夢幻無き現

Hurtmark

魂を売るには未だ早い

 講義室の窓から見渡す公都上圏は、燃え盛るかのように照り輝く。けれど私の目には、灰色に沈んで見えるだけ。絶望と言う程じゃなく、これは諦観。人生、苦痛が無いならそれで良し。どうでも、と付けて私の持論だ。

 備忘録を几帳面に取りながら、私は“優等生”の役を熟す。誰からも“普通”に見えるように。使い古した仮面の裏に香る昨夜の煙草が、私にささやかな優越感を与えてくれる。


「さて、次回はいよいよに現代史の大詰めとなるが、ここで今一度問いたい。“現代”とやらを如何いかに定義できるか」


 鐘の音が迫る頃、教師が眠たい話を始めた。自国や地球世界における前世紀から今までとすれば、公に通じるでしょう。物好きな探求なら一人でやってくれないかな。


「仮に、異なる次元上に捉えていた複数の世界を、一つの空間内で位置付けられたなら、現代という用語が内包する範囲は--」


「私たちの把握する“今”が“現実”です」


 不毛な命題を聞いていられずに、つい反論してしまった。間もなく授業は終わるのだから、好きにさせればよかったね。周囲の視線を集めているけれど、主張する私は需要が薄かったかな?でも教師は機嫌を損ねた様子はなく、頷いて肯定を返してきた。


「理にかなっているな。良く学んでいた故だ。貴女の言う現実も論に踏まえて、最終講義を締め括るとしよう」


 生徒の導いた解を尊重し、淡々と講義を終えた教師の貫禄に、私は失敗を悟る。余計なことを言っちゃった。あれは無駄話ではなかったんだ。でも仕方ない、私はああいう、現実から掛け離れた話と相性が悪いから。また好成績を上げて、皆に忘れさせればいい。

 取柄を失いたくない。苦労して得た立場だけれど、維持することも大変だ。


✜ ✜ ✜  ✜ ✜ ✜  ✜ ✜ ✜


 私にはいくつもの“友達”がいる。

 一緒に眠ってくれる友達、愛無く交渉を結ぶ友達、只食事を共にする友達だとか。お互い特別なんてないのに、私の心は支えられている。灰色の世界でも色付いて見える大切な奴らだ。


「暇人さん。話しかけて欲しいかしら」


「構って欲しがりじゃあないよ」


 日付が変われば私の時間だ。明るく灯された遊歩道を散歩して、何か面白い事が起きないかと夢想する。公都の治安は優れ、中圏以降は夜道でも襲われることは稀だ。私はそれ以上の非常事態を求めている。

 逃げない猫に付いて行ったら、妖術師の宴に迷い込んだとか、様々な怪事件が世界中で多発する現代では洒落にならない。自死が怖いから自滅に導いて欲しいだけ。


「会ったからには、素敵な夜にしましょう」


 振り返ることなく、背後に現れた女へ悪くない感情を返す。若いが少女ではない風格のある人物で、服装はいつものように青と黒の装束だろう。毒気を帯びた可憐な顔立ちで発する声音は、珈琲こーひー菓子みたいに甘苦い。

 彼女は私の夜更かし友達で、よく一緒に遊んでいる。内容は健全なもので、行き付けの盤上遊戯専門店で夜通し過ごすことが多い。


「しんどいことあった?任せてくれたら、全部解決してあげる」


「そりゃどうも。でも、悪魔に魂を売るには未だ早いわ」


「人聞きの悪い」


 軽口を叩き合うだけでも、お互い行く先を共有できる。いつもの店に向かっていたけれど、段々、足取りが重くなってきた。さっきの言葉を撤回しようかしら。足を止め、吐き出した言葉がまるで溜息みたいだった。


「お菓子奢るから家に来てよ。後で私を殺してもいい」


 友達の手で終われるなら、少しは綺麗か。コンクリートに血肉を撒き散らすより寂しくない。一人は嫌だからさあ。


「勿論。でも言ったよね。欲望に満ちた魂こそ美味おいしい。諦め切っては台無しだって」


 欲なんていつの間にか失くしちゃったよ。食欲と色欲に、承認欲求くらい。じゃあどうして、貴女はこんな私の友達でいてくれるの?私を食べたいだなんて下手物げてもの好きだね。


「望みを言って御覧なさい。一つと限らず幾らでも」


「仮面を取りたい。自分を誇って愛したいの」


「私も貴女の素顔を見てみたいけれど、ねえ...」


 言葉を選ぶように少し間を置いて、彼女は疑問を口にした。今の深刻な会話から脱線してでも聞きたい事らしかった。


「その仮面、いつ取っているの?」


「取らない。一人でいる時も、私自身から隠している」


「先ずは、それを貴女の肌から剥がしましょう。ゆっくりでいいからね」


「ありがとう。良い友達だよ、コアミ」


 駅前から地下通路へと下り、商業施設内を散策する。合成芳香剤を撒く噴水広間で地図を確認し、見つけたちょっと高級な菓子屋で極東の和菓子を買い漁った。お金に糸目を付けないのは優等生の特権。就職前だが資金源を確保している。将来的には、中圏でも上流の市民を目指せるかもしれないけれど。


「流石、秀才の金使いは違うね」


「貴女こそ上手くやってる。戸籍も無しに社会へ紛れるとは」


「初歩も初歩よ。それよりもリヨンちゃんの実力を褒めさせて」


「不気味に甘やかさないで」


 お金も地位も、普段は自信の根拠にならないのに、友達に褒められると正直嬉しい。いつまでもこうして、果てに遊び疲れて死ねたら良いのに。

 自滅こそ私の願い事だ。友達が私の骸から仮面を剥いで、死に顔を覚えてくれるなら、私は自分を呪わずに逝けることでしょう。

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