第30話 懐かしき檻、再び
女優として久方ぶりに舞台中央に立った瞬間、脚の裏がほんのわずかに軋んだ。
木の板。ライトの熱。観客席に向かう緩やかな角度。
すべてが、かつて私の“日常”だった。
でも今は違う。
ひとつひとつが、懐かしくて、怖かった。
「……じゃあ、三幕の途中から入ろうか」
演出卓の背後から、有馬の声が響く。
サングラス越しに何を考えているのかは見えないけど、少しだけ間があった。
脚本を持たずに、私は一歩前へ出る。
第一声が、喉の奥にひっかかるような感覚。
だけど、台詞を吐いた瞬間――空気が変わった。
相手役の青年が言葉を返す。
台詞の温度、視線の角度、立ち位置の距離。
それらを瞬時に調整しながら、私は“彼女”になる。
セリフは覚えていても、感情は毎回違う。
だから演じるたびに、自分の中の何かが研ぎ澄まされていく。
視界の端に、有馬の姿が見えた。
ノートに何かを書きながら、時折こちらを見ている。
私を見ているのか、“演技”を見ているのか、分からない。
それでも、どこかで――
私はその視線を、かつてと同じように、求めている自分に気づいていた。
「……違う」
有馬に憧れていたのは、過去の自分、彼はその気持ちを裏切った許されない存在。
惑わされてはいけない。
正式に主演になった事で、私は演じてみての感想を有馬に伝える時がある。
それは些細な事の連続だったが、その詳細の積み重ねが、大きなうねりとなって劇場全体を支配していく。
それを知っている以上、ないがしろには出来ない。
例えそれが、有馬の心を凍り付かせる為の舞台であっても……。
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