太陽と海

@shiori-1945

第1話 父のいない朝

 その朝、海はやけに静かじゃった。  波の音がせん。  いつもなら、家の裏手の浜から、ちゃぷちゃぷと水の音が聞こえるはずなのに、その日は、まるで海そのものが息を止めとるみたいじゃった。  俺は、布団の中で目を開けたまま、天井を見つめとった。  煤(すす)で黒ずんだ梁。  冬でもないのに、やけに冷たい空気。  母さんの声がせん。  それだけで、胸がざわついた。 「……母さん?」  声は、喉の奥で引っかかって、うまく出んかった。  返事はない。  外に出ると、家の前に見慣れん男が二人立っとった。  軍服。  帽子を深くかぶって、目を合わせようとせん。  その瞬間、俺はもう、わかっとった。  でも、信じたくなかった。  母さんは、男たちの前で、地面に座り込んどった。  肩が、小さく震えとる。 「……國神太陽くん、じゃな」  一人の男が、硬い声で言った。  俺は、うなずくこともできず、ただ突っ立っとった。  足が、地面に縫い付けられたみたいに動かん。 「お父上の件で……」  そこから先の言葉は、頭に入ってこんかった。  ただ、男の口が動いとるのを、ぼんやり見とった。  母さんが、泣いた。  声を出さん泣き方じゃった。  歯を食いしばって、顔を歪めて、それでも声を殺して泣いとった。  その姿を見た瞬間、俺の中で、何かが音を立てて崩れた。  父さんは、死んだ。  戦争で、死んだ。  それだけが、はっきりと残った。 ⸻  父さんは、海が好きじゃった。 「太陽、ええか。海はな、怖いけど、嘘はつかん」  そう言って、よく俺を浜に連れて行ってくれた。  でも今、その海は、何も言わん。  父さんを連れて行ったくせに、知らん顔をしとる。  俺は、海が嫌いになった。 ⸻  葬式は、静かじゃった。  村の人間は、形だけ手を合わせて、すぐ帰っていった。  誰も、父さんの話をせん。 「立派じゃったな」 「名誉なことじゃ」  そんな言葉だけが、空っぽに響いとった。  名誉って、なんじゃ。  立派って、なんじゃ。  父さんは、もう帰ってこんのに。 ⸻  それから、俺は学校に行かんようになった。  行っても、意味がなかった。 「泣き虫」 「兵隊の子のくせに」  そんな声が、背中に刺さる。  ある日、誰かが言った。 「どうせお前も、すぐ死ぬんじゃろ」

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