卵黄世界
日野球磨
きみはどこに?
世界は卵黄である。
地球は球であり、それは卵の中心にて浮かぶ卵黄に酷似している。
卵白に浮かぶ卵黄は球体である。
しかして漂うそれは、僅かに形を変えながら動いている。
対し宇宙を巡る地球もまた、球体である。しかし真に地球は球体ではなく、遠心力の影響により地球は楕円となっている。
その不確かさもまた、卵黄たる所以である。
卵黄は卵白の中に浮いている。
それは卵黄を守るように包み込んでおり、余すところなく卵黄は卵白によって覆われている。それは地球にとっての大気と非常に酷似している。
大気は地球を取り囲み、覆いつくし、侵略している。
地球上に大気があるのではなく、大気の中に地球があると言っても差し支えないほどに、地球と大気は密接である。
故に大気は卵白であり、その中に在る地球こそが卵黄と言えるだろう。
では卵黄には卵白を更に覆いつくす卵殻があるが、果たしてそれは地球にも存在するのだろうか?
答えはイエスだ。
まずは空を見上げてみよう。太陽が見える。或いは月が見える。夜は暗く、昼は明るい空が見える。その空の正体こそが卵殻である。
卵殻は卵白よりも不透明であるが、完全なる透明というわけではない。それは確かにライトの光を透過し、内側の世界を覗かせるのだ。
外側から伺える強烈な光によって世界は光に満ち、それが失われることによって世界は夜となる。空の黒は卵殻を内側から観測した闇である。そして空に浮かぶ星々は、卵殻に空いた無数の穴だ。
卵の表面には、卵黄が呼吸をするための無数の穴が開いている。星々とは、その穴から光を覗かせる太陽である。
では太陽とは何か?
太陽とはライトである。
そのライトは孵卵器のライトであり、それは恒常的に温度を保つための仕掛けである。その光は熱を持ち、ゆえに太陽光は暖かく感じるのだ。
では対する月は何か。そもそも恒常的に温度を保つ以上、夜と昼というサイクルはなぜ存在するのか。その答えもまた、孵卵器が示してくれている。
というのも卵を孵化させる際に、転卵が行われる。転卵とは、読んで字のごとく、卵を回転させる作業のことである。そう、卵は回転しているのだ。その回転によって、ライトが卵を照らす確度は変わり、そのまま昼夜の循環となる。
転卵は何度も行われ、そのたびに昼夜は巡るのである。
では月とは何か。
月とは気室である。
卵の鈍端に存在する空気の在処のことである。
これが光を通じて闇の中に白くぼんやりと浮かぶ現象こそが、月の正体である。
故に、世界は卵黄であり、卵黄は世界であると言えるだろう。
さて、となるとその結末もおのずと見えてくるはずだ。
卵黄が卵黄であるためには、その結末に誕生という結果が必要である。卵の殻を破り雛が出てくるように、この世界もいずれあの夜の大天蓋を打ち砕き、暖かさを持って照らす光の下へ飛び出す日が来るのかもしれない。
しかしそれは、この世界が有精であればの話である。
雛が孵る卵とは、当然の如く有精卵に限られる。
世界を見渡してみよう。
この世界が卵黄だとして、その卵黄が羽ばたく用意が出来ているかを確かめてみよう。
答えは否である。
この世界は未だ、あの夜の星々へと到達する力を持ちえない。
しかし、だからと言ってこの卵黄が無精卵であると考えるのは早計だ。何しろ今だって世界は動いているのだから。卵黄の中の生体活動が巡るように、活火山はふつふつと大地の底から熱き溶岩を垂れ流し、地殻プレートは確かに動き続けている。
それはこの世界が有精卵という大いなる証拠であると言えるだろう。
ただ、ここでひとつ大きな疑問点が生じてしまう。
果たしてこの世界は健康なのか?
この世界が有精卵であることは明らかなれど、しかしそれが果たして健常に育っているのかと問われれば、我々は首をかしげることしかできない。
人間は日に日にこの世界を汚染している。
奇しくもそれは、卵に入り込んだ雑菌に酷似していると言っても過言ではないだろう。
これから生まれる何かを使い、利用し、食らいつくして成長する存在。
だからこそこの世界は胎動すれど羽ばたくことができず、今も天蓋が作る夜の下で外から見える光を見ていることしかできないのかもしれない。
しかし、だ。
それはある意味、人間にとってはとても好都合なことなのだ。
なにしろ、この世界が卵黄として孵るということは、この世界そのものを破壊するということに他ならないのだから。ならば人間としては、引いてはこの世界に生きるあらゆる生物にとっては、この世界は卵黄のままで居てもらわなければ困るのである。
人間とは、あらゆる誕生を慈しむことができる。
では果たして、この世界の誕生を我々人間は心から喜び慈しむことができるのだろうか?
この世界は卵黄である。
それはいずれ孵るということである。
あなたの目の前には卵がある。
その卵は今にも孵りそうだ。
それを踏み潰すか、そっと見守るか。
もしもそれを踏み潰すのだとすれば、きっとそれ相応の理由があるのだろう。
では目の前の卵が孵るのを待つのにも、相応の理由があるに違いない。
では孵ることなく孵卵器の中で転がる卵があったとして、人はその卵をどうするだろうか。
私には、その先を考えることがとても恐ろしいことのように思えた。
それはそのまま、人間の終わりを示しているようだったから。
この世界は卵黄である。
それはいずれ孵るということである。
そしてもし卵が孵ったとして、或いはそのまま破壊されたとして、そのあと散らばった卵殻には何が残るのだろうか。
まあ例え残っていたとしても、生ごみとして捨てられることには違いない。
卵黄世界 日野球磨 @kumamamama
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