ままならないララバイ

@snmns

短編

 ほんのり湿った髪はそのままに、一人暮らしサイズのちゃぶ台に向かい合って座る。私は足を崩し、みゆきちゃんは三角座りで。

「ではでは」

「お疲れ」

 帰宅がてらにコンビニで買った缶酎ハイの蓋を開けて喉に流し込む。風呂に入って暖まった体には、弾ける果実の甘さも喉を滑り落ちる冷たさも、格別だ。

「は〜、おいしい」

「本当、立夏ちゃんのおすすめ、おいしい」

「でしょ? すごい果物の味すんの。焼酎よりフルーツが主役って感じ?」

「それそれ」

 そういってみゆきちゃんは機嫌よく微笑んだ。

「お風呂も大きくてめっちゃ気持ちよかった」

「でしょ? あそこ、私のお気に入り銭湯」

 家から歩いて二十分ほどのところにある銭湯。老舗らしいのだが、湯船は広く清潔で、備え付けのドライヤーの風量が大きいので気に入りの店だ。

「わかる。連れてってくれてありがとう」

「どういたしまして」

 向かいで甘い酒を飲みながら微笑むみゆきちゃんは、大人になってからできた友達だ。

 私は、この手狭なワンルームに社会人になった時に越してきて、電車で三駅行ったところの会社で正社員として勤務し、時たま家の近所の健康増進目的のジムに通っている。みゆきちゃんはジムで知り合った三歳年下の健康増進仲間だ。彼女も就職のタイミングで実家を出てこのあたりで一人暮らしをしていて、二人の境遇が似ているということで他のジムの会員さんに引き合わされた。運のいいことになんとなくウマが合い、ジムの後にご飯に行ったり、休日に遊びに行ったり、今日のように宅飲みをするような仲になった。

 健康増進向けなので当たり前だが、ジムの会員はマダムやシニアが多く二十代の我々は若手だった。みゆきちゃんの明るく前向きな性格も相まって、二人まとめて「皆の孫」として可愛がっていただき、駄菓子をもらったり柿をもらったり、私もお土産のお煎餅を渡したりするような心温まる交流も生まれていた。そんなわけで、会社の仕事はうまくいかないこともあれどジム通いは楽しく、みゆきちゃんという気の合う友達もできたため、私は楽しい楽しい一人暮らしを謳歌しているわけだ。

 とりとめもないことを喋っている間に一本目のチューハイが空き、家にあったあんず酒を炭酸水で割ったあたりで、みゆきちゃんは結構酔っぱらっていた。呂律が怪しい。あんず酒ではなくお茶を飲ませた方が良かったと後悔していると、とろんと眠そうな顔をしながら尋ねてきた。

「立夏ちゃんて、剃ってるんですか」

「剃る? なんの毛の話?」

 しかも、言いにくくて緊張したらしく敬語になっているのがおかしい。

「下の毛。手入れとかしてるんですか」

 何を言い出すかと思ったら。

「してる。下の毛用のトリマーがあってそれで整えてる」

「そんなものあるんだ」

 みゆきちゃんはびっくりした後、顔を輝かせた。確かに銭湯でちらりと見た彼女の陰毛は、のびのびと生まれたままに茂っていたように思う。私も酔っているので、風呂場からトリマーを持ってくる。

「これ。こういうの」

「へえ……便利だね」

「毛の長さも調節できて超便利。めんどいから私は一番短く刈ってるけど。結構スース―していいよ」

 なくならない程度に全体的に刈っていた。おしゃれな人なら陰毛もおしゃれに整えるのだろうが、あいにく私には陰毛に関して理想というものがない。快適さと手入れの頻度の低さを重視して適当に刈っている。

「どこで売ってる?」

「ドラストで」

「ドラスト。いや、なに売り場?」

「普通に剃刀売り場で。下の方にあるよ。〝VIO〟ってやつ」

「VIOってずっと何のことかわからなかったけどお股ってこと?」

「そうね。お股とケツの穴とその間ってことね」

「まじか、知らんかった。確かにV・I・Oだ!」

 パチ。みゆきちゃんはげらげら笑いながら、私の使い古した陰毛用のトリマーをおぼつかない手つきでスマホで撮った。酔いから覚めたら忘れそうだもんね。でもトリマーはあった方がいい。わかる。

「今度買う。絶対」

「おう、絶対買ってくれ」

「絶対ね」

 二人で笑いあった。こういうの、誰も教えてくんないもんね。私も後輩に有益な情報を共有できたらしいことを誇らしく思う。風通しのいいお股は最高だぜ。

「ところで、お股関係もういっこいいですか?」

「なに?」

「えっと……」

 みゆきちゃんは恥ずかしそうに、あんず酒の入ったマグカップをもてあそんだ。この間元町に二人で服を買いに行ったときに買ったお揃いのマグカップだ。片割れはみゆきちゃんの家にある。

「彼氏との……アレがめっちゃ痛くて」

 アレ。セックスだ。しょうもない彼氏がしょうもないセックスをしやがんだろう。

「可哀想に……」

「立夏ちゃんは痛くない? どうやったら痛くなくなる?」

「うーん……」

 なんと答えるか迷う。正直私も友達が多い方ではないし、その数少ない友達とシモの話なんかしたことがない。でも、みゆきちゃんが何らかの情報を求めているなら教えてあげたい。

「まあ……やっぱりきついから痛いんじゃん?」

「きつい……とは?」

 みゆきちゃんは眉を下げて口をへの字に曲げて聞いている。これは重症らしい。

「十分に広がってないというか、柔らかくなってないというか、とにかく慣らすのが不十分なんじゃない? 入れる前にさ」

「そうなのね……」

「多分。手で触る時はとにかく優しくだよ。AVとかでめっちゃ激しく擦って絶頂! とかあるけど、あれ嘘だし」

「嘘なの!?」

「嘘でしょうよ」

「プロくらい極めればそういうこともできるのかと」

「そんなことないらしいよ」

「そうなんだ。彼氏、めっちゃやってくる」

「原因それじゃん」

「そっか。まあ普通に痛いもんね。耐えればいつかは私もできるのかと思ってた」

「ないない」

「ないんだ」

 みゆきちゃんはショックそうに泣く仕草をした。

「もう耐えなくていいよ、やめろってキレたらいい」

「それは言えないよ……」

 いっちょ前にアドバイスをしている私もそれほど経験豊富というわけではなく、片手で数えられるくらいの人としか付き合ったことはない。みゆきちゃんは大学時代から続いている一人目の彼氏だったと思う。したがって、私の方がもうほんのすこし恋愛の甘い夢から覚めている、というだけのことだ。

「立夏ちゃんの彼氏はそういうことしないんだよね? うらやましい」

 みゆきちゃんはテーブルに肘をついて、心底羨ましそうにしている。

「ガシマンはしないけど……」

 少しためらう。しかし、今日は酒も入っているし、そういう打ち明け話をする雰囲気だろう。

「それなりに優しいと思うよ。でも正直、全体としてそんなに気持ち良くはないかな。しかも、私キスがあんま好きじゃないんだよね」

「キス?」

「べちょべちょになるからあんま好きじゃない。あと胸もそんな気持ちよくない。でも男って本当におっぱい好きだよね」

「確かに。私の彼氏もずっとおっぱい触ってくる」

「入れるのはそこそこ気持ちいいから許してる感じ? 胸もういいからやめてって言っても触ってくるからうんざりする」

「あ~……わかる~……」

 私たちは顔を見合わせた。うちらの彼氏、下手くそみたい。しかも、経験が少ないからじゃなくて、人間性からくる下手くそさ。我々は、彼氏の下手くそさに、うんざりしている。

「しんど……」

「どうしてこうなわけ」

 私たちは、並んで床にごろんと横になった。私たちは揃いも揃って男運が無い。私たちはすごく気が合うけれど、こんなところまでお揃いでなくていいではないか。しかし、彼氏を体の相性で選ぶわけでなし、自力で太刀打ちできる問題ではない。

「立夏ちゃん、どうやったら痛くなくなる? 彼氏がやってくれないから自分でやる」

 彼氏がやってくれないなら自分で、か。みゆきちゃんは強い。そういう自立心が強いところも好ましく可愛らしい。

「とにかく優しく触ることじゃない?」

 見上げた天井の安っぽい蛍光灯がチカチカ瞬いた。そろそろ変えなきゃ。

「ねえ……ちょっとやってみてくれない?」

「え……?」

 みゆきちゃんの顔を見ると、酔っぱらって赤くなっていて、目が座っていた。眉も吊り上がっている。

「お願い! 彼氏以外に触られたことなくて……わかんないから……ほんと困ってて……」

 そして、可愛らしいぱっちりとした目を悲しそうにゆがめて、私の腕に抱き着いてきた。

「みゆきちゃん……」

 確かに、こういうのって誰も教えてくれないよね。皆四苦八苦しながら自分の体を知っていく。

 でも、それほど自分の体に興味のない人はどうすればいいのだろう。義務感で彼氏と寝ているけれど、特に気持ちよくもなくて女友達にどうしたらいいのか聞かなきゃいけないくらいの人は。

 ていうかさ。セックスする時はとりあえず遠慮して手つきだけでも優しくあるべきだろ。他人の柔らかいところに触るんだから当たり前じゃん。なんで自分の欲望を何も考えずにぶつけてくるのかがわからない。男性全員がそうではないんだろうけど、そうでない人はこの世のどこにいるのだろうか。

 みゆきちゃんは可愛い女の子である。いつも可愛い顔をしていて、可愛く髪の毛を編んでいて、可愛い服を着ている。そりゃあ芸能人に比べればたいしたことはないのかもしれないが、気の合う大事な友達であるという点で、私にとって芸能人などは足元に及ばない。いいところも悪いところもあるけれど、彼女は唯一無二の存在なのだ。そんな大事なみゆきちゃんの内側に触らせてもらえたっていうのに、その無作法さは許せない。ガシマンなんかしやがって。考えてたら腹立ってきたな。性の怒りは苛烈になりやすい。彼氏、機会があったら八つ裂きにして殺す!

 ――という殺気を理性に変えて、私は咳払いをした。

「流石に触るのはちょっと……」

「そっか。……そうだよね」

 みゆきちゃんははっとした顔をしていた。彼女のそういう向こう見ずで勢いがいいところは好きだ。

「でもまあ何もわからないのもアレだから……こう、手を丸めてみてくれる?」

 みゆきちゃんの手を軽く握らせて、中に空洞が残るよう筒の形にした。

「これが、ナニだとする」

「ふふ、なるほど」

「手の甲が腹側だとする」

「そういう設定が」

「大事なんですよそれは」

 それが、秘められた場所であると仮定して、そっと外側に該当する部分を撫でる。何度も優しくなぞって、この指は悪さをしないよと教えた。教えてと言ったのはみゆきちゃんの方なのに、緊張した顔をしている。

「ゆっくり優しく撫でることだよ。体の中なんだからさ。触れてるかどうかかわからないくらい軽く」

「うん……」

 しばらく外側をなでなでと撫でてから、中にそっと指を差し込む。

「中も」

 丸めた手のひらを何度もなぞる。ちいさく、おおきく、みじかく、ながく。彼女のかたちを確かめるように、手のひらの全てに指をすべらせていく。

「最後の最後までゆっくり優しく」

「そうなの」

「そう。激しさなんていらない」

 みゆきちゃんは半信半疑の様子で頷いた。

「以上!」

 手を離して、みゆきちゃんの手のひらを外から両手で包んで陽気に振る。はい、緊張の時間おしまい。

「立夏ちゃん、ありがとう。これを参考に頑張ってみるね」

「うん、頑張れ」

 頑張るってなんか変、と思いつつその日は眠くなったので、歯を磨いて二人で私のセミダブルの布団に転がって寝た。


 それからもみゆきちゃんとの友達付き合いは続いた。ジムに行って、終わった後に一緒にご飯食べて、喋り足りない時は泊まって、眠くなったら寝て。憂鬱な月曜は大抵、今週いつ行く? というメッセージを送りあう。夜の風に吹かれながら家まで歩いている時、実家を出て良かったなとしみじみ思う。田舎にある実家のあたりも悪くはないけれど、それよりかなり明るくて人の生活の吐息で湿った夜の空を見上げると、郷愁よりも楽しい気分がどうしても勝ってしまう。ここは私が社会人になった街だ。私がどんどん前に進んでいける街。


 季節は廻り、みゆきちゃんは例の彼氏と別れた。私は付き合っていた彼氏と結婚し、引っ越すことになった。

「引っ越しても仲良くしてね」

「もちろんだよ」

 結婚してもしばらくは今まで通りジムにも通っていたし仲良くしていたが、妊娠をきっかけに泣く泣くジムをやめた。子どもが生まれたあたりで私の意識は完全に子どもに向き、メッセージのやり取りが途絶えてしまった。初めての育児は右も左もわからず、いっぱいいっぱいだったのだ。

 一度、子ども連れでみゆきちゃんと遊びに行ったが、子どもがわけもなく泣くわ、ランチを掴んで投げるわで最悪だった。どう振る舞っても子どもの機嫌を良くすることはできない状況でみゆきちゃんを困惑させてしまい、心底申し訳なくて気まずかった。それから、みゆきちゃんが栄転で遠方にある本社に転勤になったことと、私が二人目を生んだことが重なり、あんなにいつも一緒にいたのに糸が切れたように交流がなくなった。この時期に付き合いがなくなった友達は他にも何人かいて、同時期に子どもを産んだ友達とは交流が復活したりした。人間関係というものは諸行無常で、女がことさら薄情なわけではないと思う。ライフステージが変わると、話しにくい話題やなんと言葉を発していいのかわからない場面が出てくる。自分達ではどうしようもない立ち位置の差が生まれてしまっている事を悟る。そんな瞬間が積み重なって、付き合う相手が変わっていくのである。


 風呂に入っていると、ドアがノックされた。無視しても何度も。ああ、またか。ドアを渋々開けると、しょんぼりした長男が立っていた。

「ママ、ゆうちゃんのぬいぐるみがないの」

「おもちゃ箱の中だと思うよ。お父さんに探してもらいな。私、お風呂入ってるから」

「パパはいやって」

 嫌って何? 不思議で仕方がない。子どものぬいぐるみくらい探してやってよ。そうなると最近捉まり立ちができるようになった次男が心配になってくる。夫は安全を確認しているのだろうか。

「でもママは今無理なの。お風呂入ってるから。見たらわかるでしょ、すぐに行けないの。お風呂出たら探してあげるから、ね」

「うん……」

 長男はなんとか納得してリビングの方に走っていった。今日は大人しく引き下がってくれてよかった。ここで癇癪が爆発する日もある。ともかく体をさっと洗って出よう。時間がなさすぎて湯船にゆっくり浸かるなどできるわけもないので、さっと洗う以外ないのだが。

「立夏?」

 次は夫がドアを開ける。出会った頃に比べてかなり太った。私は出産で増量したものの概ね元の体重に戻っており、同じ食事を食べているにもかかわらずどうしたものか夫が一人で太り続けている。

「風呂覗かないで」

「覗いてないよ。フロアワイパーのお掃除シート、出してくれない?」

「覗いてる。納戸でしょ。自分で出して」

「見たよ。でもないんだよ。お前、変なとこにしまっただろ。お前が出せよ」

「は? ちゃんとあるから。しっかり見て」

 ドアをぴしゃりと閉めると同時に、ぞっとした。なんで風呂に入っている途中の人にそういうことを言ってくるのだろうか。その思考回路が理解できなかった。風呂から上がると、お掃除シートが見つけられず、諦めて横になって携帯をいじる夫がいた。念の為見てみると、お掃除シートは私が言ったとおり納戸のいつもの場所に置いてあった。疲れる。

 人と一緒に生活するってしんどい。付き合っていた時は普通そうだった夫が、豹変して子どもみたいになるとか詐欺じゃん。そして、子どもが一人なのと二人なのは天と地ほどの差があった。二人目が生まれてから、常に目が回りそうなほど忙しい。

 結婚し二回の出産を経て、じわじわと後悔しはじめていた。あまりに自由がなさすぎる。仕事、育児、家事。独身の時のお気楽な生活との落差があり過ぎて、日常生活が苦行に近い。苦しくなってから気付いたが、おそらく私は本気で心から結婚をしたかったわけではないのだと思う。結婚して子どもを産むのが普通のことだと思ったから、結婚して子どもを産んだ。ただそれだけだ。家族には悪いが、こんなに地獄みたいに忙しくなるなら教えて欲しかったとすら思う。それに、みゆきちゃんという魅力的な女の子が恋愛でうまくいかないのを見て、私は相手があるだけ恵まれているのと思ってしまったのもいけなかった。夫も同じなのではないだろうか。夫も、結婚して子どもを産むのがあるべき普通の姿だと考えてなんとなくそうしただけで、本当のところは心から望んでいたことではないのだろう。本人がその事に気付いていないことがなおたちが悪い。仕事が忙しいこともあり、自省する時間すらないのだろう。

 下の子が生まれてから三年くらいは本当に忙しくて、仕事から帰るとほとんど座る間もなく就寝時間となる日々が続いた。夫はいつもあれこれと理由をつけて子どもの面倒を見てくれないので大抵のことを一人でやっている。どうして私だけ。もちろん子どもは可愛い。ものすごく可愛いし天使だと思うが、それはそれ、これはこれ。時間の余裕がなさすぎて気が狂いそうになる。世のママは全員同じ状態で育児をしているのだろうか。それともうちの子と夫が問題児なのか。だとしたら、しなくていい損を自分だけが被っているように思えて気が滅入る。


 そんな息の詰まる毎日に救世主が現れる。


 とある憂鬱な日曜の晩、寝るのが嫌でぼんやり眺めていたSNSのタイムラインにそれは突然現れた。鮮やかに、嘘みたいに、彼らはこの世に存在していた。誰かのシェアで流れてきた短いダンスの動画に、頭を殴られたような衝撃を受けた。歌とダンスの五人組ボーイズグループ。彼らは重力を飼い慣らしたかのように、軽やかに巧みにステップを踏み、のびのびと音楽に合わせて体を動かしていた。高く低く響く少しかすれた歌声は、一度聴いたら絶対に忘れない。それを見て、ただただ単純に綺麗で楽しいと思った。どれだけ練習すればこんな風に軽やかにいられるのだろう? 特にそういうものに興味がなかった私が感動するのだから、相当上手いのではないだろうか。

 その動画を見飽きるほど繰り返し見てから、グループ名を調べ、メンバーの名前を調べ、公式WEBサイトの全員のプロフィールを熟読し、ひとりひとりのSNSアカウントを追った。グループ名は『solty(ソルティー)』。クールで落ち着いた雰囲気の彼らだが、インタビューやコンテンツに添えられる言葉からは活動への真摯な姿勢が伝わってきた。ファン全員に楽しんでもらえるよう、パフォーマンスを磨くこと。他のメンバーにはこんないいところがあるとお互いに褒め合うこと。何度も繰り返し伝えられる、スキルを磨くことへの強い意志とファンを想う気持ち、彼ら自身の優しく強い人間性に、私はいつしか彼らを応援したくなっていた。

 soltyを知ってから、隙間時間に取り憑かれたように活動を追うようになった。生まれて初めてアイドルやアーティストに夢中になり、寝ても覚めても彼らを追った。パフォーマンスが圧巻なのはもちろん、SNSで彼らが繰り広げるやりとりを見るのは心から癒される。彼らは礼儀も常識もありながらひどく親密で、メンバーそれぞれが唯一無二の友達同士なのだ。SNSも仕事の一部なのだろうが、お互いに時に気遣いあい、時にからかいあう気軽なやりとりを見ていると、自分が好きなひとたちが、こんなに綺麗で微笑ましい関係を築いているのかと思うと喜びで心が震える。

 彼らを推すことは、家事育児仕事の無限ループで全く身動きの取れない私に取ってちょうどいい趣味になった。スマホがあればいつでもどこでも自分のペースで楽しむことができ、リアルタイムで配信を見られなくてもアーカイブを後から見返せる。彼らがファン思いのアーティストだったのも相性が良かった。彼らを好きでいるだけで生活が華やいで、子どもの前でも優しく笑える気がする。いい歳をしてアイドルが好きなんて、という人もいるがそれは間違っている。有名人はスマホから出てこない。風呂に入っている私のところに来て、お掃除シートを出してこいなどと無茶なことを言ったりしない。綺麗で楽しいところだけ見せてくれるなんて、夢のようにありがたい存在ではないか。どこまでも綺麗なだけの夢が、人のかたちをしているのはなんとも罪深いことのような気もするけれど、私が人間である以上、人間に惹かれるのは当然のような気もする。目が回るほど忙しくてしんどい毎日に、ただただ美しい別世界を覗くことができて、楽しくて元気が出た。

 私はSNSでファンアカウントも開設し、他のファンとも時たま交流しはじめた。時間の少ない人は、ファンダム、つまりファンの集まりにおいても肩身が狭い。インターネットの普及は、物理的な距離は埋めたかもしれないが、根本的な時間のなさは埋めてくれないと悟った。とはいえ、soltyは老若男女にファンがいる大人気グループである。私は育児中で同じような生活を送っているママを運よく発見した。その人は『ねこまみれ』さんといい、推しメンバーが同じであること、同じコンテンツを見た時の感想が似ていたことから意気投合して、SNSのダイレクトメールで家庭の愚痴を言い合ったり、新曲の感想を言い合ったり、共感できるところが多くてウマもあったので仲良くするようになった。

 みゆきちゃんがママになったら、こんな感じかもしれない。ふとそんな考えが頭をよぎった。しんどい毎日の繰り返しの中で、彼女は寛容で明るかった。


 夏が終わって短い秋が始まった頃、我々にとって大ニュースが飛び込んできた。今度、soltyが大きなライブをやるらしい。

 場所は東京。結成五周年を盛大にお祝いする。私は子どもができてからはこんなイベントに参加するのは遠慮していたが、どうしても行きたいと思ってしまった。

『ねこまみれさん、今度の五周年記念ライブ行く?』

『行けたら行こうって思ってる! ナッツさんは?』

 ナッツさん、とは私のことである。安直に立夏の夏からとった。

 ねこまみれさんは関東近郊に住んでいるので、子どもがいてもライブに参加するのはそれほど難しくないのではないだろうか。私は往復新幹線の日帰り遠征になるが、昼の部であればスケジュール的には参加できそうだった。

『家族に反対されるかもしれないけど、昼の部行きたい。説得してみようかな』

『行っちゃえ行っちゃえ。たまのことなんだし、soltyの五周年は今しかないんだよ!』

 笑い顔の絵文字。ねこまみれさんは明るく、お茶目で好ましかった。そして、私と同じようにママの立場でも同じアーティストに夢中の人がいると思うとホッとした。私は大急ぎでファンクラブに入り、二人でチケットを応募した。

 結果、行きたい昼の部のチケットは当たった。

 生で好きな人たちが見られるなんて嬉しい。家庭も大事だが、それとこれは別種の喜びである。子どもは実家に預ける段取りをつけた。夫は渋い顔をしたが、そもそも自分で稼いだお金だし、文句を言われる筋合いはない。一日一日と、ライブの日が近付くにつれ、居ても立ってもいられなくてそわそわし、毎日の生活を丁寧に、家族に優しく暮らそうと思えた。ライブのおかげで毎日頑張れるというのはこういうことなのだろう。日常に面白みがないからこそ、あるものが輝く。ペンライトも、ライブのタオルも事前通販で購入した。当日用に服もバッグも新調した。

 ところが、である。

 ライブの三日前にねこまみれさんからSNSのダイレクトメッセージが来た。最初はなんだろうと思った。愚痴か子どもの話か、内容は見当もつかなかったけれど、ライブ当日の段取りの話かもしれないと思って仕事が終わり次第すぐに確認した。

『ごめん! 行けなくなっちゃった。夫にめちゃくちゃ反対されてる。今回は泣く泣く諦めます(涙)』

 それは残念だね、でも今更? と返そうとしたところ、アカウントをブロックされていることに気付いた。

「……え?」

 ブロック、つまり絶縁状態。お前とはもう関わりたくありませんということである。私は彼女のSNS以外の連絡先を知らないためもう連絡が取れない。見ず知らずの人にブロックされているのはたまにあることだが、一緒にライブに行こうとしている人に、ライブの前に一方的に友達関係はもう終わりと言われることがあるなんて考えもしなかった。急になぜ。ねこまみれさんは、時たま何を考えているのかよくわからない言動はあったが、急にライブをキャンセルして絶交してくるとは予想できなかった。あんなに仲良く推しメンバーの話で盛り上がったし、一緒にライブ楽しもうねって何度も言い合ったのに。

 しかし、インターネットで人付き合いをやっているとこういうことはたまにある。ここまでひどいことはあまりないが、インターネットの付き合いをどの程度大事にするかは完全にその人次第であるため、自分の思わぬタイミングで関係が終わることはよくある。理由も納得出来るものから出来ないものまで色々なのだそうだ。ねこまみれさんのブロックはかなりショックだが、理由は考えても仕方がないので考えないことにする。が、一応共通の知人には報告をしておこう。というか彼女のチケット代を建て替えているので、一緒に行ってくれる人も探さなければいけない。

 ひとまず、SNSの知り合いのファンの中でライブの話をあまりしていない人に聞いてみよう。チケットを持っている人に聞いても意味がない。何度かやりとりをしたことのある『ユッキー⭐︎』さんは確か首都圏に住んでいたはずだ。

『ナッツさんありがとう。でも申し訳ない。チケット取れなくて、自分が行けないイベントの楽しそうなタイムライン見るの辛いから、一泊二日でみっちり遊びの予定入れちゃった。こんなことなら予定入れなきゃ良かった!』

『そっか。ごめんね。ちなみにどこ行くの?』

『電波の届かない山奥でキャンプ』

『ガッツあるな。でもいいじゃん。楽しんできてね!』

 やはり三日前となるともう予定があるか。そりゃそうだ。次。何度かやり取りをした『mitsu』さんはどうだろう。彼女はクールでミステリアスな人だ。Soltyへの情熱を燃やしているが、仕事への情熱も燃えており、仕事関連の自身の能力を見せびらかす投稿が鼻につくので一緒にライブ鑑賞をするのに若干の不安を感じる。まあ、自信というものはないよりある方がいい。会ってみるといい人であることを願う。

『その日は行けないの』

『そっか。ごめんね。お手数おかけしました』

『海外出張の予定入ったって書いたけど』

 そのような彼女の投稿を私は見落としていたらしい。私のことは知ってて当然でしょ、という彼女らしい返事に笑ってしまう。ちなみに、彼女の投稿を遡ってみると、一ヶ月ほど前に投稿していた。申し訳ないが、いちいちそんなことは覚えていられない。

 次。次は私と同じく育児中ママの『ゴリ江』さん。ゴリ江さんは自他ともに認める大雑把なタイプで、いつもボケている楽しい愛されキャラだ。彼女はフォロワー数も多く、人気者なので、私にとっては高嶺の花と言っていいかもしれない。だが、この人と一緒にライブを見られれば、きっと楽しい。過去の投稿をざっと遡って確認したところ、ライブに行くかどうかの話はしていない。予定がある可能性はあるが、聞いてみる価値はあるだろう。

『ごめん、チケットあるんだなこれがウホ』

 ……マジか。チケットがあるのに黙っていられるのはすごい。

『そっか。ごめんね。ライブの話してなかったからもしかしてと思って』

『他のママで、ライブに行きたいけど行けなくて辛いって書いてる人いるからさ。なんか書けなかった』

 納得した。そんな繊細な思いやりが出来るから、彼女は人気者なのだろう。

『ちなみにその人って、誘ったら来てくれたりする?』

『ないと思う。旦那さんめっちゃうるさいから』

『残念……。でもありがとう』

『いいえー!』

 言われてみれば、私の知り合いではないがゴリ江さんの友人で延々家庭の愚痴を書き連ねている人がいたように思う。その人だろう。可哀想に。

 ダメだ。もうこれ以上に誘えそうな知り合いはいない。今からでもチケットリセールに出すことは出来なくはないが、わざわざ上京して行くこともあって、できれば知り合いと一緒に見たかった。

 その時、ふと思い出したのはみゆきちゃんだった。みゆきちゃんは以前、東京事業所に転勤になったとメッセージに書いていた。もしかしたら更に別の支店に転勤になっているかもしれないけど、一度声をかけてみよう。しかし。考えたら笑ってしまう。soltyのこと、彼女は絶対に興味がない。確認しなくても手に取るようにわかる。アイドルの話をしたことはなかったけれど、彼女は可愛らしい雰囲気が好きだ。だから、ダークでクールなsoltyを好きになることはないと思う。でも……もしみゆきちゃんさえ受け入れてくれるなら一緒に来てほしい。みゆきちゃんに同じものを好きになってほしいとは思わない。それでも、ライブ会場で音の波に揺られるとき、華麗なダンスに息を呑むとき、隣にいる彼女とすぐに顔を見合わせて笑いたいと思ってしまった。

 思い立ったが吉日で、さっそくみゆきちゃんに連絡を取った。何年も前に止まったままのメッセージの続きを入力する。『soltyって知ってる? 今度、東京のライブを見に行くんだけど、同行者にドタキャンされてチケット余らせちゃって。よかったら一緒に行ってくれない? ⚪︎月△日の15時スタートなの。興味なくていいし、チケ代もいらないから。お願い!』

 泣いている絵文字と汗、お願いの絵文字を散りばめて、極力大変そうな雰囲気を出して断りにくくした。返信はすぐにきた。

『そのグループ知らない』

 やっぱり。

『名前聞いたことはあるけど、メンバーまではわかんない。何人グループ? ていうかグループ?』

 そうだよね。やっぱりみゆきちゃんが知るわけないよね。断られそうなのに、答え合わせができたことに少し満足してしまった。

『五人いるよ』

 そこで、返信が止まった。さすがに無理があったか。仕方がないからチケットはリセールに出すしかないだろう。誰かが買ってくれるかはわからないが、このまま放っておくよりはマシだ。

 けれど、少し躊躇ってしまう。夕方ねこまみれさんに一方的にキャンセルされてから五時間ほどが経過していた。朝になるまで、それまででいいから待ちたい。チケットを買ってくれる人が現れる確率が減ったとしても、みゆきちゃんにちゃんと断られたい。

 だが、吉報は、明け方入っていた。

『知らないけど立夏ちゃんが行くなら行く! 返事遅くなってごめん、予定調整してた』

 ねえ、どうして!


 そんなわけで、そこから当日までは怒涛だった。これを見れば予習になるという動画を調べていくつかURLを送り、メンバーごとの紹介をした。別に私の紹介など見てくれなくてもいいが、興味がないライブに付き合ってもらう手前、ある程度楽しんでもらうため最低限の情報は教えてあげたい。家事を雑にやっつけつつ、寝る間を惜しんで送った。

『双子の弟がいるのって誰だっけ』

『福島くんだね』

『〝lovery〟のビデオで革ジャン着てる人?』

『それは野田くん』

『そっか……。でも、水色の髪の人のダンスは好き。楽しそう』

『気が合うじゃん、私も大好き。名前とかどうでもいいから、そういうのだけ覚えてもらえればOKです』


 ライブは、大盛況のまま幕を閉じた。後になって聞いたところ、席は完売していたそうだ。リセールに出したら誰かしらが引き取ってくれたのかもしれなかった。舞い降りる銀テープを掴んで、一本ずつ記念に持ち帰る。

 猛勉強の成果もあり、みゆきちゃんはそれなりにライブを楽しむことができたらしい。そして、嬉しいことに、その日のうちに帰れなくなるくらい話も弾んだ。ライブの話はそこそこに、近況報告に花が咲く。今どんな仕事をしているか、どんなところに住んでいるか、年取って疲れが取れなくなってきたよね、とか。彼女の日常の些細なことでも、教えてもらえるのが嬉しかった。会えなかった時間を埋めるように、我々は喋りまくった。余裕があれば観光に行こうと考えていたのが愚かしい。最初に入ったカフェで、時間ギリギリになるまで喋り倒した。

 みゆきちゃんは、趣味の話なり仕事の話なり、話題がなんであっても、私の話をきちんと話を聞いてくれて、帰りの新幹線の時間を気にしてくれた。お久しぶりプレゼントだよってハンドクリームを贈ってくれたりした。ハッと目が覚めたような気がした。家族と職場の人以外と話をするって、楽しすぎる。それがみゆきちゃんなら尚更。夫は私が何を話していようが興味なんてないし子どもは難しい話はまだ理解出来ないが、友達は違う。共感や適切な相槌が即返ってくることが久しぶりすぎて、ちょっと感動ものだった。みゆきちゃんもそれなりに楽しそうにしてくれていると思う。一緒にライブを見たことで妙な一体感が生まれたし、共通の話題が生まれた。みゆきちゃんも以前より大人になったようで、以前のぎこちない雰囲気は二人の間にはなく、今日はどんな話題でも言葉に困ることはなかった。

 お互い老けたし、あの事のままということはない。化粧がないと肌のアラは隠せないし、ジム通いはやめたため、あちらこちらが垂れてゆるんでいる。ほうれい線は深くなったし、最近は目元にちりめん小じわを観測するようになった。でも。おばさんになっても私達友達でいられるのだ。それってすごく素敵なことではないか!

 楽しい時間はあっという間にすぎて、東京駅までの道を歩きながら、激しいビル風に吹かれる。

「子育て大変そうだね」

 隣に肩を並べるみゆきちゃんが心配そうな視線を投げかける。

「まあ、大変かも。めっちゃ大変。子どもは可愛いけどね」

「私は育てられる気がしないなあ」

「育てられるよ。生まれちゃえば頑張るしかないし」

「そんなもん?」

「うん。というか、子どもはやっぱ自分から生まれてるから少々大変でも仕方ないと思えるんだけど、夫の世話は本当にめんどくさい。夫は私が生んでないのに手がかかるなんて許せないでしょ。成人だよ?」

「確かに!」

 そう言うと、みゆきちゃんは声をあげて笑った。

「結婚とかしないの?」

 私が尋ねると、みゆきちゃんは気まずそうな顔をした。

「しないよ」

「なんで?」

「一回さ、私の手のひら触ってくれたことあったじゃん?」

「……あった。なんていうか、後から反省した。やめとくべきだったよね、ごめん……」

「ううん、私も若くて無謀だった。びっくりしたでしょ。あの後も友達でいてくれてありがとう」

「こちらこそ」

 ちょっと気まずい。だが、我々にとってあれは若い時代の過ちである、というのが共通の認識だとわかり安心した。

「あれのせいなんだよね」

「え……!」

「ていうのは冗談だけど、あれくらい優しく触ってくれる人と出会えなかった。私男の趣味が悪いんだよ。本当に無理だって悟って、三十超えた時に諦めた」

「それは変! みゆきちゃん、こんなに可愛いし、性格もめっちゃいいのに」

 不思議でしょうがない。みゆきちゃんは私と違って華奢で小さくて顔も可愛いし、常識もあるし、よく気もつくし、何がダメだというのだ。こんな人と一緒になったら、毎日いてくれるだけで愛しくて、どこに行っても楽しくて、幸せになってしまうだろうが。おかしい。そんなのは変だ。

「いや別に可愛くないし。普通だし。変な男しか寄ってこないし、しんどいことが多くて疲れちゃった。それに、ここ二年くらい彼氏いないけど全然寂しくないし、むしろいない方が楽しいし、今更余計だから」

 言いにくそうに紡がれた言葉を聞いて笑ってしまった。

「ふふ、みゆきちゃんは可愛くて賢い」

「賢いんじゃないんだって、男運が悪いの」

 みゆきちゃんは眉間に皺を寄せた。

「私がしんどいから、同じしんどさを味わってほしくはないな。極端な話、夫にDVとかされるくらいなら結婚しない方がマシだと思うし。みゆきちゃんがしょうもない男に辛い思いをさせられてないなら私はハッピーだよ」

 そう返すと、みゆきちゃんはほっとしたように笑った。やっぱり、思いつめた顔より笑っている方がみゆきちゃんには似合う。

「家庭を持つってしんどい?」

「しんどいよ、かなり大雑把にやってるけど嫌んなる時ある」

 ひときわ強い風が吹いた。私はこれから新幹線に乗って、自宅に帰らなければいけない。日常が口を開けて私を待っている。

「帰るのが憂鬱だわ。本当身動き取れなくてしんどい。行きたいところどこにも行けないし、自分のことなんもできない」

 みゆきちゃん相手に愚痴りたくなんてない。みゆきちゃんとは楽しい話だけしていたいのに、思わず口をついて出てしまう。

「そっか。そうだよね。……ねえ、夜って時間ある?」

「夜?」

「うん。メッセージ送ってくれるの、夜が多かったから。良かったら今度ビデオ通話でもしようよ。酒飲んでおしゃりしよ? 話し足んないよ」

 そう言いながらペンライトを振る仕草をする。確かに! ビデオ通話なら時間も場所も選ばないし、みゆきちゃんさえ時間を合わせてくれるならできそうだ。

「ありがとう。めっちゃ癒される……」

「私はいつでも暇してるから」

「暇じゃないくせに。ありがとう」

 この世に暇な大人なんていない。皆、自分の生活を精一杯送っている。その時間のうちの一部をわたしと過ごしたいと言ってくれるのが泣きそうなくらい嬉しかった。

「やっぱ立夏ちゃんがいいんだよね」

「……そうなの?」

「うん。本当に連絡くれてありがとう。遠く離れちゃったけど、また仲良くしたいと思ってたから。立夏ちゃんって一緒にいて落ち着くんだよ。リズム感とか価値観が一緒なのかな。昔からずっとそう」

「そっか……」

「うん。こればっかりは立夏ちゃんがママで、妻で、どんだけ忙しくても、私は立夏ちゃん以外じゃ駄目だから」

 みゆきちゃんが恥ずかしそうに笑った。そういってもらえることのなんと嬉しい事か。鼻の奥がつんとする。

「ありがとう。私も同じ。みゆきちゃんじゃないとダメだって会って思った」

「えへへ、両想いだね」

「そう。両思い。嬉しいね」

 両思いだってさ。若い時だったら、友達との仲の良さを言い表すのにこんな言葉は恥ずかしくて使えなかったと思う。おばさんになったから若い時には言えなかった大胆な言葉も言える。歳を重ねてくると、今言葉にするべきだというタイミングがなんとなくわかってくる。おばさん万歳。

「ありがとうね。ドタキャンブロックさんにチケット譲ってくれて感謝って言いたいくらいだよ」

「誰? 元からみゆきちゃんのチケットだから」

 二人して東京駅の改札の前だというのに声を上げて笑ってしまった。

「ひどすぎるよね。立夏ちゃんになんてことすんの? 本当に許せないけど、結構感謝してる……ごめんね」

 みゆきちゃんの手を握って小さく振る。

「私もだよ」

 あの人がいたから今日こんな風に会えたわけで。でもやっぱムカつくから帰りの新幹線で私からもブロックしてやろうっと。

 ――ああ、時間だ。

「じゃあ、行くね」

「また遊ぼうね」

「うん。またね!」

 涙が出そうだったので、別れが惜しいのにちょっと早歩きになってしまう。次もまた遊ぼうね、と言われるのはこんなにも嬉しい。でもまあいいか、また会えばいいのだし。

 人生に心底うんざりしていたけれど、捨てたもんじゃなかったらしい。

 これからまた二人で楽しいことをしよう。お互いがどんな風に変わっていったとしても、また距離が出来たとしても、今日みたいにまた意気投合できる。だってわたしら友達だもん。

 そう思うと、しんどい毎日がちょっとマシになる。

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