第31話 借り物の言葉
「千景さん、四幕の冒頭の台詞、こっちでお願いします」
慧が新しい台本を渡してきた。
そこは、以前とは違い、私の独白ではなく、相手役の青年との会話に変わっていた。
「…………」
読み進めていくと、台詞回しや、立ち位置、会話の順番が、変更されている。
劇として見た場合、以前の方が良く思えた。
「ああ、それ? こっちの方が、有馬のいる位置に近いでしょ? それに千景さんの表情も良く見てほしいので変えました」
「あなたが?」
「ええ、最後の場面を引き立てる為には、こっちの方がいいから」
「…………」
舞台のクライマックス……既婚者の男が、ヒロインに心を惹かれて、不倫……一線を越えてしまう……それを隠そうとした夫は、無罪を主張するが、証拠をつきつけられて、全ての罪を告白するシーン。
そこで名前を入れ替える。
浮気した男の名前は有馬航生。
舞台初日……マスコミが集まっている中で行う。
「………そうね…」
有馬航生への復讐の筋書きを書いたのは慧だ。
計画は順調に推移している。恐らく、この改変もその為に必要なものなのかもしれない。
「……分かったわ」
私は慧の手から新しい台本を受け取ると、そのまま稽古場の隅に腰を下ろした。
四幕の冒頭。
そこは元々、ヒロインの沈黙と独白によって、張り詰めた空気が広がる場面だった。
観客の視線が舞台に引き込まれる、重要な“溜め”の瞬間。
でも、慧が書き直した脚本では、冒頭から会話が入ってくる。
沈黙ではなく、言葉。緊張ではなく、説明。
―これで、本当にいいの?
不安を抱えたまま、私は演じてみた。
舞台に立つ。
ライトが差し込む。相手役の青年が台詞を投げてくる。
私はそれに応えながら、台詞を口にし、視線を交わす。
身体は自然に動いていた。
でも、どこか――違う。
胸の奥に、ぽっかりと穴が空いたような感覚。
私の言葉なのに、私のものでないような……。
表情も、抑揚も、呼吸すらも、どこか借り物のように感じる。
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