異世界で“魔力装置”として召喚された俺が、禁忌の象徴を動かしてしまった件

いぬぶくろ

象徴機

 息が重い……。

 目を開けようとしても、ぬるりとした液体が目に張り付いていて、上手く開くことができない。

 全身が液体の中に漬かっていると気づくまで、しばらく時間がかかった。

 呼吸しようにも、息はできるが酸素が入ってこなかった。


 体が痛い。

 胸の奥底から何かを吸われているような、不快な感覚が体を支配していく。

 意識がはっきりしてくるうちに、体が拒絶反応を始め、口は酸素を求めだした。


 ここはどこだ?

 俺はどうしてここに居る?

 答えにたどり着くより先に、世界が大きく揺れた。

 低い唸り声のような振動。続いて、腹の底を殴られたような衝撃。

 遠くからこもったけたたましい警報が鳴り響いているのが聞こえる。


『逃げなきゃ――』


 非常ベルとは似ても似つかない警報だったが、俺はここから逃げ出そうとし体を大きくよじり、指先に触れたを大きく引きさした。

 液体が外へと排出され、それと一緒に俺も外へ投げ出される。


「ゴホッ――ゲホゴホッ――」


 息ができない。

 口から出てくるものは、息ではなくドロリとした液体ばかりが口からこぼれ落ちる。


「どこだ、ここは……?」


 床から伝わるのは低い唸り声のような振動。

 天井からは垂れ下がるケーブルの束。

 壁には見たことが無い文字が書かれており、さらに奥には魔法陣のような壁画が描かれている。


 腹の底から何かかが吸われるような感覚がなくなった代わりに、周囲を守ってくれていた何か・・の損失感があった。

――と同時に再び警報が鳴り響いた。


「下層魔力炉、出力低下! 魔力袋の損傷を確認!」


 スピーカーから流れる言葉に、周囲を見渡す。

 魔力袋と言うのが何か分からないが、俺が出てきたところ、そして周囲にぶら下がっている袋状のナニカ・・・・・・を見て、自分はここに居ない方が良いということを悟った。


 力が入らない両足を何とか動かし、この不気味な空間から逃げようと歩き出す。

 歩く。感覚が次第に戻り、早く歩く。警報に後押しされるように、駆け出す。

 遠くで爆発がし、床が微かに震える。


 通路を走る。

 どこへ向かっているのか、全く分からない。

 ただ、あの不気味な場所から離れたい一心で走り続ける。

 先の見えない廊下を曲がり、階段を上る。

 途中、装甲服を着た兵士らしき影が遠くを走り抜けるのが見えた。

 見つかればろくなことにはならないだろう。


 息が上がり、喉が締まる辛さに喘いでいると、ふと空気が変わったことに気づいた。

 冷たさに重みが混ざる。

 通路の先が大きく開けていた。

 天井は高く、壁には武骨なレールや支柱が縦横に走っていて、壁には固定具があり、その幾つかには同じ形をした人型機械ロボットが立たされていた。


 量産機――と、直感した。

 そして違和感。

 無機質な灰色の装甲。同じ型番の機体が並んでいるその奥に、一機だけ異質な物があった。

 黒を基調とした装甲に、鈍い銀の縁取り。細身の騎士を思わせるシルエット。頭部は兜のように尖り、胸部には装飾のような意匠が刻まれている。

 その中央に――脈打つコアがむき出しになっていた。

 その機体を見た瞬間、背中に電流が走った。


『見覚えがある……!』


 俺が現実世界で何百時間も遊んでいたロボットゲームに登場していた、特別機にあまりにもよく似ていたのだ。


「……嘘――だろ?」


 いつの間に。本当にいつの間にか俺はロボットに近づいていた。

 手を伸ばす。冷たい装甲。指先の感触が、あるはずのない記憶の中のコントローラ―と奇妙に重なった。

 その瞬間、ロボットの胸のコアがひときわ大きく脈打った。


「――ッ!?」


 コアから黒い何かがはじけるように伸びた。

 液体のようであり、触手の様でもあるそれが俺の手に絡みつくと、抵抗する間もなくコアへと引きずり込まれた。


 世界が反転する。

 視界は一度、完全に闇に塗りつぶされた。

 次に意識を取り戻した時、俺はどこかに座って・・・いた。

 シートがあるはずの所には何もなく、しかし、柔らかいような、堅いような、得体の知れない感触が背中を支えていた。


 背中の違和感に悶えていると、目の前に淡い光がにじみ、それはやがて薄い膜を通したような映像へと切り替わっていった。

 そこに映し出されたのは、さっきまでいた格納庫の風景だ。

 上方からの俯瞰、視界の端には、各種データを思わせる記号が点滅している。


「――コックピットかよ」


 現実味のない状況に、思わず呟く。

 視界が定まると、そこは室内コックピットと呼ぶにはあまりにも曖昧な空間だった。

 壁も床もあるはずなのに、距離感がつかめない。

 次の瞬間、俺の周囲に淡い光の線が走った。

 空気そのものが円を描くように歪み、いくつもの光輪が重なっていく。


『同調環……?』


 ふいに、周囲に現れた存在の名前が頭に浮かんだ。

 装置ではなく、ゲームの世界にある操縦桿のような物でもない。

 俺を中心に、俺の意思に反応して展開されるそのものがこの機体の操作系らしかった。

 手を動かすと、それに応じて視界がわずかに揺れ、右手を握ると映像の中で黒い腕が拳を作る。


「……んん――だぁれ?」


 ゲームのような操作感を確かめていると、不意に耳元で囁かれたような錯覚を覚える声がした。

 しかし、コックピットの中には俺以外の気配はなく、声は頭の内側から、直接、響いていた。


「だっ、誰だっ!?」

「わたし? ふふっ……よく分かんない。ずっと寝ていたから」


 幼さと艶めかしさが混ざったような、妙な声質だった。眠たげで、どこか愉快そうでもある。

 その声を問いただす暇もなく、警報が一段と激しく響き渡る。

 視界の端で赤い表示が点滅し、格納庫のシャッターが吹き飛んだ。

 そこから、装甲服に身を包んだ兵士と、灰色の量産機がなだれ込んでくるのが見えた。


「象徴機、起動中! 魔力値、上限を振り切っています!」


 叫び声が飛ぶと同時に、装甲兵の何名かの足元に魔法陣が浮かび上がった。


「囲まれた、ってことねぇ」


 女の声が楽しげに笑う。


「死にたくなかったら、動かす? 動かせるでしょ?」

「簡単に言うなッ……!」


 だが、やるしかない。

 俺は息を深く吸い、ゲームで何度もたたき込んだ動きを思い出す。

 視線でターゲットを捉え、右へ、左へ強く踏み込み、振りぬく。


 象徴機――と呼ばれたこの機体――の身体がそれに応じて滑らかに加速する。

 一歩で距離を詰め、目の前の量産機の腹部を蹴り飛ばす。

 金属同士がぶつかる鈍い音。


 ただ単に動きに反応できなかったのか、それとも象徴機・・・と呼ぶ特別機だから攻撃する手が鈍ったのか変わらないが、敵機は宙を舞い、後列の量産機や歩兵を巻き込んで倒れた。


「やっぱり、上手いわね。あなた」


 女の声が、愉快そうに囁く。


「出口、教えてあげる。右の通路を抜けて、上、上。そこから、外に出ればちょっとはマシ?」


 視界の一部にルートを示すような光の矢印が浮かび上がる。

 俺はそれを頼りに、格納庫の扉を突破した。

 狭い――それでも象徴機の身体を悠々と通せるほどの広さなのだが――を抜ける度に、壁が砕け、火花が散る。


 先ほどまで居た場所へ向かっていた兵士なのか、それとも無関係な人間なのか分からないが、ばったりと出会うと悲鳴を上げながら逃げまどう。

 何度か量産機との小競り合いがあったが、ゲームと違ったのは、ぶつかった時の重さ・・と破壊した時の生々しさだ。

 装甲が凹み、中から何かが漏れ出すたびに、胃の底が癒えていく。

 それでも、止まるわけにはいかなかった。


「あぁ、もう少し。……懐かしい感じがする」


 女の声が、どこか遠く懐かしい物を思い出すように言う。

 最後のシャッターを蹴り破った瞬間、視界が一気に開けた。

 「外だ」と理解するのに、いくらかの時間がかかった。


 空はどす黒い雲に覆われ、地平線のあちこちで火柱が上がっている。

 目の前を巨大な脚が通り過ぎる。俺が今いる場所は、歩いているのだ。

 視界の奥では、巨大な脚の生えた要塞が、鈍い巨体を引きずりながら進んでいた。

 その周囲を無数の量産機が埋め尽くしている。


 手前にはさっき格納庫で見たものや、戦った灰色の量産機と見知らぬ形状の敵機。

 それらの機体に守られるように作られた陣地の中では、魔法陣が瞬いていた。

 魔法の砲撃。悲鳴。怒号。

 ここは、まさに戦場だった。

 象徴機が外に出た瞬間、その存在はすぐに感知されたのだろう。周囲の敵機が、蜘蛛の子を散らすように退き、代わりに重装甲の機体が前に出てくる。


「新たな反応――象徴機と一致……。あれを動かしたのか」


 通信らしき声が、コックピットに響いた。


「降りてこい。悪いようにはしない」


 『悪いようにはしないって……』と、今までの敵側の行動を鑑みても悪いようにしない、のレベルの低さに背筋が寒くなる。

 しかし、移動要塞ここに留まっていても仕方がないので、俺は一気に跳躍し地面へと降り立った。


「お前がパイロットか。子供だな」


 目の前に浮かび上がったのは、葉巻が似合いそうな強面の兵士だった。

 歩兵のような装甲服とは違い、こちらはパイロットスーツでもないただの制服だった。


象徴機それは特別な機体で、な。俺を含め数々の優秀なパイロットが起動を試みたが、その全てが失敗に終わった」

「…………」


 答えることができなかった。

 象徴機これに乗っていることも含め、色々とあり過ぎて頭が追い付いていないのが現状だ。


「お前は優秀だ。俺の配下になれ」


 多勢に無勢。

 移動要塞内で行われた小規模な戦闘とは違い、ここには無数の敵機や敵歩兵が存在している。

 奥の方では、敵対している国――と言えば良いのか、別の存在が居るのは見えたが、助けを求めるのは不可能だろう。

 緊張で唇が渇く。


「わたしは、やーよ」


 見えはしないが、ニヤニヤとした表情を浮かべた女の声が頭に響く。


「趣味じゃないし、それに、誰かの下につくのって、弱者がやることじゃない?」

「じゃぁ、どうしろって言うんだよ?」

「断りなさぁい、あなたも頭の中では分かっているんでしょ? ロクなことにはならないって」


 『簡単に言ってくれる……』と思うのと同時に、『ロクなことにならない』と言うのは同意だった。


「さぁ、どうする?」

「――断る」

「そうか――」


 瞬間、機体に衝撃が走り、視界の端で装甲が抉れ、すぐに警告表示が点滅した。


「ガッ――!?」


 衝撃が走り飛ばされる瞬間に見たのは、重装甲機の背後にできた魔法陣だった。

 魔法が飛んできたのだろうか。


「……まずいわね。結構、やるじゃない」

「どうすんだよ」


 相手は象徴機を潰したくないのか、倒れた俺に対し追撃することなく、他の量産機に向かい捕縛するように命令をしていた。


「逃げなさい。わたしなら、こんな包囲網、簡単に抜け出せるんだから」

「逃げるって……どうやって」


 移動要塞から見た光景は、簡単に逃げ出せられるような戦場ではないことが素人の俺でも分かった。


「ひとつ、良い手がある。わたしともっと深く・・つながるの」


 嫌な言い方だった。背筋に冷たいものが走る。


「危険じゃないのか?」

「危険じゃない力なんて、つまんないでしょ? 簡単に言うと――わたしが、あなたの体とこの機体を少し借りる・・・の。その代わり、あなたは今よりずっと強くなるの」


 量産機に両脇から抱えられ強制的に立ち上がらされ、拘束具は魔法使いが出した魔法のリングで固定をされ始めた。

 重装甲機は油断なく剣をこちらに向けている。

 このままでは、移動要塞の、魔力袋の階層にまた逆戻りだろう。


 ――逃げ場はない。


 息を吐く。喉の奥に、まだ液体の味が残っていた。


「……分かった。やってくれ」

「いい返事ね」


 答えた瞬間、目の前に女の子が現れた。

 妖艶なようで幼くて。綺麗なようで可愛くて。

 不思議な雰囲気を持っている、この子がさっきから頭で響いている声の主だと気づくのに時間はかからなかった。


 女の子は迷うことなく俺に口づけをすると同時に、全身を何かが這い上がる感覚に襲われた。

 象徴機の装甲が内側から膨らむ。

 黒い紋様が金属の表面を走り、角のような突起が額部から盛り上がってきた。

 視界が、赤黒く染まった。

 心臓の鼓動と、象徴機の機体の振動が重なる。

 どちらの音なのか分からなくなるほどに、振動が近い。


「――魔装浸食アビス・オーバードライブ


 俺の鼓動を聞き入るように、胸に抱き着いている女の子が言った。

 次の瞬間、拘束されていた重さが消えた。


「うっ、うわっ!?」

「なんだ、どうした!?」


 両脇を拘束していた量産機のパイロットの叫びが聞こえる。

 ガンッ! と鉄を引きちぎるような轟音と共に魔法の拘束具リングがはじけ飛び、自由になった両手で量産機の頭部を掴み、そのまま衝突させる。


「まだ抵抗することができるのか――ッ!」


 重装甲機のパイロットが苦々しく言うと、用意していた魔法を俺に向けて撃ち放つ。

 だが、その光は途中で引き裂かれた。

 俺が振るった腕が放たれた魔法に当たると、魔法は爆散したからだ。


「なにっ!?」

「――ツッ!」


 自分の喉から声が漏れた。

 驚愕と恐怖と、得体の知れない高揚感がないまぜになってこみ上げてくる。

 周囲の敵機が一斉に距離を取った。その一瞬の逡巡が致命的だった。

 象徴機は止まらない。


 引いたその一瞬を跳んだ・・・象徴機は次の目標へ向かい、拳を無造作に振り下げると、そのまま量産機の頭部ごと引き裂くように潰した。

量産機の装甲が紙のように割け、内部構造がむき出しになる。

 堅い物を引き裂く感覚がしているはずなのに、同調環を通して伝わる感覚は、まるで肉を潰しているような錯覚すら覚えた。


「ははっ……いいね。すごく、良いよ」


 女の子の声が弾んでいる。愉悦がはっきりと伝わってきた。

 ゲームと同じような感覚になってきた。

 迫ってくる敵を避け、潰し、叩き伏せる、これら全てが現実のはずなのに、テレビ画面を通して見ているような……しかし、全てが現実で、人の生死と直結している。


「どけ、私がやる」


 魔法が弾かれた驚きから立ち直った重装甲機のパイロットは、剣を振りかざし、その重そうな見た目に似合わない素早い動きで接敵した。


ガイン!


 振り下ろされた剣を俺は左手で受け流し、右こぶしを重装甲機に叩きこむ――が、今まではそれで決着がついていたが、重装甲機は拳を軽くいなすとそのまま肩で衝突してきた。


「うわっ!?」


 ふわり、と無重力を味わうとすぐに地面へと転がった。

 不意に視界の端に警告が走る。

 出力過多。神経系負荷上昇。理解できない文字列が、赤く点滅している。

 倒れた俺に油断している量産機の群れに、立ち上がる回転力を利用し足を薙ぐ。


「……まだ行ける」


 ゲームではまだまだ戦える状態だ。

 自分に言い聞かせるように呟いた。


「ううん。そろそろ、限界に近いかも」


 女の子の声は、どこか残念そうだった。

 立ち上がり重装甲機と対峙する。

 俺を配下にすることは諦めたのか、それともそうはできない危険な存在と判断したのか、重装甲機は再び剣を構え、俺に向かい駆け出した。


「うあぁぁぁぁぁあッ!」


 それに対抗し、恐怖を押し殺すように叫び、駆け出した。


「ふんっ!」

「遅いっ!」


 突き出された剣を寸でのところで回避し、俺は重装甲機にそのまま抱き着いた。


「なに!?」

「うおぉぉぉぉぉッ!」


 驚く重装甲機のパイロットを他所に、俺はそのまま持ち上げると現れ続ける赤文字の警告も無視し捻るように投げ捨てた。


「ぐぉお!!」


 ドゴン、と重装甲機はその身の重さを示す轟音を響かせながら地面に倒れた。

 それを最後に――力が急激に抜けた。

 視界が揺れ、赤黒フィルターが溶けるように消えていく。


『逃げなくては――』


 その瞬間、俺は再び当初の目的を思い出した。

 バキバキと元の姿に戻りだした象徴機は、俺の願いに呼応するかのように量産機の群れを跳び抜け、走り出した。


「……うっ、あが……」


 胃の奥からこみ上げる物を抑えきれず、吐いた。

 透明な、あの液体が反応空間コックピットの足元で弾ける。

 息ができない。全身が痺れ、指一本動かすのにも気力が要る。


「おつかれさま」


 女の子の声はひどく満足そうだった。


「う~ん……、ちょっと壊れちゃった?」

 言い返したかったが、言葉にならない。

 視界の端が暗くなり、意識が遠のきかける。


「たいじょうぶ、まだ、生きてるわ。――今回は、ね」


 その声を最後に、気を失ってしまった。

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2025年12月31日 21:00
2026年1月3日 21:00

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