第24話 幕が上がる
楽屋口が静かに開いた。
「監督、入りましたー」
スタッフの声に、場の空気がピリつく。
私も思わず手元の台本から目を上げ、静かに視線を向ける。
あの足音。少し重たい革靴のリズム。変わっていない。
姿が見えた瞬間、胸の奥が冷たい水に沈められるような感覚に襲われた。
‥‥有馬航生。
数年ぶりに見るその顔は、かつての“天才”の面影をそのまま残していた。
鋭い目、整った骨格。少し痩せたかもしれないが、隙のない雰囲気は相変わらずだ。
いや、違う。
どこか‥‥追い詰められているような、そんな翳りが見える。
そう思うのは、計画通りに事が進んでいるからなのかもしれない。
「‥‥千景」
彼が私を見て、立ち止まった。
一瞬だけ、彼の顔から血の気が引いたのが分かった。
だけど、次の瞬間には、何もなかったかのように眉を持ち上げ、微笑を浮かべてみせた。
「驚いたよ。まさか、君がこの舞台に関わるとは」
「私もよ。まさか、あなたが“戻ってくる“なんて」
言葉の端に、笑いを滲ませた。
彼はその皮肉に気づいたのか、目を細めたまま何も言わなかった。
「照明監修として参加しています。光の操作くらいは、今でも覚えてるから」
「‥‥そうか」
演者やスタッフが気を遣って視線を逸らす中、私たちだけが過去という檻の中で向かい合っている。
私の表情は、あの頃と違うはずだ。
彼の沈黙に傷つき、涙を流していたあの頃とは違う。
私はもう“光に照らされる側”ではない。
‥‥照らす側。
そして、“焼き出す”側。
「昔の舞台に関われるなんて光栄ね。“月下の檻”は、私たち三人の集大成だったから」
その“集大成”が、あの夜を引き起こしたことを、有馬は分かっているはず。
「‥‥千景、今回の舞台、いいものにしよう」
彼の口からその名前が出たことに、心の奥が少しだけ疼いた。
でももう、それに揺さぶられる私ではない。
「ええ。誰よりも“真実に近い舞台”にするつもりよ」
私は睨むわけでも、笑うわけでもなく、有馬の目を真っ直ぐに見返した。
真実‥‥という言葉に、有馬がどう反応するか試すつもりで、それを口にしたが、有馬は何も答えない。
彼の表情がわずかに強張る。けれど、ただ黙っているだけ。
やっぱり、あの人は以前と何も変わっていない。
だったら、暴いてあげる。
隠し通したその闇のすべてを。
「‥‥じゃあ、午後の通し稽古、よろしく頼む」
その言葉を残して、彼は控室に入っていった。
背を向けるその背中を、私は静かに見送った。
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