第19話 黒壇の扉の向こうに

 私のミスでやり直しになった時、柄にもなく沈んでいた私に、有馬はそう言って背中を叩いてきた。

 あの時は、まさかこんな日が来るとは思わなかった。

 手の平の温もりはまだしっかりと覚えているというのに。

 真っ直ぐに、都内にある文化振興機構ビルに向かう。

 肩書からすれば、そこにいる可能性が高い。

 地下鉄を乗り継いで降りた、都の中心地。そこに文化振興機構ビルがある。

「…………」

 私は深呼吸して見上げる。

大通りに面していて車通りが多く、空気はお世辞にも良いとは言えない。

 切り立ったように無機質なガラスの壁が、曇り空を映していた。

ロビーに足を踏み入れた瞬間、その異様なまでの豪華さに、胸の奥がじわりと疼いた。

 磨き上げられた黒大理石の床は、天井のシャンデリアを映し返している。

光の粒が床一面にこぼれて、まるで星屑の上を歩いているようだった。

 その中を進んでいくと、受付カウンターの奥にいた女性が、私に気づいて微かに眉を動かした。

 私の姿を一瞥して、口元だけで愛想笑いをつくる。

「ご用件をうかがってもよろしいでしょうか?」

丁寧だが、事務的な声。

「藍沢千景です。榊原理事長はご在室でしょうか?」

「…………少々、お待ちください」

 彼女は電話を上げて、何かを話している。

 ここで断られたら、手がかりが全くなくなってしまう。

 待っている時間が途方もなく長く感じる。

「お待たせしました」

 彼女は笑顔を向けてきた。

「榊原理事長は、二十階の理事長室にてお待ちしております。エレベーターはこちらをご利用ください」

 指定されたエレベーターは、裏手にあって、一般のものではないようだった。

 私は黙ってお辞儀をしてエレベーターに乗り込む。

 普通より狭いその空間は、ガラス張りで外の景色が良く見える。

 2……3……4……。上がっていくその数字が、私にプレッシャーをかけてきた。

 降りてすぐ、廊下の突き当たりには、黒檀の両開きの扉。

無骨で、装飾も少ないのに、なぜか圧倒的な存在感を放っている。

「…………」

 こんな事で気圧されてはいけない。

 私は舞台の女王。

 下を向きかけていた顔をあげた。

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