味深そうにタバコの煙を吐きながら呟いた。


「Gloryでも、そんな病は聞いたことがないな」


エルピスは続けた。

「しかも、院内の子どもたちが全員発症しているようです。修道院図書館の医療文献をすべて調べましたが、該当するものは一つも……」


アステルの表情が一変した。


国家存亡をかけたGloryとの同盟交渉の場で教皇の名代を務めた時と同じ、“外交官”の顔になる。


「今、誰が対処していますか?」


「スキア様と、医学専門宗派の修道士たちが看病に当たっています」


「わかりました。エルピス、私はすぐに孤児院へ向かいます。あなたは『ジーネ』のところへ急いで行ってください。この状況を説明し、必ず連れてきてほしいのです。ジーネは『Hole』の研究者です。最近発掘されている『レリック』にも詳しい。もしかしたら、解決の鍵になる情報を持っているかもしれない」


エルピスは納得した。


――レリック。

大災の竜が出現した巨大な『The Hole』とは別の『Hole』から発見される、古代の遺物とも未来の産物ともつかぬ謎の物体。人を傷つけたり、身体を変異させたりするものまであるという、危険で未知なる存在。


「かしこまりました。すぐに参ります」


――数刻後。

スキアの孤児院の前で、エルピスはジーネを連れてアステルたちと合流した。扉を開けた瞬間、室内から聞こえてきたのは、子どもたちの苦しげな喘ぎ声と、白い泡が床に滴る音だった。


(第2話『孤児院にて』へ続く)


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