ある特別な一日の一片

柘ろ

第1話


森の中の湖の側に、丸太でできた老夫婦の住む家がある。


こぢんまりと佇むその家には、簡素だが清潔そうなキッチンと釜戸、テーブルの上には生成り色のレース編みのクロスにキノコのピクルスの瓶。

リビングには長い年月を経て、まだそこにあるのだとわかるロッキングチェアと暖炉、混ぜ織りの敷物に色褪せた深いグリーンのソファ。

そして奥に寝室。


二人は普段、最低限の食事と最低限の仕事をする。

空いた時間には、各々が好きなことをして暮らしている。

夜は早めに眠り、朝の散歩がてら妻は鶏小屋に卵を取りに行く。

小さな畑の世話をしたり、家事をする。

夫は湖で釣りをしたり、仕掛けた罠を見に行く。

そうしてじっくり噛み締めるように一日一日と過ぎてゆく──。


──夫婦にはかつて二人の息子がいたが、二人とも戦争でいなくなってしまった。

長男の戦死の連絡はメッセージと共に帽子が一つ送られてきた。

次男のときは一通の報告の手紙がきたきりだった。


息子たちの未来は、夫婦の未来でもあった。

二度の絶望を経験した夫婦は、人が嫌になった。

親切や精一杯の優しさだとわかっていても、悲しそうな表情をわざわざ作り、近寄ってくる他人と関わりたくなくなった。


そんなとき二人は、自然の中にいると癒された。

自然は、辛いときも嬉しいときも悲しいときも、何も変わらない。

変わらないからこそ、そこにいることが楽だった。

夫婦が夢見ていた未来は絶たれてしまった。二人はそれまで住んでいた家を売り払い、遠く離れた森の中に移り住むことにした。


そしてまた今年も寒くなり、クリスマスがもうそこにあった。

普段は、質素な暮らしだがクリスマスは精一杯のご馳走と共に静かで穏やかな時間を過ごす。


クリスマスの前日に、妻は洋酒漬けのドライフルーツがたっぷり入ったケーキを焼き、夫はガチョウの代わりに今年は老いた鶏を一羽捌いた。

ツリーにジンジャークッキーを飾り、玄関にはリースを吊した。


外はもうすぐ夕方だ。

薄暗くなりかけていた。

雪が降っているが、家の中の暖炉は暖かく、釜戸には根菜とチーズを煮込んだスープが湯気を立てている。

テーブルにはローストチキンとケーキ、インゲン豆とジャガイモを茹でたものも並んでいる。

キッチンの端に置かれた木製の丸椅子に腰掛け、釜戸に薪をくべながらおばあさんは言う。


「おじいさん、今年も一年が終わりますね。去年クリスマスイブを過ごしてからもう一年経ったなんて」


「もうここに住んでちょうど30年か。あの子たちがいなくなってそんなに経ったんだなぁ。ここまで二人でなんとかやってこれた。一人だったら酒にでも溺れて、もうあの子たちのところにいたかもしれない」


「そんなこと言うもんじゃないですよ。でも本当に、あの子たちが生きていればと何度思ったことか。

わたしは神様に何かしてしまったのか、こんな罰を受けるような事をしたのかと思うときが何度もありましたよ」


二人は大きな傷を抱えながら何十年も人生を分かち合ってきた。

その傷を共有していたからこそ絆が強くなり、お互いの存在を一層大切に思えたのかもしれない。

老夫婦は今年も無事に過ごせた事に感謝し、微笑み合い、静かに乾杯する。


ドアを急に叩く音がした。

こんな場所、ましてやこんな時間に滅多に人など来たことはない。

しかも、今日はクリスマスイブ。家でゆっくりしている者が多いだろう。

夫は黙って猟銃を手にした。

妻は不安そうな顔で夫の動向を見守っている。


「誰だ?」


夫はドアに近付き、銃に手をかけて言った。

妻は、テーブルの端に掛けた指が震えている。

ドア越しに若い男の声が聞こえた。


「この家はコレットさんのお家でしょうか?

僕は金物屋で働いているモーリス・コレットと言います。

先週、タッカーさんのお店に草刈り機を取り寄せるように頼みませんでしたか?

タッカーさんからコレットさんの家に運んでもらえないかと頼まれて持ってきました。

お店からここまで運ぶのは大変だろうからと。

それから、一つお尋ねしたいことがあります。

あなたがもし、ハドリー・コレットさんなら、僕はとても大切なお話があります。あなたは僕と僕の家族にとって、とても大事な人なのです」


老夫婦は顔を見合わせた。

慎重にドアを開けると、そこにはまだ十代であろう若者がいた。

その青年の風貌は、あの日両親が止めるのも聞かず、17歳という若さで戦争に志願した二番目の息子のロジャーそのものだった。


「……ロジャー……。なんだ?……わしは……夢をみているのか?……」


と、夫は急に魂が抜けたように、年老いて下がった瞼の奥からうるむ涙と共に、かすれた声を発した。


台所の奥では、妻が膝から崩れ落ち、両手で口元を覆い、溢れる涙を抑える様子もなく、ずっと青年を見ている。


その様子を見て、青年が穏やかな口調ではありながら、真っ直ぐに話し始めた。


「ロジャーは僕の父です。お二人の話はずっと父から何度も聞かされてきました。

父のいた部隊は戦地に倒れ、気がつくと自分だけが地獄に一人取り残されたように座り込んでいたと。

父は急に恐ろしくなって、必死にその場から逃げたと言っていました。

必死に逃げて、生きる為に働くにもろくな仕事がなく転々とし、やっとまともな仕事にありつき、結婚し、安住の地を見つけたときに、お二人の家に会いに向かったそうです。

あんなに息巻いて出て行ったのに、逃げてそのまま帰るのは、どうしてもできない。

でも家には別の家族が住んでいて、お二人はいなかった……。

誰に聞いても手掛かりもなく、時間ばかり経って……と、父は話していました。

父は今牧場と農園を経営していて、兄と僕は普段はそこで働いています。

僕は先月から週に二回、人手が足らないというので、父の友人のタッカーさんの店も手伝っているのです。

タッカーさんに配達するお客の名前を聞いたとき、まさかと思いました。

僕のおじいさんとおばあさん……ですよね?ずっと会いたかった!」


夫は黙って頷いた。

言葉を返したくても、何をどう発していいのか戸惑っているように見えた。

しばらくの沈黙があり、妻はゆっくり足を運び、モーリスの側まできた。


「ああ、あなたはわたし達の孫なのね。おじいさん、この子はあの時、最後に家を出たあの時のロジャーそのままですよ。

ああ、かわいい子!名前はなんていうの?もう一度おばあちゃんに教えてくれる?」


若者は笑顔で妻を見つめ、嬉しそうに答えた。


「モーリス!モーリスですよ、僕のおばあさん!

あとは兄のダニエルに姉のアナベラがいます。姉は結婚して、旦那さんも僕たちと一緒に働いています。アナベラのお腹には赤ちゃんがいます。春にはおばあさんとおじいさんのひ孫が産まれますよ」


妻は嬉しそうに愛おしそうに、モーリスが話しているのを聞いていた。

妻の表情は、春、雨の後の晴れた日のようにきらきらと暖かく輝いていた。


「まあ!急に孫が三人もできたと思ったらひ孫ですって!おじいさん、わたしは二人きりの生活も幸せでしたよ。あなたは優しいし、静かで穏やかな生活は幸せだったけれど、心の奥に張り付いた苦しみはずっと付きまとって離れなかった。離れるもんですか、子供を二人も戦争で亡くすなんて。

でもそうして苦しんだ毎日が今は少し報われる気がしますよ。こんなことってあるのね。

ロジャーに会いたいねぇ。

あと二人の孫とロジャーお嫁さんにも!

おじいさん、わたしは急に明日からが楽しみになってきましたよ」


夫は何も言わない。妻を見て優しく微笑んでいる。


「僕は早く帰って父に報告しないと!今年はすごいプレゼントを父に送れます。おじいさんとおばあさんがこんな近くにいたなんて!僕にもおじいさんとおばあさんができた!

草刈機は玄関先に置いてあります。

またすぐに父とここに来ます!きっと父が早く会いたがるでしょうから」


モーリスはそう言って、急いで帰っていった。


モーリスを見送った二人は、家の中に入り、顔を見合わせた。

二人とも顔が紅潮し、気力がみなぎり、さっきより若く見えた。


何気なく過ぎる日常がどれだけ幸せか、この二人は知っている。

そして、人生とは大きな幸せが急に舞い込むような、予想がつかないことが起こり得ることを長い年月を経て、今、知った。

 




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クリスマスイブの前に思い付いたので、クリスマスが終わるまでに公開したくて、急いで書きました。

皆様に幸運が訪れますように。


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