木園 碧雄

「二千円になります」

 サラリーマンらしき中年男から二枚の紙幣を受け取った奥村浩平おくむらこうへいは、それをレジのドロワーに収めてから、自分なりに気を使って包装した包みを渡す。

 中身は、アンティークとは名ばかりの古くさいオルゴールだ。

 こんな物に二千円も出す、この男の気が知れない。

 アルバイト先であるリサイクルショップ『Reboot(リブート)』に客が入ることは少ないが、レジに客が並ぶことはさらに少ない。

 そのまれな状況に出くわしてしまった奥村は、心の中で客のひとりひとりに悪態をつきながら、精一杯の愛想笑いを浮かべつつ応対する。

 こんなはずじゃなかった。

 今日も客は一日に二人か三人まで。それも全員が冷やかしで終わるはずだった。

 毎朝、合鍵で裏口から店内に入り、開店までに掃除を済ませておく。

 売れた品の代わりは、二階から降りてこない店主が、翌日の開店までに揃えてくれる。

 手提げ金庫を開け、中に入っている釣り銭をレジに移す。

 店を開けてから閉店まで、カウンターに座り続けているか、眠気覚ましに店内を歩き回るのがほとんどの日常。

 退屈な時間は、音楽に費やした。

 奥村は、いつかは音楽で生計を立ててみせるという信念を持っていた。

 昼間はこの店で曲の創作に時間を費やし、アルバイトが終わり次第すぐ帰宅。八畳一間の安アパートでパソコンを使い、作品はブログで公開している。

 評判は悪くないが、話題になるほどではない。

 界隈の目に止まるには、後ひと押しが足りない。

 いかにして、その域に到達すべきか。

 それが今の奥村の壁であり、人生最大の壁でもあった。

 少なくとも、時間だけはある。『Reboot』は、これまで作曲のために職を転々としていた奥村にとって、決して居心地の悪い場所ではない。

 ただ、この店の店番を人生の終着点にしたくないというだけの事だ。

 華やかでもない。

 才能を披露する機会もない。

 面白みの欠片かけらもないこの場所では、本当にやりたい事に没頭できない。

 さして広くもない店内にいるのは自分ひとりきり。仕事は、ガラクタ同然のリサイクル商品とレジだけが相手の店番である。

 唯一の利点は、耳を煩わせる音楽が店内に流れていない事のみ。ポップスもクラシックも流れていない静かな空間だが、しかし自分が創り出したものを形にする手段も、ここには存在しない。

 だから、閉店時間が過ぎたら足早に帰る。

 朝の掃除は自分が行っているが、閉店後に誰がこの店で何をしているのか、奥村は一度たりとも目にした事がない。

 同世代、同年代の人間をいざなう酒やギャンブルといった誘惑には目もくれずにまっすぐ帰宅し、ジャンクフードの夕食を胃に詰め込みながら、パソコンを起動させる。

 味や栄養という理想は、価格という現実の前には将来の懸念にもならない。

 奥村の懸念材料は、電力の過剰消費だけである。

 親と同居すれば、家計の問題は一挙に片がつくだろう。しかし二十五にもなって定職に就かず、アルバイトを続けながら創作活動に時間を費やしているという状況を、両親が認めてくれるはずもない。

 レジスターを開けて、金額を確認する。

 釣り銭を差し引いて、残った金額は八千五百円。

 これでも、ここ十日間では二番目の売り上げである。

 なぜ毎月きちんと給料が支払われているのか、不思議にさえ思える。

「ん?」

 レジスターの奥で、何かが動いた。

 小銭ではない。もっと高さも厚みもある「何か」だ。

 色も形もわからない。わかっているのは「何か」がそこにあるという事実だけだ。

 ゴキブリか、それに近い虫か。

 違う。ゴキブリなら、この時点で逃げ出しているか、あるいはじっとしたまま動かないものだ。動かなければ視認できる。

 何より「それ」は、ぼやけ歪んでいた。

「なんだ……?」

 奥村は、その歪みを掴み取ろうと手を伸ばした。





 受け取った新譜のタイトルに目を通す。

「Ever」

 これだけで、サビの歌詞に見当がついてしまう。

 うんざりしながらも楽屋に戻ろうとしていたMINAMIは、自分を呼び止める声に足を止め、振り返った。

「どうしたの、ナベちゃん?」

「MINAMIさん、出発は二十分後になりました」

 マネージャーのナベちゃんこと渡辺だった。元お笑い芸人で、コンビ解消後は持ち前の愛嬌と話術でヴィジュアル系ロックバンド『ゲリラ』のマネージャーを勤めている。

「おいおい。メイク落とすだけで移動かよ。これ、落とすだけ無駄なんじゃないの?」

「次はラジオの収録ですよ。顔は映らないんですから、落とせるうちに落としておいてくださいよ」

 ベースの調整を他の誰かに任せなかっただけ、僥倖ぎょうこうという事なのか。

 創作と投稿を繰り返して三年目に、奥村の作品は音楽プロデューサーの目に止まり、作曲者として短期契約を結んだ。

 それが専属になったのは、当時デビューする予定だったヴィジュアル系ロックバンド『ゲリラ』のべーシストが、麻薬取締法に引っ掛かって事情徴収を受けたからだ。

 後任を誰にするかという会議の直前に、たまたまその場に居合わせた奥村は、鶴のひと声で『ゲリラ』のべーシストの座を射止めた。

 ベースを弾くのは得意だったし、作曲にも参加できると聞いた奥村もこの話に飛びつき、『ゲリラ』の正式なベーシスト「MINAMI」として、それまでの人生では考えも及ばないほど華々しいスタートを切った。

 ヴィジュアル系と呼ばれてはいるものの、MINAMIの作った曲とボーカル松川大樹まつかわだいきの歌唱力は音楽業界に新たな風を呼び、『ゲリラ』の知名度は一般的なものになった。

超満員の武道館ライブに、まさかの紅白出場。

 実現した夢の代償も、決して安いものではなかった。

「俺より大樹の方が腹を立てるんじゃないか? またまともな飯が食えなくなるって」

「そうなんですよ。MINAMIさんからも何か言ってやってくださいよ」

「事実なんだから、しょうがないだろう。それに、ちゃんと説明して納得してもらうのもマネージャーの仕事だろ。なんでもかんでも俺に押し付けないでよ」

「MINAMIさん、年長者でしょう」

 また渡辺の愚痴が始まった。

「歳は関係ないだろう。第一それを言うなら、俺はメンバー唯一の交替加入なんだから、立場は一番弱いはずなの。それでも無理してあいつらに意見しているだけなんだぜ?」

「だって、MINAMIさんが一番コミュ力あるから」

「あいつらが持ってないんだよ」

 高校卒業と同時に音楽デビューし、それまで音楽一辺倒だった大樹たちに社交性などあろうはずもなく、MINAMIは――アルバイトとはいえ――接客業経験者として、大樹たちが会社や他の芸能人との間で諍いを起こすたびに、渡辺と一緒に執り成しを続けてきた。

 ただでさえ超過密スケジュールにより睡眠も移動バスの中でしかとれないという過酷な状況が続いている上に、芸能活動以外で使えるはずの時間すらも誰かの為に潰していたのでは、身がもたない。

 その弊害が、最悪の形で現れた。

「それよりナベちゃん、この曲だけどさ」

 新譜を突きつけられた渡辺が、笑顔のまま蒼ざめる。

「ああ、これ。良い曲でしょ?」

 まだ聞いてもいないのに。

「今度こそ、俺に作曲やらせてくれるって言ったよね?」

「そ……そんな事したら、ツアーのスケジュールだって調整できなくなるじゃない。だから今回も、プロの方に任せたんだって」

「俺もプロなんだけど」

「MINAMIさんは『ゲリラ』のべーシストじゃないですか。作曲は他の誰かでも出来るけど、『ゲリラ』のベースはMINAMIさんしかいないんです。我慢してくださいよ」

 矛盾していた。

 作曲こそが本文だったはずの自分が、作曲という仕事から外されている。

 おまけに今の『ゲリラ』はデビュー当時ほどの勢いも無く、忙しさは変わらないのに、ムーブメントも小康状態に収まりつつある。

 その原因が、同じようなフレーズしか流さない今の曲にあるという事はわかっている。しかし、今の担当以外に作曲を任せられそうな人間がいないというのも事実なのだ。

 曲が作れない。作る時間さえ当たられない。

 自分は、一体何の為にこの業界に入ったのだろうか。

「MINAMIさん!」

 ギターのKAIが楽屋から飛び出してきた。『ゲリラ』の中では控えめで無口な彼が、ここまで慌てるのも珍しい。

「大変だよ。KYOUが大樹のファンに手を出したってばれて、取っ組み合いの喧嘩に!」

「またかよ!」

 ドラムのKYOUは一番の女好きで、癇癪かんしゃく持ちの大樹と並んでスキャンダルの火種である。

「MINAMIさん。早く二人を止めてください!」

 こんなはずじゃなかった。

「あと十分で移動だって事も伝えといて!」

 なんで、こんな事になったのか。ただ曲を作り続けていたかっただけなのに。

 こんな事なら誘いを断って、貧しくも張りのある創作活動を続けていれば良かった。

 大樹に刃物で切りつけられたのも、一度や二度ではない。

 顔と両手だけは傷つけられませんようにと神に祈りながら、MINAMIは楽屋のドアノブを握った。





 ドアノブを回し、足音を立てないようにボロアパートのフラットを静かに歩く。

 目的地は一階外付けの郵便受け。

 素人でも時間をかければ外してしまえそうな錠前を、持参した小さな鍵を使って外し、スチール製の蓋を開けて溜まったハガキとダイレクトメール、そして封筒を取り出す。

 ざっと目を通しただけで、その大半が払える見込みのない請求書だとわかる。文面を見ずとも空で言えるほど、何度も読んできたものばかりだ。

 可能性がありそうな封筒だけを抜き取り、Uターンして自分の部屋へと戻ろうとする。

「奥村さん」

 一号室――大家のいる部屋からの声が、奥村を呼び止めた。

「今月のお家賃ですけどぉ」

「も、もう少しだけ待ってもらえます? 月末までには、必ずお支払いしますから。給料もちゃんと出ますんで」

「本当ですかぁ?」

 七十を過ぎた老婆のはずなのに、扉越しでも奥村の声をはっきりと聞き取り、同じくはっきりと聞こえる声で、疑わしげに言う大家。

「必ずですよぉ?」

 その歳に相応しいのは、間延びした言い方だけだ。

「す、すいません。必ず!」

 もはや足音を消す必要はなくなった。

 早足で部屋に戻り、ドアを閉める。もう十年以上住んでいるこのアパートも老朽化が進み、いくら鍵を掛けたところで、ドアそのものをあっさり蹴破られてしまうのではないかと不安になる時がある。

 六畳一間の狭い自室で、奥村は五通の封筒をハサミで次々と丁寧に切った。

 中身がこちらの期待している通りのものなら、手荒に扱うわけにはいかない。

 四通が不採用通知。

 残る一通は請求書だった。

 採用通知は、どこにも見当たらない。

 落胆を繰り返して、かれこれ二十年になろうとしている。

 時にはアルバイト、時には契約社員と、奥村は相変わらず職を転々としながら創作活動を続けていた。ブログで公開し、時には投稿し、あるいは懸賞やコンクールに送ってはみたものの、どれもかんばしい結果は得られないまま、現在に至っている。

 自分には才能が無いのか。

 何度も自分を問い詰めては、あと少しだけと自分自身に謝りながら創作を続けているようなものだ。

 夢は潰えた――はっきりとそう実感できる機会すら、与えられない。

 それが奥村を、華々しい世界へと導く一縷の望みとして現世に踏み留まらせているようなものである。

 しかしその反面、人並みの生活に憧れを抱いているのも事実だった。

 友人たちが、かつての同級生たちが、同じ年代の人間なら軒並み得ているはずの、ごく普通の家庭を持ったごく普通の幸せ。

 自分には、その幸せを味わう権利も無い。

 思い返してみれば、青春時代らしいものも存在しなかった気がするし、友人はいても彼女はいなかった。

 音楽業界で成功しさえすれば、恋人なんてどうにでもなるものだとばかり思っていた。

 もう四十を過ぎ、憬れていた夢も手に入るはずだった小さな幸せも、自分より下の世代のものになっている。

 自分は取り残されたのだ。時代にも、周囲の時間の流れからも。

 何も得られずチャンスも与えられず、独り寂しく朽ちてゆくしかないのだ。

 こんなはずじゃなかった。

 絶望が脳内を駆け巡り、その深奥にある真実にようやく辿り着いた。

 俺が求めていたのは音楽じゃない、音楽業界の華々しさだ。

 脚光を浴びて著名人たちから持て囃され、誰からも尊敬と羨望の眼差しを受ける、そんな甘い生活だ。

 実際には、決して甘くはないはずだ。何故かはよくわからないが、有名人には有名人なりの苦悩があるはずだと、奥村は今になってようやく理解した。自分なりに努力して築き上げてきた実績と自信が、安物の塗料のように次々と剥がれ落ちた先にあったものは、たいした苦労もせず、中途半端に磨いた才能だけをあてにして成功者になろうなどと考えていた、剥き出しの自分だった。

 それは、今まで夢を追い続けていたが故に見失っていたものだ。

 見失っていたから、どこへ行ったとしても苦しむのだ。

 裕福だろうが貧乏だろうが、有名だろうが無名だろうが、生きている限りは必ず苦労と苦悩を抱えるものなのだ。抱えながら、さらに高みを目指そうとすれば、それがより大きなものとなってつきまとう。

 誰もが皆、早い段階でそれに気づき、それ以上の苦労を抱えないか、それに耐えられるだけの強さと生き甲斐を持って生きているのだ。

 自分に足りないのは、そこだった。甘い夢ばかり見過ぎていたのだ。

 ようやく気づいたのに、もうやり直しは聞かない。

 どうするか、これからどうすべきなのか。

 目標と生き甲斐を同時に喪った奥村は、目的もなく部屋から出て、玄関の鍵を掛けた。





 レジの鍵を掛けた奥村は、すっかり暗くなっていた外を見て、さらに時計を見た。

 午後八時十五分。閉店時間を過ぎていた。





「ありがとうございました」

 レストアした置時計を買ってくれた客を、『Reboot』の主人はカウンターから頭を下げて見送る。この日初めての客であり、おそらく最後の客でもある。

 主人が頭を上げる。

 視界に入った柱時計が、八時を指していた。

「お、もうこんな時間か」

 白髪頭を掻きながら主人はつぶやき、店じまいの支度を始める。

 表に並べていたものを棚と一緒くたにして店内にしまい込み、扉を閉めて内側から「CLOSE」の木札を掛ける。

 やはり、自分ひとりだけでは身体に掛かる負担が大きい。決して若くはないのだ。早く新しいアルバイトを雇わない事には、こちらの身がもたない。

 奥村青年はそこそこ使える人材だったが、もう戻ってくることはないだろう。やめると宣言した彼の眼は、まるで憑きものが落ちたかのようにさっぱりとしていた。

 今は就職活動を経て中堅企業に採用され、同年代に遅れを取りながらも社会人として切歯扼腕せっしやくわんしているらしい。

 それまでは仕事より趣味を優先していた彼が、別人のように堅気の仕事を求めた原因には、見当がついていた。

 レジを開けると、その「原因」がうごめいていた。

 色も形もはっきりしない、ぼやけ歪んだ不定形の「何か」。

 は、たまにレジの中に現れては、似たような事をやらかす。

 三年前にも、稼ぎの乏しいこの店に押し込んだ強盗が、自分でレジの中の金を掴み取ろうとしてに触れ、泣き喚きながら警察に出頭した。

 残念だったのは、その強盗がすぐに警察署から隔離病棟に移送された事である。

 何をしたのかは、大体予想がつく。

 それが良い事なのか悪い事なのか、主人にはわからない。こちらから触れなければ、何もしてこないのだ。

 だから、今回も主人は「それ」に向かって尋ねてみた。

「どうだ、不味かったか?」

 微かに、歪みが増した。

                                     (了)

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木園 碧雄 @h-kisono

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