1章2話 始まり 正心 冷夏《しょうじん れいか》
1章2話
十月。
蒸し暑かった空気はようやく落ち着き、昼はまだ名残の熱があるけれど、
朝の乾いた風と薄い冷たさが、季節の境目をくっきりと教えてくる。
腕を回して伸びをしていると、背後からぱたぱたと軽い足音。
「やーやー! おっはよー! ハルー!」
振り返るより先に、能天気な声が空気を跳ねさせた。
坂の上…
――水色の日傘を差した少女が手を振っている。
白銀の髪は朝日に透けてきらきら揺れ、
金木犀の花みたいな瞳が、柔らかく笑っていた。
「朝からテンション高いな、お前」
「だって晴れてるもん! 気分上がるでしょ?」
「いや、上がらねぇ。むしろ眠い」
「えぇ~、損してるねぇ。朝って最高なのに!」
「まともに太陽見れねぇお前が言うな」
「こーゆーのは気持ちの問題ですー!」
むっと唇を尖らせる彼女――
正心しょうじん 冷夏れいか。
見た目も空気も、まるで“太陽の塊”。
いつも笑っていて、いつも能天気で、
そして――少しだけ、人と違う。
冷夏はアルビノ。
メラニンが少ないせいで、
髪も肌も光を透かすほど白い。
さらにもうひとつ、
クロミズムという体質を持っている。
感情の“波長”に合わせて、瞳の色が一定の色に変わる――奇病だ。
宝石のアレキサンドライトが光で色を変えるみたいに、彼女の瞳も、心の光に呼応して色合いが変化する。
とはいえ、劇的にコロコロ常に変わるわけじゃない。
今みたいに穏やかに笑っているときは、
いつも金木犀色。
明るくて、あたたかくて、夕日のような、それでいて透き通った金色が混ざり合った瞳だ。
...だが、その分だけ、光には弱い。
紫外線なんてもってのほか。
それでもこいつは、今日も日傘一本で外へ出てくる。自由人にもほどがある。
太陽みたいなやつなのに、太陽が最大の弱点。
世の中はだいたい、そういう皮肉でできてる。
「眩しくないのか?」
「うん、平気平気ー! 日傘あるし!」
「それ、お前の命綱みたいなもんだろ」
「あはは、確かにー。でもこの傘かわいいでしょ? お気に入りなんだ!」
日傘がくるりと回る。
水色の布地に朝の光が薄く透け、白銀の髪に淡い輝きが走った。
「ねぇハル、今日も朝から筋トレしたでしょ?」
「まぁな。いつものルーティン」
「朝活って言うんだっけ?ほんと尊敬するよー。
ボクなんて二度寝のプロなのに」
「胸張って言うことじゃねぇ」
「ボクは誇りに思うね!」
「もう少し恥を知れ」
「えへへ、褒め言葉として受け取っとく!」
まったく、真面目に会話する気ゼロ。
けど、この調子のいい掛け合いをしていると、眠気は自然とどこかへ消える。
俺の空色の瞳にも、少しだけ朝の青が宿った。
学校までの道のりは十五分。
二人で話していると、それはいつも一瞬に縮む。
校門をくぐると、冷夏は日傘を閉じて大きく伸びをした。
「今日も、いい日にしよーね!」
「変なフラグ立てんな」
「え、フラグ?」
「いや、なんでもない」
「ふふっ、ハルってそういうとこオタクっぽいよね」
「誰がだ。ほら、早く行け」
くだらないやり取りのまま、俺たちは並んで校舎へ向かう。
コンクリの床に足音が重なり、朝の喧噪が少しずつ近づいてきた。
ガラガラッ――。
教室のドアが横に滑るや、冷夏が弾丸みたいに飛び込んだ。
「やーやー! おはよー諸君! 元気してるかい!」
「ちなみにボクは元気だけどスロースターターだから、午後から本気出すよー!」
...相変わらずうるさい。
朝から元気の暴力だ。
「ちょっとは落ち着け、このバカ!」
反射的に、頭をコツンと小突く。
「みゃー! ボクを叩いたな!? これはDVってやつだ! 刑事事件だー!」
「はいはい、バカ言ってな」
「くそー! ボクもやり返すー!」
ポカポカと腕に入る豆鉄砲。
鍛えた体には、肩たたき未満のダメージだ。
「じゃあ、これでおあいこな」
そういって俺は軽く冷夏の手を振りほどいた。
「なー!手が痛いー!僕しか損してないぞー!
納得いかなーい!」
そんな茶番をしていると――
――パンッ。
手を打つ音が教室に響いた。
「もうチャイム鳴ってるけど、いつまで漫才してるのかな?」
担任の呆れ声に、クラス中が笑いながら席へ戻る。
まったく、朝から笑いを取りにいくな、この女は。
「はい、本日は前回行ったテストの返却をしまーす」
「うみゃー! こればっかりは全然ワクワクしない! 先生、そのまま持ち帰って〜!」
「要りません。はい、赤点の人は“ラストチャンス”準備してね」
“ラストチャンス”。
うちの学校では、赤点の科目に限り、再解答の時間が五分だけ与えられる救済措置がある。
一応、それでギリギリ点数が上がれば補習が免除されるというわけだ。
...まあ、ほとんどのやつはそれでも助からないけど。
「ねぇねぇ、ハルは何点だったの?」
「全教科、満点」
「相も変わらず天才だねぇ君は。人生楽しいの?」
「お前ほどバカやってたら、逆に頭が痛い」
「でもなんだかんだギリギリな状況って楽しいものだよ!」
「嫌な予感しかしねぇな……んで今回は何教科赤点取ったんだよ」
冷夏が誇らしげに答案を広げる。
国語、数学、理科、社会、英語――全面、真っ赤。
「何教科単位でボクを測るなよ! 全てにおいてボクは自由なのさ!」
「自由と無能を一緒にすんなよ…」
俺の呆れた溜息と同時に、担任が歩み寄ってくる。
「はい、特別生。恒例の別室行こっか」
「はーい! ...なんかもう慣れちゃったねぇ〜」
「お前が慣れるな!」
クラスの総ツッコミが重なって、もう一度笑いが弾けた。
冷夏は引きずられながらも、器用に手を振ってみせる。
「んじゃ、午後から本気出すからー!」
「まず朝のそれを何とかして来いよ」
笑いが尾を引く教室で、俺は椅子に腰を落とした。
はぁ、と一つ吐く息。胸の奥の温度が、少し下がる。
...ほんと、騒がしいやつだ。
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