マリア・ファムファタールの楽園(エデン)

砂之寒天

第1話 入学式

 とんでもない美女が、入学式に現れたらしい。その噂は、たちまち校内に広がった。


 Educational Division for Expression & Nurture────────通称、EDENエデン。日本語訳すると、表現と育成の為の教育学府である。ヴァロワール国にある学園。


 マリア・ファムファタールは新入生として、この学園にやってきた。


 小春日和の日、桜の降る校門。マリアは緊張しながら、新品の白いスカートを握った。

 エデンの制服は、白色である。私服で登校することも可能だが、入学式は制服で登校することが決まっている。


「マリア。皺になってしまいますよ。僕の手でも握りなさい」


 そう言うのは、フィリア・アメトウスト。マリアの幼馴染であり、同い年の少年。グレージュの髪に、アメジストのような紫の目をしている。


 マリアは、明るいブラウンのロングの髪を揺らす。今日からこの髪は毎日巻かれる。

 中学校では髪を巻くのは禁止されていた。その為、清純な優等生らしい、黒髪のおさげであった。当時は長い前髪で、顔を隠していた。つまり、高校デビューである。


 フィリアの目に、マリアの金色の瞳が映る。その顔立ちは美しい。まつ毛はくるりと天に向き、鼻は忘れ鼻、唇に塗った淡いピンクのグロスは艶々としていた。

 全てが、彼女にとっての新しい"自分"だ。


「う、うん。ありがとう。にしても、緊張するわね」


 緊張の表れた硬い声で、マリアは言う。


「そうでしょうか。僕はあまり緊張しませんね。貴方がいますので」


 対してフィリアは、穏やかに余裕のある声で話した。


「ふふ、そう?うん、私も……君がいれば怖くないわよね。大丈夫、大丈夫……」


 自分に言い聞かせるように呟く。

 フィリアの手をきゅっと握る。その指先は少し冷たく、震えていた。


(僕の体温が高ければ……)


 フィリアも体温は低い方なので、マリアの手を温めてあげられないのが悔やまれた。


「今日から大学四年生まで、共に励みましょう」

「えぇ、頑張りましょうね」


 エデンは高校と大学が繋がった学園である。


「にしても、共に勉強した甲斐がありました。共に偏差値80の学園に合格するのは、至難の業かと思いましたが」

「えぇ、本当に。頑張ってよかったわ」


 マリアは喜びを顕にした。フィリアも嬉しさを滲ませて、その横顔を見る。


 入学式が行われるのは、式典会場である。体育館とは別にあるのだ。天国のような見た目の会場だ。白が基調とされ、天使の像が立っている。

 ドームのようになっていて、正面には新入生が入り、左右に上級生が任意で参加している。


 中に入ると、上級生がこちらを見ているのがわかった。


 マリアが入った瞬間、上級生がにわかにザワついた。


「え、あの子可愛くない!?」

「やばいやばい、あんな子入るの!?」

「ちょっと待って、可愛すぎる。芸能人?」


 大きい声で、そう言うのが聞こえた。


 その騒ぎに、マリアは小さく体を震わせる。中学の頃は地味だったので、見られることに慣れていないのだ。マリアは顔は小さく、身長は170cmと高い。スタイルも良いため、遠くからでもよく目立つ。


「怖いですか。大丈夫です、マリア。僕がついています」

「う、うん……ありがとう」


 フィリアは安心させるように、手を強く握り、マリアを導く。


 2人は並んで、席についた。


 新入生の挨拶がある。登壇したのは、黒髪の、デフォルトのようなシンプルな髪型をした、端正な顔をした男の子であった。黒縁眼鏡をかけている。


 男性的な心地よい声で、彼は新入生の挨拶をした。


「新入生代表、黒川凛」


 彼はそう締めくくった。


「黒川さんって言うのね。真面目そうで、カッコイイ方だわ」

「おや、彼が気になりますか。僕も気になります」

「ねぇ、後で話しかけに行ってみましょうよ」

「勿論です。行きましょう」


 マリアは緊張を忘れて、楽しそうに話す。黒川への興味で、前のめりに。


 その後、入学式は恙無く終わった。


 教室に移動する。


 その時、一人の人に話しかけられた。


「ねぇねぇ、君、名前なんて言うの?」


 振り向くと、マリアより若干身長の小さい男の子が、こちらを見ていた。

 果実を思わせる、冷たい青みの紫の髪。少しカールがかかっている。瞳は、髪色を少し深くしたような色味。


「私?マリア・ファムファタールよ。貴方は?」


 マリアは首を傾げて、少し硬い表情で問う。


「ボクはベリー・ランジェロ!気軽にベリーって呼んでよ」


 その明るい声に、マリアは安心する。


「あら、そう。じゃあ、ベリーくんね。隣の彼は、フィリアよ。私の幼馴染なの」

「どうも、フィリア・アメトウストです。よろしくお願いしますね、ベリーさん」

「うん、ヨロヨロ!ね、Lumiルミやってる?交換しない?」


 Lumiとは、写真や動画を投稿して、いいねを競うアプリである。映えを意識し、その魅力でいいねを稼ぐのだ。


「あ、私やってないの……でも、繋げたいわ。今入れるわね?」


 マリアは眉を下げて微笑む。


「え、いいの〜!マリアちゃんチョー優しい!ありがと!♡」

「僕はやっていますよ。良ければ繋がりますか?」

「え!やった〜!繋げよ!」


 マリアは陰キャであったので、Lumiはやっていなかったのである。フィリアも陽キャではなかったが、Lumiはやっていた。


「できたわ。どこから繋がればいいの?」

「えっと〜、ここを押して、……うん!できた!これでフォローできたから、ここからフォロー返してくれる?」


 言われた通りにする。知らないアプリを人に教えてもらうのは、少し緊張する。


「うんっ……できた!」


 マリアは、初めてLumiで友達ができた。フォロワー1人、フォロー1人の文字がキラキラして見える。

 ベリーのアカウントを見てみる。フォロワーの数を見た瞬間、喉がなった。


「えっ!ベリーくん、貴方、有名人なの?」

「ん?うん!ボクは一部では有名なインフルエンサーだよ!」

「凄いわ……」


 有名人に会うのは初めてであった。なんだか、気分が高揚してしまう。目を見開いた。


「私の写真は好きに使ってくれて構わないわ。フィリアは?」

「僕も構いません」

「いいの!!ありがとう!」


 ベリーは、猫のような笑顔を浮かべ、るん♪と喜んだ。


「フィリア、貴方も繋がりましょう?」

「勿論です。先程の画面を出していただけますか?」

「えぇ」


 そうして、2人目のフォロワーにフィリアが入った。


「やった〜!ありがとね!!記念に皆で1枚撮っちゃう?」

「え、えぇ。……私、自撮りってあまりした事がないの」


 マリアは困惑したように返事をする。


「え、そんなに可愛いのに!?」


 ベリーは驚く。


「春休みに彼女は頑張ったのですよ。それまでは全然違う雰囲気でした」

「へぇ〜!すご!春休みで仕上げられるとか、センスあるんだね!あ、自撮りは別に何もポーズしなくてもいいんだよ!ちょっと笑ってるだけでも可愛いし!特にマリアちゃんなら!」

「そ、そうかしら?」

「うん!撮ろっか!ほら、カメラはここだから、ここ見て!はい、チーズ!」


 カシャリ。


「うん、可愛い!何枚でも撮りたいけど、教室行かないとだから、また後で撮ろうね!」

「えぇ、ありがとう、ベリーくん!」

「ありがとうございます」


 感謝を告げる。

 3人は一緒に教室の前に行った。


 廊下に張り出された紙を見る。クラス分けが書かれた紙である。


「マリア・ファムファタール……あった。1-Aだって。貴方達は?」

「僕もA組ですね」

「偶然〜☆ボクもA組だよ!!」

「あら、私達同じクラス?ふふ、嬉しいわ……」


 マリアは仄かに頬をピンクに染め、頬に手を当てて喜んだ。


 その姿に、ベリーは目を奪われる。そのいじらしさ、美しさに。世界が一瞬、ゆっくりになった気がした。


 フィリアは、何も言わない。が、その目は確かにマリアを愛おしそうに見つめていた。


 はっ、と我に返る。


「ね、ね〜〜!嬉しいね!ほら、席つこっか!」

「えぇ」

「はい」


 見惚れたのを誤魔化すように、明るく振舞った。


 席は自由であった。所謂一つ一つが独立した机と椅子ではなく、横に繋がったものであった。エデンは大学も兼ねているので、こうなのである。


 教室に入ると、集まる、集まる、人の視線。全員がじっとこちらを見ていた。


「わ〜☆人気者!!」

「ふふ、照れるわね……でも、2人がいるから怖くないわ」

「そうですね」


 マリアはすっかり安心しきって、そう言った。


 空いていたので、真ん中の辺りの席に座った。


「、あ、黒川さんもいらっしゃる……」


 マリアは小さい声で2人に話しかけた。


「ほんとですね。背筋が伸びていて、姿勢が美しい」

「あ、新入生挨拶の子?ふーん!後で話しかけに行こうよ!!」

「えぇ、そのつもりよ。あ、先生いらしたわ」


 先生が来た。


 マリアは机の下で、Lumiを見る。ベリーから送られた写真を、投稿したのだ。ベリーも同じものを投稿していた。


 そこに写ってる自分は、思っていたよりも、ずっと落ち着いて見えた。


(緊張してたはずなのに……)


 隣には、楽しそうに笑うベリー。

 反対側には、穏やかに微笑むフィリア。

 その中央で、マリアはただ、そこに立っているだけだ。


「……変ね」

「何がですか?」

「写真って、もっと作るものだと思ってたの。でも……」


マリアは少し迷ってから、言葉を続けた。


「これ、作ってるように見えないの」


フィリアは、その言葉に小さく息を吸った。


「それが、貴方の強さでしょう」

「え?」

「在り方が、芸術作品のよう。無理に形を与えなくても、周囲が意味を見出してしまう」


 マリアは、少し照れたように笑った。


「大袈裟よ」

「いいえ。僕は事実を述べています」


 マリアはもう一度通知を確認した。


 フォロワーが増えている。35人。


「……あ」

「どうしました?」

「知らない人から、いいねが来てる」

「ほう」


 ほんの一枚の写真。

 ただ並んで、笑っているだけの写真。

 それだけで、世界は少し、マリアに触れてしまったらしい。


 エデンと呼ばれるこの学園で、マリア・ファムファタールの日常は、静かに、しかし確実に─────────他者の視線を引き寄せながら、始まっていた。

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