キミとランチ
Resetter
転がった卵
「ぜーったいヤダ!!」
「いや、無理なんだって……」
「なんで私を置いていくのよ!!」
「……いや、だって……」
餌を強請る雛鳥のように、大きな口を開けて、美少女が大声で喚く。俺のせい……だが、俺のせいじゃない。
「だってじゃないよ! 私のこと、可愛いって言ってたじゃん!!」
可愛い……。それはそうだ。俺は、ずっと……ランのことを可愛がってきたんだ。一目見た、その日からずっと。
「キミちゃんはさぁ……もうランのこと、どうでもいいの……?」
……でも、いつかは巣立つ日が来る。
「いや、そんなわけないよ」
だから、これはそういう話ではないんだ。
「だったら! 私も行く!」
でも、ランは……どうにも頑なだ。
「いや、無理なんだって……」
俺は、眩暈を覚えた。眉間を指でつまむ。
……ため息が漏れ出る。
――そう。事の起こりは、今から十五年も前だ。
俺は当時、十八歳。高校卒業目前だった冬のこと。
「ちょ……?! みんな、マジで言ってんの?!」
「……そりゃ、ウチには二人も子供いるし。余裕ないしねぇ」
吐き捨てるような、冷たい声色だった。ぱりぱりと音を立て、何かが……剥がれ落ちた気がした。
「いや、でもさ……」
「……
俺の両親は、三年前に他界した。十五の頃だった。
「……俺は、独りでやっていく、だ」
――拳を、握り締めた。ぱりぱりと、頭に響く。
あの時も、こうだった。皆、俺を厄介者と扱った。
だから俺は、独りで生きてやろうと思った。その想いが……こんな数年で再燃するとはな。――ああ……。剥がれて……落ちる。
「……そんなにあの子が不憫なら、アンタが育ててみたらいいんじゃない?」
従姉が、軽薄な笑みを浮かべていた。
……奥歯が、ぎしりと音を立てる。
――ドンッ!
「……わーったよ!」
俺は、思わずテーブルを叩いて立ち上がっていた。ガシャリと湯呑みが倒れて割れた。破片が散らばり落ちる。
構うことなく、部屋の隅で石のように蹲っている女の子に、ずかずかと歩み寄った。
目の前に、ふわりとしゃがむ。
「……さ、帰ろっか」
そして、可能な限りの笑顔で、覗き込むと。
「……え?」
その小さな女の子は、大きな瞳をぱちくりしていた。
「……おうち?」
「そう。お兄ちゃんのお家だけどな!」
俺がそう言うと。
「……うん!」
女の子は、なんだか溶けてしまいそうな……笑顔、だった。
……守ろう。そう誓った。
――そうして、俺たち二人の生活が始まったんだ。
「わーたーしーもーいくのぉぉぉ!!」
そして。十五年経過し、出来上がったのが、
「いや、だから、転勤でさ……」
「だから! 何で! 私を! 置いてくの!!」
「いや、ほら、学校あるし……単身寮しかないし……」
高卒で働きに出て、十五年。俺は、遂に転勤を伴う異動となった。
遮二無二働き、家事もして、子育てもして……何とか主任にまでなれた。我ながら頑張ったと思う。もう、いないけれど、丈夫に産んでくれた両親には感謝だ。
そんなランも、もうすぐ十八歳。俺がランと暮らし始めた歳になる。だから……。
「ギミぢゃあぁ~ん……! なぁんでぇ~……!」
ある意味で、ちょうどいい機会だ……とも思ったのだが……。
ランは、がしっと抱き着いて離れない。あーあー。鼻水まで……。
……俺、十八の頃って、こんなだったかな……?
「……ほら、チーンして」
「……うん」
こうやって世話をしてると、十五年前からあんまり変わってないように思える。
そう考えると、置いていくのは忍びなくもあるが……。
だが、この辞令を受けて、成果を上げれば……。小さな営業所ひとつを任されるような、出世コースに乗れる。俺みたいな高卒には、またとないチャンスなのだ。ランの進学費用を稼がねば……。
「……おなかすいた」
ひとしきり泣きじゃくったランが、ふと顔を上げた。
「あ、うん。何食べたい?」
少しは気分も落ち着いてくれたのだろうか。いや。空腹を満たせば、ちゃんと話が出来るかもしれない。……ここは腕によりをかけて……。
「……私がつくる」
ランは、すっと立ち上がり、キッチンに向かっていった。
「……えっ?」
……あんなに大泣きしていたのに。少し、呆気に取られてしまった。
――コンコン パキャ ジュウ コンコン パキャ ジュウ
キッチンから、音がする。そして、広がる香り。
フライパンに蓋をしたのか、くつくつとした音に変わる。
かちゃかちゃと、皿を並べたみたいだ。
「……ほっ。よし! できた!」
ランの掛け声とともに、またふわりと香りが広がった。
「キミちゃん! できたよ!」
「あ、うん。ありがと」
二人掛けのダイニングテーブルに着く。
「はい! 目玉焼き!」
「目玉焼き……」
それは……俺が料理をまともにできなかったころ、毎日のように作っていたものだった。
「え、だって。私、キミちゃんの作ってくれる目玉焼き、好きなんだよね。小さい頃から食べてたからかなぁ……」
ランは、少し遠い目をした。
「あ、はい! ケチャップ! ハート書いてあげるね!」
これも、味変しようと思って、掛けたのが最初だったな。ランは、ケチャップがずいぶん気に入ったんだった。『あかくてきれい~』とか、言ってたっけ。……懐かしさで喉が開きそうになる。
ランは、ふんふんと鼻歌混じりにハートを描く。二つに並んだ黄身を囲うように。
「……ん~……でーきたっ! かーわいい!」
満足そうなランの笑顔。さっきまでの大泣きが嘘みたいだ。二人で『いただきます』と、手を合わせる。
「でね、キミちゃん」
「……ん?」
「ほら、私、簡単な家事なら出来るじゃない?」
ランは、小さい頃から『おてつだい!』と言っては、色々としてくれた。まぁ……色々と……。微笑ましくもあったことが、すでに懐かしい……。
「うん、まぁ、そうだなぁ……」
感慨にふけっていると。ランは、すっと箸を止め、立ち上がった。そして、引き出しから何かを取り出した。
「キミちゃん。私たちって、実はホントの家族……じゃないよね……」
そして、背中を向けたまま……そう、言った。少し、硬い声……だった。
「……えっと、養子縁組してないけど、親戚……ではあるし、一緒に暮らしてきただろ? 家族だよ!」
俺は十五年間、ずっとランを大切にしてきた。それこそ、親の愛を知らないこの子に、出来るだけ与えたつもりだ。
……だから、『家族じゃない』というのは……少なからず……ショックだ。
「あのね……。中学生くらいになるとね。女子って"恋バナ"とか……するんだよね。でもさ、全然……ピンとこなくて」
……? 急に何の話だ?
でも、そういえば……そんな話は全然されなかったな。
あぁ……これも、子育ては教わることの方が多いというものか……。
「自分の中で、言葉にしてみたんだよね……」
そう言って、くるりと振り向いたランは、生まれたての小鹿か雛鳥のように震えていた。
「……私、さ。家族になりたいの。キミちゃんと……」
そして、強張った顔が、耳までケチャップがかけられたようだった。
「……えっ」
つい、手元が狂ってしまった。ぷちっと音を立て、黄身が潰れた。とろりと、中身が流れ出る。
「……書いて……くれない?」
おずおずと広げられた紙に、目線を落とした。
「……婚姻届け……?!」
初めて見た。これが、そうなのか……。
「キミちゃんはさ。あの時……震える私の殻を、破ってくれたよね……。――この人だ! って、思ったんだよね。あの時の気持ち、ずっと忘れてないんだ……。それから……キミちゃんは、私とずーっと一緒にいてくれた」
「いや、それ……」
言いかけた俺の言葉は、ランの声にかき消された。少し……悲痛にも聞こえる声だった。
「親代わり、じゃないよ! キミちゃんは、王子様!」
確かに、いきなり懐いてくれたな……とは思ってた。でも……物心がつくかつかないかくらいの時に、両親が居なくなったからだって……。そう、納得していたのに。
「それにさ。キミちゃんさ……ずっと恋愛、してこなかったじゃん。……私に遠慮してたんでしょ?」
遠慮というか……毎日必死だったんだよな。仕事に家事に育児に……となると、それどころじゃなかった。
それに、いつも笑顔で返してくれるランがいてくれたから、頑張れた。俺は独りじゃない。そう思えたんだ。
「……うーん。遠慮、じゃないよ。遠慮じゃない。ランを……大事にしてきた。それだけだ」
「私だって、キミちゃんが大事なの! だから! 連れてって!」
「いや……でも、今年で卒業だし、進学だってして欲し……」
「それってさ、キミちゃんも殻の中じゃん! 私も、ずっと子供じゃないの! バイトだってするし! キミちゃんを支えたいの!」
「殻……」
殻に、籠っていた……? 今までの生活は、殻だった……?
「あの時、私の殻を破ってくれたみたいに……。新しい二人になろうよ!」
差し出された、僅かに震える手……。
俺は――
土曜日。それは、ランチの日と決まった。
「出来た! あ、キミちゃんお帰り!」
「ただいま」
あと数ヶ月。ランはしぶしぶ残ることになった。だから、俺が毎週帰省する。
俺たちは……少しだけ、殻を破ってみることにした。
「はい、目玉焼き!」
「ああ、ありがと」
「ねぇ、キミちゃん。ほんとに気付いてなかったの? 私が"お父さん"って絶対に呼ばなかった
「……んぐっ」
「婚姻届けは預かってもらったんだしぃ~。私も勉強頑張るからさ~。ちゃんと考えてよね!」
「わーったよ!」
この先、大学に行って、いい出会いもあるかもしれない……そんな風に思わなくもない。
でも。
少し破れた殻から、覗く未来。
――それは、二つ並んだ黄身を囲んだ、ケチャップの赤だ。
キミとランチ Resetter @Resetter
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