第37話 灰色の空の下で

 稽古の終わり、スタジオを出た有馬が、ひとりで裏の搬入口に立っていた。

 照明の影が長く伸びて、彼の後ろ姿を静かに包んでいる。

 私は脚本を手に、その背中に声をかけた。

「……あの脚本、あなたが書いたのよね?」

 有馬は振り返らなかった。だけど、わずかに肩が動いた。

 私は続ける。

「こんな……こんな脚本を書ける人間が……璃久を自殺に追いやったとか、スキャンダルを起こしたとか……」

 声が震えた。

「信じられない。信じたくない」

  有馬はゆっくりと振り返った。

 サングラスの奥の目は見えないけれど、その表情は、いつもよりも少しだけ柔らかかった。

「…………」

 彼は何も言わなかった。

 でも、その沈黙が、かえって真実に近い気がした。





 稽古やリハーサルの無い日。休日に私は電車に乗って郊外へと向かっている。

 朝から空は曇りがち。時間が経つにつれて白色だった雲が灰色に染まっていく。

 天気予報だと、あと小一時間もすれば降ってくる。聞こえてくる風の音も段々と大きくなっていた。

 恰好はフードを目深に被り、伊達メガネとマスクをしている。これで誰も私が藍沢千景とは分からないだろう。

 舞台ヒロインの交代というマスコミの報道で、エンターテインメントに飢えていたお茶の間に、私の顔は再び知れ渡ってしまった。

 普段なら見られても別に構わないのだが、今日ばかりは絶対に駄目だ。

 私が向かっているのは都心から電車で一時間ぐらいの地方の街。

 駅を出るとすぐ陸橋があって、遠くにはマンションが立ち並んでいる。

 いわゆるベッドタウンと言われる街。

 ポツリポツリと降り始めてたので、改札を出てすぐ下にある本屋で、ビニール傘を買った。

 安物の傘なので、最初に開くときはくっついていて中々開かない。

こんな天気だというのに傘を忘れてきた。いつもなにがしかの忘れ物をしてしまうのは、私の悪い癖だ。

 駅前のロータリーにかかっている陸橋を渡り、階段を降りると、四車線のやたらと広い道が真っ直ぐに伸びている。

 店のようなものは見当たらない。ここを歩いている人はあのマンションのどれかに住んでいる人がほとんどだろう。雨の日にわざわざここを歩く私は、多分、珍しい存在だ。

「…………あった」

 雨の音が強くなる中、私は古い三階建てのアパートの前で足を止めた。

 コンクリートの外壁はところどころ色あせ、外階段には錆が浮いている。誰が見ても、築年数の経った物件だ。

 それでも、そこには確かに“人の暮らし”の気配があった。

一階の端の部屋。その扉の前まで行き、私は数秒、躊躇した。

 恐らくここに有馬航生がいる。

 住所を調べて来てみれば、私と変わらない質素な暮らしをしている。

 恐らくは榊原理事長の伝手で監督に復帰できたのだろうけど、それほど生活には余裕がないらしい。

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