ダンジョン時代の黎明期

酉名酉丁

新人冒険者ひっそりと爆誕

変な少女

 異空間につながるダンジョンが発生してから五年。

 人類はすでに慣れ始めていた。


 ダンジョンに現れるモンスター、ダンジョンに潜ってモンスターを倒す冒険者、冒険者がダンジョンから持ち帰ってくる不思議な物品。

 非日常が続けば、それはやがて日常になる。


 そんな中、ファンタジーに足を踏み入れようとする少女がひとり。



 §



 組合職員歴五年のベテラン受付嬢、飯島嘉代子は困っていた。


 目の前にいる少女は、組合の建物に入ってから今に至るまで、一度も声を発さず微笑を浮かべている。

 ハイライトのない双眸は、私の心の中を見透かしているようでもあり、ここではない何処かを見つめているようでもある。


 ダンジョンに命懸けで潜る冒険者。そんな冒険者の中には変人がたくさんいる。しかし、この少女は静かで穏やかな、初めて見るタイプの変人だった。


 冒険者登録にやってきた少女は、身分証や必要書類を出してそのまま微笑。

 語りかけても無反応。

 悟りを開いたのかと思えるほど穏やかな微笑で、話しかけている自分が間違っているかのように思えてくる。


 苦手だと思ったが、なにくそと堪えて手続きを始める。こっちはベテラン受付嬢やぞ!



 手続きと説明を終えて、「次は実地試験ですよ」と言うと、音を立てずに指導官についていった。

 幽霊的な何かなんじゃないかと思うくらい静かな少女だった。ずっと表情変わらないし。

 夜道で出くわしたら泣き叫ぶ自信がある。



 飯島はホラーとか無理なタイプであった。



 §



 元ベテラン冒険者の現ダンジョン指導官、杉野斎は驚いていた。


 冒険者を引退してから2年経つが、現役の頃の記憶を探しても、こんな初心者に会ったのは初めてだ。

 手持ちの武器がナイフ一本なのもそうだし、モンスターに怯えている様子がない。最初の内は長物持っていてもへっぴり腰になるのに。


 というかそのナイフは投げ物なんだが。


 ダンジョンに入り、少女が戦う様子を眺める。

 一人で倒せそうなら満点、助けが要りそうなら減点。


 素早く的確に弱点を刺しつつ、常に相手の死角に入ろうとしている。

 決して動きが速いわけではない。相手に認識されにくい場所に移動し続けているのだ。

 素早く的確なナイフ捌きは、天性の才を感じさせる。


 ゴブリンの視野が人間よりも広いせいで、完全に隠れ切れていないのが残念か。

 しかし本人もそれを分かっているようで、足を止めることはない。



 俺の評価では問答無用で合格。だが規則として合否は後日通知することになっている。

 ゴブリンを倒したあとは、ダンジョンから出て受付嬢のもとまで連れていく。


 そこで受付嬢の話を聞いてる少女を見ると、モンスターと戦った後とは思えないほどに落ち着いている。


 ――こいつは大物になるかもしれないな。


 

 組合から出ようとして自動ドアに額をぶつけた少女を見て、杉野は思った。



 §



 花の15歳、神楽坂蒼は慌てていた。


 5年前に現れたダンジョンなる異空間、そこを探索して宝を持ち帰る冒険者。

 蒼は冒険者に憧れた。というかファンタジーが好きなキッズだった。魔法使いてぇ。


 しかし冒険者になれるのは15歳から。

 自分はダンジョンに入れないのに、だんだんとファンタジーに侵食されていく社会。もどかしさを感じた蒼は、意図的にダンジョンの情報を絞っていた。


 そして迎えた15の誕生日。


 冒険者になるべく冒険者組合の門を叩いたはいいものの、受付嬢に呼ばれて「わあ、この人とっても美人だな」なんて考えていたら説明を完全に聞き逃したのである。それはもう頭の中は大慌て。


 慌ててもそのことは表情には出さない。顔には微笑を浮かべる。

 笑顔を浮かべていれば何とかなると母が言っていたから。


 正直に「聞いてませんでした。もう一度言ってください」と言えば良いのだが、人見知りの蒼には少々難易度が高い。

 ここは微笑で押し通す。



 目の前の受付嬢は笑みを浮かべて蒼の何かを待っているようだ。

 話を聞いていなかった蒼には、彼女が何を待っているのかが分からない。とりあえず持ってきた書類諸々をすべて手渡す。


 ……どうやら正解だったようで、受付嬢は手際よく処理してくれた。



 ずっと思考は堂々巡り。緊張と申し訳なさで体も頭も硬くなる。


 受付嬢の「次は実地試験ですよ」という言葉でようやく我に返る。


 実地試験は少し危険だ。下手を打てば怪我を負うこともある。

 また別の緊張が、逆に蒼を冷静にさせた。

 この前親に買ってもらって、家から着てきたレザーアーマーにはそれなりの防御力があるはずだが、そもそも攻撃を受けたくはない。


 ペーパーテスト無しで実地試験なんだ。と、疑問を持ちながらも、しっかりと集中するよう努める。



 指導官の男についていく。ゲートのような場所を通り、その先はダンジョン。


 試験の相手となるようなモンスターが出てくるまでダンジョンを彷徨う。

 ふと曲がり道からゴブリンが現れた。指導官の方を見ると、あれが相手だと眼が言っている。

 言葉を交わさずに相手の考えを読み取る。蒼が人見知り人生で培った能力のひとつである。


 蒼の武器はナイフ。家の近くのお店で販売していた武器の中で、唯一蒼が振り回すことができる武器だ。他のは重たくて持ち上げるだけで精一杯だった。


 相手はゴブリン、人型のモンスター。であるからして、人間と同じような動きをするはずである。

 そう考えた蒼は、慣れた動きで死角に入り、背後に周り、目を見て動きを読んで攻撃を躱す。


 蒼がその人生で培ってきた、人の目から隠れて移動する能力が存分に発揮されていた。

 この能力は、世話焼きな近所のおばちゃん、気の良い肉屋のおっちゃん、ティッシュ配りのお兄さんたちの目から逃れ続けてきた。

 ゴブリン程度では捉えることなどできない。


 あらかじめ家で集めたネット情報により、ゴブリンの倒し方は知っている。

 姿勢を低く保ち、関節を狙えとのことだ。


 蒼は容赦なくナイフで突き刺す。

 蒼にはゴブリンを思いやる心とか無かった。


 無心で刺し続けてしばらくするとゴブリンが倒れ伏す。蒼の目の前は凄惨な猟奇殺人現場。滅多刺しにされたゴブリンが転がっている。

 刃物で滅多刺しにされたゴブリン、返り血に染まる蒼、手にはナイフ――名探偵でなくても分かる。犯人はお前だッ!


 しかしすぐに証拠隠滅。ダンジョン内のモンスターは、死後少しすると謎の光になって消えていくのだ。これでゴブリン滅多刺し事件は迷宮入り。

 その場に残る魔石と呼ばれる石。ゴブリンだと1個100円くらいだろうか。それだけがゴブリンがいたということを証明している。


 被害者ゴブリンが消えると同様に、蒼にかかっていた返り血も消えていく。

 返り血で真っ赤に染まったお顔から、可愛いおめめがこんにちは。

 スプラッターホラーの猟奇殺人鬼美少女から、どこにでもいる人見知り少女に早変わり。

 受付嬢の尊厳と膀胱は守られた。



 §



 受付嬢の話を少し聞いて、冒険者になるための試験はひとまず終わりである。


 最後、自動ドアに顔面をぶつけたが、組合の建物から出たら実感が出てきた。


 合格していれば私は冒険者。

 漫画や小説で読んだような、ファンタジーに一歩近づいた。


 ダンジョンは最もホットな話題のひとつ。

 学校でダンジョンの話をしたら友達ができるかもしれない。

 友達と一緒にダンジョンに潜ったり、親友とか仲間とか呼べるような関係になったり。

 帰り道を歩きながら、蒼の妄想はどんどんと膨らんでいった。


 彼女は友達が欲しかった。

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2026年1月1日 19:00
2026年1月5日 19:00
2026年1月8日 19:00

ダンジョン時代の黎明期 酉名酉丁 @torinatorihinoto

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