リハビリの天使は自転車に乗って
佐藤くん。
出会いと戸惑い
第1話 朝のステーション
四月の朝、私は自転車を漕いでいた。
駅前の商店街を抜け、住宅街へと入る。桜の花びらが風に舞って、ハンドルに当たって散っていく。新しいスーツはまだ体に馴染まず、少し窮屈だ。
訪問看護ステーション「ひまわり」。
私、水野あかりが理学療法士として働き始めて、今日で一週間になる。
雑居ビルの二階。看板には「訪問看護ステーション ひまわり」と書かれている。自転車を停めて、階段を上る。ドアを開けると、すでに数人のスタッフが集まっていた。
「おはようございます」
私の声に、何人かが振り返る。
「おはよう、あかりちゃん」
明るい声で答えてくれたのは、中村さつきさん。三十代半ばの看護師さんで、いつもポニーテールを揺らしながら颯爽と動いている。
「おはようございます」
もう一度、今度はもっと大きな声で言う。
事務スペースの奥には、所長の吉田美咲さんがいる。五十代、ショートカットに眼鏡。背筋がピンと伸びていて、いつも凛とした雰囲気を纏っている。
「水野さん、おはよう。今日も同行訪問よ」
「はい」
私は自分の机に鞄を置いて、白衣に着替える。壁には大きなホワイトボードがあって、今日の訪問予定がびっしりと書き込まれている。看護師さんたちの名前、患者さんの名前、訪問時間。
八時半。朝のミーティングが始まる。
「じゃあ、始めましょう」
吉田所長の声で、全員が集まる。看護師が四人、理学療法士が三人、作業療法士が一人、事務員が二人。全部で十人ほどの小さなステーションだ。
「昨日の報告から。中村さん、お願いします」
「はい。田村さんのお宅ですが、昨日の訪問時、SpO2が89まで低下していました。主治医に連絡済みです。酸素流量を2リットルから3リットルに増量の指示が出ています」
中村さんの報告に、所長が頷く。
「了解。今日の訪問時も注意して。他には」
次々と報告が続く。褥瘡の状態、服薬の状況、家族の様子。医療用語が飛び交う。
私はメモを取りながら聞いているけれど、正直なところ、半分も理解できていない。専門学校で習ったはずなのに、実際の現場では別の言語のように感じる。
「桐島さん」
所長が呼ぶと、部屋の隅に座っていた男性が顔を上げた。
桐島修一さん。四十代の作業療法士で、このステーションのリハビリ部門のリーダーだ。無精髭を生やして、いつも同じジャージを着ている。第一印象は「怖そう」だった。
「田中さん、変わりなし。リハビリ継続」
短い。本当に短い報告だ。
でも所長は「了解」とだけ言って、次に進む。
「水野さん」
突然名前を呼ばれて、私は慌てて立ち上がった。
「は、はい」
「今日は田中さんのお宅、桐島さんと同行訪問をお願いします」
「はい、わかりました」
緊張で声が上ずる。
田中さん。八十代の男性で、一年前に脳梗塞を発症したと聞いている。右半身に麻痺が残っていて、奥さんと二人暮らし。
資料には目を通した。でも、実際に会うとなると緊張する。
「あかりちゃん、大丈夫よ。桐島さんが一緒だから」
中村さんが小声で励ましてくれる。
「はい」
ミーティングが終わると、みんなそれぞれ準備を始める。訪問バッグを持って、スケジュール表を確認して、自転車や車で出発していく。
私も訪問バッグを準備する。血圧計、聴診器、ゴム手袋、消毒液、記録用紙。桐島さんは黙々と自分のバッグを準備している。
「じゃあ、行くか」
桐島さんが短く言う。
「はい」
二台の自転車で、ステーションを出発した。
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