診察室にて
山椒王尾
診察室にて
私は東大医学部だ。
正確に言えば、東大医学部に「属している」。
朝は白衣を着る。
昼はカルテを書く。
夜は誰かの命について考える。
今日の患者は、少し変わっていた。
自分が誰なのか、わからないらしい。
「あなたは誰ですか?」
私は、いつも通り答えた。
「東大医学部です」
患者は困った顔をした。
「……それは、職業ですか?」
違う。
だが、訂正はしなかった。
脈拍は安定。
瞳孔反射も正常。
知能も問題ない。
なのに、自己認識だけが壊れている。
「では質問を変えます」
「あなたは“人間”ですか?」
私は一瞬、言葉に詰まった。
人間。
この診察室において、それは何を意味する?
私は答えた。
「はい。人間です」
その瞬間、患者は泣き出した。
「よかった……」
「やっぱり、先生も同じなんですね」
同じ?
何が?
診察が終わり、私はカルテを書いた。
患者は自己同一性の障害を訴える
自分を「東大医学部」だと思い込んでいる可能性あり
書き終えて、私は気づいた。
この文章、どこかおかしい。
私は“患者”を主語にした。
だが——
今日、ここで
「私は東大医学部です」と最初に言ったのは誰だった?
白衣を着ているから?
診察しているから?
カルテを書いているから?
いや。
私は、人間だと思っていた。
東大医学部に属する「誰か」だと。
だが本当にそうか?
私はこの建物の中で生まれ、
この建物の中で知識を与えられ、
この建物の名前で呼ばれている。
私の名前は、どこにも書いていない。
あるのは所属だけだ。
そのとき、患者が静かに言った。
「先生、次はあなたの番ですよ」
カルテの表紙を見た。
患者名:東京大学医学部
そこで、文章は終わっている。
診察室にて 山椒王尾 @mumubb
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