第10話 雫

 成人式の日。


 小さな町の成人式は、お正月の間に行われた。

 出席するつもりはなかったが、遥の母は、姉が着た振り袖を遥に送ってきた。

 母がよく行っていた美容室で着付けをすると、遥は成人式の行われる会場に向った。


「遥!」

 小百合が遥に気がついた。

 ずっと一緒にいた友達との再会で、胸がいっぱいになる。

 大人になる事なんて、本当は昨日の延長線なんだろうな。今日という時間は、ほんの少しだけ、遠い昔の様に勘違いをさせる。

 叶太が遥の隣りに座る。

「今日は泊まっていくんだろう。」

「うん。」

「お母さんに、写真くらい送ってやれよ。」

「叶太だって、お父さんに送ったら。」


 式が終わり、町の居酒屋を貸し切りにして、クラス会が始まった。30人足らずのクラスは、1人も欠ける事なく、この町に集まった。叶太が友達と楽しそうに笑っている。

「遥、飲まないの?」

 小百合がそう言った。

「私、3月生まれだから。」

「そうだった。まだ、19なんだ。」

「お酒って、成人式が解禁ってイメージだったよね。」

「そうだね。小百合は、今どこにいるの?」

「東京。叶太、なんか言ってた?」

「そういえば、東京にいるって言ってた。」

「遥、叶太の事、ずっと好きだったんだよね。叶太も遥の事が好きだったし。」 

「…。」

「遥が転校するって聞いて、ちょっと嬉しかったの。私も叶太が好きだったから。でも、やっぱり叶太の心には入れなかった。好きって気持ちって理屈じゃないんだよね。」 

「小百合は、今どうしてるの?」

「彼氏、いるよ。だってみんな私の事、放っておかないもん。」

「中島くんの事は?いつもケンカしてたじゃない。先生よく止めに入って、何度もお互いにごめんなさいの握手してたから、絶対2人は結婚するって思ってた。」

「なーに、そんな昔の話し。中島くんね、警察官になったらしいよ。」

「へー、そうなの。」

「ケンカしたら、握手で解決させるんじゃない。幸せなやつだよ、本当に。」

「遥ちゃん、来てたの。」  

 中島が小百合の隣りにきた。

 クラスの仲間がみんな楽しそうに笑っている。

「もう、遥ちゃんじゃないってば。」


 午前2時。

 叶太の家に着くと、澄子が待っていた。

「遥ちゃん、飲んでないでしょうね。」

「飲んでないです。」

「さっきまで、お母さん待ってたのよ。」

「…。」

「叶太もこんな時間まで、遥ちゃんを連れてたらダメ。」

「今日くらいはいいだろう。」

「お母さん、明日から仕事だから、もう寝るから。叶太、明日、遥ちゃんを送って行きなさい。ちゃんとお酒を抜いてから行くんだよ。」

「わかってるって。」


 叶太の部屋に敷かれた布団の中で、遥は目を閉じた。

 お母さん、待ってたんだ。

「遥?」

「何?」

「疲れたな。」

「うん。」

「ねぇ、こっちにおいで。」

 遥は布団から出て、叶太のいるベッドに入った。

「寒い?」

「大丈夫。」

「むこうの成人式は来週?」

「そう。」

「出席するんだろう。」

「ちょっと、行きにくいけどね。」

「いろんな人と会ってさ、いろんな話しをしてさ。小さな集団の中ばかりにいたら、ダメだよ。」

 叶太は遥の髪を撫でた。

「そうだね。」  

 遥は叶太の胸に顔をつけた。

「遥、今も辞書に付箋貼ってるの。」

「貼ってるよ。」

「昔もそうやって付箋を貼ってたな。付箋の数だけ、言葉を覚えたって、そう言ってた。」

「そんな事、よく覚えてるね。」

 眠ってしまいそうな遥に、叶太はキスをした。

「叶太、もう寝ようよ。」

「ダメ。」 

 叶太は笑いながらそう言うと、遥をきつく抱きしめた。


 2回目の成人式の朝。

「着せる人が変わると、変わるんだな。」

 遥の父がそう言った。

「今日は遅くなるのか?」

「ううん、そんなに遅くならないよ。」

「遥、まだ酒はダメだからな。」

「わかってるって。みんなそればっかり。」

「なんで、成人式は二十歳になる年にしたんだろうな。」

「昔は違ったの?」

「前は二十歳になってからの初めの年。だから、21歳になるか。酒を飲んで、会社の愚痴を言って、それが大人の仲間入りだったのに、今はほとんどが学生なんだろう。大人になった感覚なんて、昔とぜんぜん違うんだろうな。」

「今は18歳が成人だよ。」

「そうだったか。何もわからないまま、大人の中に放り込まれるのか。」

「お父さん、今日はずいぶん後ろのむきの話しばっかり。」

「ほら、送ってやるから行くぞ。」

 

 会場の入り口には、華英と朱莉が待っていた。

「遅いよ、遥。写真、すごい並んでるよ。」

「ごめん。華英も朱莉も元気だった?」

「元気だよ。華英ねぇ、全日本の強化選手に選ばれたらしいよ。」

 朱莉がそう言った。

「すごいね、華英。」

「試合の時に転ばない様に気を付けるよ。」

 華英は遥の右手を指差した。

「もう、昔の話でしょう。」

「朱莉はねぇ、小島くんと付き合ってるって。」

「本当に?」

「同じ大学だから、よく話してるうちにね。」

「ほら、」

 渉と拓哉がやってくる。

「どこにいたか、探したよ。」

 拓哉が朱莉にそう言った。

「水川、すごいな。」

 渉が華英にそう言った。

「今、試合の時に転ばないようにって話してたところ。」

「遅くなったな。」 

 哲がやってきた。

「おぉ、元気かおまえ。」


 式が終わり、父が迎えに来るのを待っていた遥は、会場が壊されていくのを見ていた。

「帰らないの?」

 哲が遥の隣りにきた。

「今、迎えにくるの。」

「彼氏?」

「違う。お父さん。」

「今日、20時半だよ。」

「うん。」

「行くんでしょう?」

「行くよ。」

「遥。そのまま来たら?せっかく着たのに、もったいないよ。」

「哲、女の子みんなにそう言えばいいじゃない。」

「冷たいな、せっかく褒めてやったのに。」

「嘘つくほうが、ずっと楽だよね。じゃあ、後で。」


 学校のクラス会が一斉に開かれるためか、店はどこも満席だった。それぞれのクラスの二次会を抜けて、渉の知り合いのバーに集まった6人は、

思い出話しがいつまでも尽きなかった。

「隣りに座っていいか?」

「いいよ。」

 哲は遥の隣りに座った。

「遥、まだ、飲めないんだったっけ?」

「そう。なんだか、私だけ取り残された感じ。」

「じゃあ、なんのジュース飲む?」

「哲は何を飲んでるの?」

「俺は酒だよ。ちゃんと酒が入ってる。」

「嘘ばっかり。」

 遥は哲の前に置いてあるストローを手に取った。

「オレンジジュースでしょう?私もそれにする。」

「哲、飲めなかったのか?」

 拓哉が聞いた。

「あんまりな。」

「北海道は寒い?」

 遥が聞く。

「寒いよ。」

「雪もたくさん降るんでしょう?」

「そうだね。遥と一緒にいた時って、よく雨が降ってたね。」

「もう、忘れた。」

「ほら、あの緑の傘。濡れると花が出てくるやつ。」

「そうだ。哲、傘壊れてるって嘘ついて、私の傘に入ってきた。」

「あの時、遥、逃げたよな。俺がちゃんと一緒に帰ろうって言えば良かっただけなのに、嘘ってわかったんだろう?」

「私もたくさん、嘘ついたし。」

「ずっと連絡しなくて、ごめん。」

「ううん。みんな、新しい生活してるんだから。」

「遥は?」

「元気だよ。」

「そうじゃなくて。」

 哲が何かを言い掛けた時、渉が遥の隣りに座った。


「遥、また練習に来いよ。」

 渉が遥の前に来た。

「林さんも、あれからずっとこないから、すごく気にしてるよ。」

「冴木くん、今ね、転校する高校に時々練習に行ってるの。ほら、あのジャージの高校。」

「そうか。もしかして、病院で会った人と?」

「そう。」

「あの人は渋谷の幼馴染なんだろう。」

「小2の時に転校してきて、隣の席で教科書一緒に見てたんだけど、この前、教科書はすぐに届いてたってわかってね。」

「わざとだったのか。」 

「それはわからない。」

「渋谷が来た時って、教科書はどうしたんだ?」

「手に入るまで、毎回コピーをもらってた。右手が折れた時は、哲はノートをコピーしてくれたね。」

 遥は哲を見て微笑んだ。 

「毎日、一緒にいたよな。」

 哲はそう言った。


 若過ぎた自分のせいで、壊れてしまった関係。そろそろそういう関係になってもいいんじゃないかと思って、体を求めた事で、大好きだった遥に拒まれた。

 あの日から、なんとなく今まで過ごしてきた時間までが、否定された気持ちになった。

 高校生という空間が全てだったけど、もう少し大人に近ければ、遥とは違う結果になっていたかもしれないのに。


「遥。良かったな。」

「何が?」

「親切にしてたら、ちゃんと倍になって、幸せが返ってくる。」

「じゃあ、哲だって何倍にもなって返ってくるんじゃない?」

「遥が俺の分も返してくれるのか。」

 遥は笑っていた。

 

 あの頃見た、不安そうな小さな肩の遥はもういない。ずっと一緒にいたいと思ったあの頃の気持ちは、けして嘘ではない。

 俺達は、少しだけ大人になったんだな。

 

「遥。」

「何?」

「あんまり嘘つくなよ。俺はみんな知ってたんだからな。」

 哲は遥にそう言った。


 

 

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